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2つのトーハクやまと絵展[1993年/2023年]

どうも、メリークリスマス。

思いつきでやってみたアドベントカレンダー企画「マイベスト展覧会2023」。おかげさまで24日まで、たくさんの方が日替わりで素敵な記事を発表してくれました。

べつに大トリをつとめるとかそういったつもりはないのですが、最後の25日がまだ空きがあったので、せっかくだし私も何か書こうかなと今年を振り返ってみました。

色々記憶に残る展覧会はありました。

こうやって見返すと、今年の後半から公私ともに忙しくなり、ぜんぜん展覧会レポートが書けていませんね(笑)。反省。

というわけで、私が選ぶ「マイベスト展覧会2023」は、東京国立博物館でこの秋開催された特別展「やまと絵—受け継がれる王朝美」です!超王道!

天気がよかった

四大絵巻が揃うことなど色々話題になりましたね。それだけでなく、あちらを見てもこちらを見ても名品ばかりという超贅沢な展覧会でした。
まぁ、そういうことは散々語られてきているので、以下私なりの感想をつらつらと。

ご存じでしょうか。東京国立博物館で、大々的なやまと絵展が開催されるのは実に30年ぶりだったのです!

1993年に開催されたのが「やまと絵 雅の系譜」展

この図録も私の手元にあるのですが(見たわけではない)、1993年版と2023年版を見比べると、主要な作品は共通しているものの当然違いもあります。

1993年版(左)と2023年版(右)
だいぶ分厚くなっています!

「やまと絵」という言葉は非常に懐が深くて、日本絵画史の様々なジャンルを時代時代で取り込んでいます。

さて、同じテーマながら、1993年のやまと絵展では入っていたのに、2023年のやまと絵展ではバサッと省かれたものがあります。

それは「琳派」「住吉派」「復古大和絵派」といった近世のやまと絵です。2023年のやまと絵展は、基本的に室町時代までの作例でやまと絵を展望しているのがポイントですね。
展覧会図録の巻頭テキストの末尾に「安土桃山、江戸時代には、やまと絵は制作層を爆発的に広げていく。さらに明治時代になり、西洋絵画の導入により和漢の構図が崩れ、日本画という新たな概念が登場することで、やまと絵は漢画などとともにこの日本画に吸収され、その歴史的使命を終えることになる」という一文がありますが、この部分を展示では思い切って切り落とし、古代から中世のやまと絵に焦点を絞ったというわけです。

私は個人的にこの近世から近代にかけてのにぎやかな時代が好きなのですが、逆に言えば室町時代までに限定しながらよくぞここまで充実した作品を集められたものだなぁと感心してしまいます。

それに例えば琳派はやまと絵なのか、という疑問もありますね。

俵屋宗達の活躍した寛永期は、幕府が朝廷にプレッシャーをかけて政治力を削ごうとしていた時代です。後水尾天皇は文化の力でこれに対抗しようと、宮廷文化サロンを形成し、ありし日の王朝文化の再興を望みました。
町絵師出身の宗達もこのサロンの一員だったと言えます。やまと絵を王朝の美を受け継いだものととらえるなら、宗達の絵にはたしかにやまと絵成分が多分に含まれています(宗達の革新性については、詳しくはこちらで)。

俵屋宗達《源氏物語関屋澪標図屏(右隻)》静嘉堂文庫美術館

ただ、琳派という私淑によって続いた流派自体をやまと絵の流派とみなすのは、無理があります。光琳や抱一には、王朝文化再興という切実な動機はありませんしね。

こうして時代を絞った分、1993年のやまと絵展では取り上げられなかったジャンルが新たに追加されています。
それが蒔絵技法を用いた工芸(漆工)です。かなり充実してましたね。

《片輪車蒔絵螺鈿手箱》平安時代(12世紀)、東京国立博物館
《梅蒔絵手箱》鎌倉時代(13世紀)、静岡・三嶋大社

私は大学で日本美術史の講義を行っているのですが、漆工についての授業をした時にちょうどトーハクでやまと絵展を見てきたばかりの学生から「先生、蒔絵もやまと絵なんですね」と言われました。
あぁ、なるほど、そういう見方もできるのか、と。
たしかに平安時代以降、蒔絵の技術が進み表現の幅が広がっていくと、蒔絵の文様は和歌を主題にしたものが目立ち、やまと絵の初期例である歌絵や名所絵と同一の着想によって制作されています。
そこには明らかに共通する美意識を感じ取ることができます。このことを再認識できたのはよかったなぁと思います。

***

以上のことを全部踏まえた上で、今回私にとって一番の収穫は「やまと絵」のとらえどころの無さです。これはトーハクぐらいの大会場に、「やまと絵的なもの」を集結させて一気見したからこそ実感できたことです。

いや、やまと絵に対する唐絵(からえ)は分かるんですよ。

唐絵から漢画になり、それが狩野派につながっていく中で、きちんと骨格になるものが受け継がれていきます。
夏珪様、馬遠様などの筆様(宋元画家のスタイル)を抽象化して、真行草という画体に整理するなどのアレンジはありますが(このあたりのことはこちらで詳しく書いてます)、周文でも雪舟でも永徳でも、絵を見ればそれが和漢のうちの「漢」に属する絵であることは誰でも理解できますよね。

雪舟等楊《秋冬山水図》室町時代(15世紀)、東京国立博物館
狩野元信《四季花鳥図》1513年、大徳寺大仙院

でも、やまと絵はそういった明らかな共通点がないんですよね。
もう少し正確に言えば、時代によって「やまと絵」の定義が変わっているということかな。

  • 宮廷貴族の間で受容された絵。

  • 王朝の風俗を画題にした絵。

  • 土佐派が描いた絵。

  • 平安時代の古典を題材にした絵。

  • 和歌を主題にした絵。

いずれもやまと絵の中に含まれるものです。これらは当然重なる部分もあります。でも一括りにすると、なんだか全然わからなくなってくる。土佐派を例にして考えても、狩野派のようなしっかりとしたテンプレートが無い気がします。

今回の展覧会では触れられることのなかった近世以降のやまと絵。この時代になると、画家それぞれが好きに「やまと絵的なもの」を定義して、自分の絵に取り入れるようになります。
そして明治に入り、そのやまと絵がどのように存続して、どのように消えていったのか、これは私が取り組みたいと思っているテーマでもあります。いずれ何らかの形にまとめて発表したいところです。

たくらむ顔

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以上、うまく言葉にできない部分が多いので、この展覧会については記事を書くのをしぶっていたのですが、思いつきでやってみたアドベントカレンダー企画にみなさんがドシドシ参加してくれて、毎日毎日記事を発表してくれているのを見ていたら、自分もちゃんと感想をまとめておかないとな、と気持ちが後押しされました。
参加してくださったみなさんにあらためて御礼申し上げます。

あらためて読み直したい人はこちらのマガジンをどうぞ!

それでは皆様よい年末をお過ごしください。


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