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「自身を優秀そうに見せる能力」は非常に重要

 社会人になって頻繁に聞く単語に、「優秀」という単語がある。人を評価する際によく使われる単語だが、意味としては非常に漠然としている。しかし、社会人として成功している人間は、往々にして優秀であるという評価を受ける。同期にも優秀という評価を受けている人間もいるし、社内で出世している社員は、基本的に優秀だという評価を聞く。今回は、そんな曖昧な言葉である「優秀さ」について考えてみたい。

「優秀」とは 

優秀さとは一体何だろうか。まず思い浮かぶのは、英語やプログラミングといったハードスキルを習得していること。もしくは地自頭が良い、頭の回転が早いといった頭脳に関する部分だろうか。もちろん、これらは優秀さの一部を成すものではあるだろう。

 しかし、前者のハードスキルは何かを成すためのツールであり、それらを習得しているからと言って、何かを成し遂げられるわけではない。また、頭が良いと言っても、それだけでは圧倒的な差にはならない。頭の良さと言った、人間の基本的な能力の差は、最も低い人と最も高い人で3倍程度の開きと聞いたことがある。基本的に優秀なビジネスパーソンの間で、頭の良さはそれほど大きな差を生む要因にはならないと考えている。

 では、優秀さとは一体何だろうか。私は、この言葉に対して2通りの解釈ができると考えている。

「優秀さ」の2通りの解釈

 まず一つは、成功している人間に対して、周囲の人間が成功の要因もわからないままに優秀という言葉を当てはめているという状況である。周囲の人間からすると、成功者に対して、あの人は天才だから成功したという評価を下すのは気楽なことである。そのため、成功者に対する評価の後付け、総括として優秀と言う言葉が用いられるケースがあるのではないか。実際の成功の要因は様々であり、必ずしもその人間が総合的に他者より優れていると言えないパターンも多々ある。

 そして2つ目は、優秀そうに見せるのが上手い人間が優秀であると評価されているパターンである。優秀さを測定する絶対的な指標は存在しない。そのため、様々な尺度によって人物を評価する際に優秀という言葉が使われるわけだが、本人が自分の能力をいかに周囲に高く見せるかが評価に与える影響は大きい。例えば、話し方一つとっても賢く見える人はいるし、普段の言動から能力が高そうに見える人もたくさんいるが、彼らが圧倒的に能力が高く、結果を残しているとは限らない。何らかのハードスキルを保持していたとしても、周囲にアピールできていないもったいない人材もいる。

「自身を優秀に見せる能力」の重要性

 ここから私が感じるのは、地道に努力を重ねて優秀な人間になることはもちろん大切で大前提ではあるのだが、「自身を優秀そうに見せる」という一つのスキルの重要性である。社会人として、あくまで自分は評価される側なので、他者に良く見られる能力は必要不可欠なのである。もちろん、自身の能力や実績に嘘をついてはいけないが、実際よりも少し良く見せることは大切である。

 しかし、具体的にこの能力の本質を理解するのは難しい。現在は、「自分を優秀そうに見せる能力」は、コミュニケーション能力の一種ではないかと考えている。なぜなら、自身の評価は他者との対話を通して蓄積され、固まっていくものだからだ。コミュニケーションを通して自分の能力を小出しにし、また傲慢になりすぎないことが肝要だと考えている。

 私自身、この「自信を優秀そうに見せる能力」が高いわけではない。しかし、ビジネスパーソンとして上を目指す以上、意識する必要があるポイントだと感じている。もちろん、本来の自分の能力を高めることが何よりではあるのだが、高めた能力を周囲に認知してもらう必要がある。自身が優秀そうに見えるコミュニケーションを意識したいものである。

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