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大人の役割

こんにちは。

小中学生で不登校にカウントされる人数がまた過去最高になったという報道が各方面でありましたね。その数24万人。我が家の息子も最近は週に数回登校するという日々でして、何をもって《不登校児》と定めるかというと、年間30日以上の欠席(連続に限らず)ということですから、立派な(?)不登校児と呼べることになりますね。

人数が毎年更新されるのを見るにつけ、学校の何がこんなに子どもたちを苦しめるのかなあと思いを巡らせます。思い当たる節はありすぎますが…。

登校することが苦しくなって、結果学校から離れるしかなくなり、年間30日以上の欠席をすれば不登校と見なされるわけですが、苦しいままに通い続けている子どももいるでしょう。苦しいと自覚があればまだマシで、すでに心を麻痺させて自動的に通い続けているかもしれません。心配です。多少嫌な思いをしながらも、学校毎日楽しいと思えている子どもには、良かった~そのままの日々が続いてほしいと願います。

息子の不登校の日々を含め、もうある程度大きくなった我が子たちの子育てを振り返ると、大人の役割っていうのは子どもに『世の中を、自分が生きるに値するものだと信じられるようにすること』なんじゃないかなと思う今日この頃です。

どうしたらそうなれるかっていうのは、個人的な体験に基く感覚になりますが、『自分を信じてくれたり、助けてくれたりする存在がこの世界に確かにある』と、子ども自身が思えるようになるということではないかと。

まず親から始まり、友達だったり先生だったり、日常的に身近にいる人。その人たちが、自分を信じてくれる。困ったら助けてくれる。なんだかんだあっても受け入れてくれる。そういう存在が多くいるほど、安心感を持ってこの世の中を生きていけるのではないかと思います。そのうちに、誰かから信じてもらえる自分を、子ども自身も信じられるようになる。

でも今の世の中というのは蓋を開けてみれば、親からも学校からも常に頑張りを求められることで“今の自分のままではいられない”という圧を暗に受け取り、ネットの世界には人の裏の顔が溢れ、『自分の頭で考える』『自主性』というお題目のもとに、困っても手を差し延べてはもらえない。そういうことが多いのではないかな。そんな中で、この世は生きるに値するものだと果たして信じられるものでしょうか。

コロナ、戦争、経済その他諸々。この不安定な現在の社会において、そこで生きているだけでもう大人も子供も十二分に頑張っているはず。でもその“今”を、誰からも認められない、信じてもらえない、助けてもらえないのでは、心が脆くなり、苦しくて立ち止まってしまうのも無理ないことですよね。

24万人よりももっといる苦しさを抱える子どもたちが、あたたかで信頼できる人に一人でも多く出会えるといい。難しいことだけど、その一人でいられるように私も生きていけたらと思います。難しいんですけどね、とても…(何度も言ってしまうほどに)

今回も、思いつくままに綴りました。


明日は月に一度の『不登校についてみんなで話す会』です。不登校児をもつ親たちが集まり、自由に話して聴き合う場。

ご参加は原則として『我が子』の不登校当事者・経験者の親御さん対象です。参加者の皆さんが傷つくことなく安心して話ができるよう、ご理解とご協力をお願いいたします。

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