見出し画像

周りからの指摘が辛くなってきた?

教員6年目になるが、周りから自分の学級についていろいろと言われることにストレスを感じるようになってきたかもしれない。。

初任のころはもうなんでも聞きたがり。「〇〇について教えてください!」「どうやったらいいクラスをつくれますか!!」とか。毎日あらゆることを聞きまくっていた。

そんな私が1校目6年目にしていよいよ天狗になってきたのか。いや、それともプライドか。

自分の考えが持てるようになってきたのかな。

教員は人それぞれ皆違う指導の仕方がある。当然、学校全体でそろえていることは別。避難のしかたとかね。いじめ対応なんかは、フローチャート的なものである程度はマニュアル化されているけども、小さいことはほぼ担任任せだ。結果的にうまくおさまれば、それでよしだからね。

学級づくりだって、たくさん本が出ているし。まさに教育に正解がないって感じだ。

そんな「いろいろな指導方法があるよね」っていう私の中での常識。
周りの教諭、支援員や講師なんかもそう。自分のクラスにT2として入ってくるとどうなるか。

一つは担任を見て、児童を見て、「そっと」「さりげなく」指導してくれる(支援してくれる)先生がいるということだ。

これは正直言って、どの先生も口をそろえて「ありがたい」「助かる」「おかげさまで」って言うに違いない。
T1としての立場を失わずに、否定せずに、担任も子どもたちも助かっているからだ。

やっかいなのはそうではない先生。
授業を乗っ取る、大きい声で注意する、突然自分に注目させて全体指導が始まるetc…

最初のころは「気になるところは積極的に子どもたちに指導してください!お願いします!」とか(謙虚で誠実な教員?)言っていたけども。だんだんとストレスになることもあった。

さらに、最もやっかいなのは授業後に話をし始める先生だ。
「さっきの授業なんですけどね、これって・・・(以下略)」
「ここの場面で、子どもたちつまんなそうでしたよ」
「ノート子どもたちわかっていませんでした。」

このようなことを言われた担任のみなさんはどう思うのでしょうか。
果たして「はい!気を付けます!」「あ、そうでしたか、、それは子どもたちにとっても悪いですね。教えていただきありがとうございました。」

と、謙虚に受け入れられるのだろうか。。

2学期が終わろうとしている今、私は「なかなかできなかった」と振り返っている。

どんな仕事であれ、人から指摘されることはあるだろう。経験年数が少ない場合であっても、素直にはいと受け入れる。これはみなさんできますか。
というか「受け入れることが正しい」のでしょうか。

今私が考えていることは、「受け入れるのは自由」ってこと。
受け入れるということは、人からの指摘に賛成しているから。
何度も言うが教育に正解はない。指導法は様々だし、児童生徒の実態によっても異なる。年齢によっても異なる。教師の人柄でも違う。

だから、受け入れる・受け入れないは自由。
その考えは違うっしょ!自分には合わないわ。と思ったら、スルーでいいんだと思う。

ここで私の厄介な性格。バカ正直である点だ。
ちょっと違うかなと思ったら、「それってどうですかね」「私は違うと思います」なーんて言っちゃうのだ。

信頼している先生とは議論することが成長できる。だがおせっかいな同僚とは話しても時間の無駄となるかもしれない。
だから、笑顔で「ありがとうございます。参考にさせていただきますね!」で終わり。これぞ華麗なスルー。
となればGOOD。
私にはまだできんかな。

もう一つだけ。授業の指摘は課題を伝えるだけではいけないと思っている。
とても信頼できる素晴らしい校長と過去に出会った。
その方は必ず良いところをたくさん言ってくれるのだ。
おそらく、その人には沁みついている話し方があるんだと思う。
よいところ3つ→課題・アドバイス2つくらい?→よいところ・励ましなど

こういう話し方だった。プロフェッショナルだと思う。
将来できるようになりたいな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?