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そりゃ不要不急の筆頭だよ美術館は。それでも誰かの心を温めてるんだよ。

「 不 要 不 急 」

これまでの人生で、使ったことも聞いたこともなかったこの言葉が、2020年に突如連呼されるようになりました。いやー、パワーワードですよね。

不要不急の外出はやめましょう。

不要不急の会食は控えましょう。

不要不急の仕事はいったんストップしましょう。

つまるところエッセンシャルワーカー以外は家でおとなしくしてろってことで、一時は街から人が消え去りました。

私が勤める美術館も、それ以外の美術館、博物館も軒並み臨時休館となりました。

この時、私は思ったのです。

おいおい待てよ。人が生きていく上で、美術館なんて無くても誰も困らないんじゃないか?

アートや芸術と言われるものなんて、人の心に余裕がある時にだけ享受され得る、とてもとても脆弱なものじゃないか、と。

実際にその状況を、美術館が、学芸員が、打破できるはずもなく、おとなしく文化庁が急遽打ち出した感染症対策のための助成金を申請したりしながら、再開の時をじっと待ちました。

ショックじゃなかった、と言えば嘘になります。一応、生涯の仕事のつもりで選んだ学芸員が、ひとたび危機が起こればほとんど無力な存在、いやもっと言えば社会的に不必要な存在になってしまう、そんな事実を突きつけられたからです(少なくとも私はそう感じてしまいました)。

緊急事態宣言が解除され、他の美術館と足並みをそろえるように、うちの館もおそるおそる再開しました。私個人は、心のどこかに敗北感を抱えながら。

ポツポツと客足が戻ってきた頃、私は仕事の一環で、ある作家のご遺族のお宅にお邪魔しました。当時は、まだ人に会うこと自体が敬遠されるムードがあった記憶があります。

ご高齢の奥様は「コロナが怖いからどこの美術館にも行けないのよ」とつぶやきながら、ドサッと紙の山を持ってきました。

見ると、それはうちの美術館を含め、様々な美術館から送られた展覧会のチラシ、チラシ、チラシ(それと年間スケジュールが少々)。

「私ね、お宅がこうして美術館を再開してくれたのが、本当にとてもうれしかったの。どこもかしこも休館になっていた時は、心がなんかさびしくなってね」

「私は歳も歳だからまだ怖くて行けないけど、こうやって案内をもらうと、みんな展覧会を楽しんでるだなぁって想像できるでしょ。なんだかそれだけで、心が温かくなるの。だからがんばってね」

そんなことを言われました。

そうか、美術は人の心に余裕がないと楽しんでもらえない、それは逆に言えば、美術館が展覧会をやっていれば、人の心に余裕を取り戻す助けにもなるってことなんだ。

それが私の働く意味なんだ。

その時の私は、泣き笑いのような変な顔をしていたと思います。

きっとこれは私の仕事に限らないでしょう。図書館も、コンサートホールも、いや文化施設に限らず、飲食店だって、アパレルショップだって、フィットネスジムだって、IT企業だって、誰かの懸命な仕事はきっと誰かの心に明かりをともしているんです。そんな瞬間があるからこそ、働く私たちも笑顔になれるんですよね。

さぁ、今日もはりきって美術館をオープンするとしよう。


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