アートに解説は必要ですか?[学芸員は日々悩む]
仕事で直面する課題をがっつりnoteに書くスタイルでやっております(何じゃそりゃ)。
で、今回は何かというと
美術館に展示する作品に解説文は必要か?
です。
えーと、何でもいいのですが、ちょっと具体例を挙げてみましょう。
イタリア・ルネサンスの宗教画、たとえば「受胎告知」を描いた絵であれば、そのシーンの説明や、描かれたモチーフが象徴する意味などを解説するキャプションがあるのは良いと思います。
尾形光琳の《風神雷神図屏風》であれば、この絵が光琳のオリジナルではなく、宗達が描いた《風神雷神図屏風》を踏襲したものであること、その上でどの部分に光琳の工夫があるか。そもそも宗達の描いた絵にも元ネタがあること、などを説明するのも良いでしょう。
これらはいわば、作品にまつわる情報です。作品を構成する要素を分解して説明したり、作品が生まれるまでの流れを説明したりするのは、鑑賞者にとって親切な解説だよなぁと私は思います。
さて、ここからが問題です。近現代アートに解説は必要でしょうか。
マルセル・デュシャンのレディメイド作品
ジャクソン・ポロックのアクションペインティング
マーク・ロスコのカラーフィールドペインティング
いや、うちの美術館にこんな作品があるわけではないのですが、現代アートという意味では、現役作家の作品を展示することがあるので、一例として挙げてみました。要は、主題や技法ではなくコンセプトそのものがメインテーマになった作品たちです。
たしかに何も言わずに、ポンとこうした作品が置いてあっても、たいていの人がポカンとしてしまうのは分かるんです。で「あぁ、私は芸術が分からないんだわ」となかば自分に自信をなくして帰る、なんてことになったら、それは悲しいですよね。
でもねぇ、作品の横に解説を置いちゃうと、作品そのものよりもまず解説文を読んでしまうんですよね、だいたいの人は。で、その解説に書いてある見方を「正解」と考えて、作品鑑賞がその答え合わせになってしまう。そう考えると、何でもかんでも解説をつけることに、躊躇してしまうんですよね。ひとつの正解を導き出す学校の授業じゃないんだから、と。
それに言葉で説明できないからこそ、アートという形にする必要があったわけです、作者は。それを言葉にしちゃうのって、はっきり言って野暮じゃないですか。
ちょっと違う気もしますが、お笑いをみた後にそのネタがどうして面白いかを解説する、みたいな不自然さ、もっと言えばダサさを感じてしまうわけです、学芸員は。
だからと言って、何も解説なしに、作品だけをポンと置くのもなぁ。と振り出しに戻るわけです。
こんなことをウダウダ考えながら、展覧会ごとに色んな試みをして、お客さんの反応を観察して次にいかす、その繰り返しですね。
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