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集合的癒しに向けて・・・

アメリカ発のGAIAジャーニーの中から、この集合的トラウマHubがスタートしてもうすぐ約1年。

日本がまだ見ようとしない日本社会のシャドーや、日本の社会が変わらない原因になるものはなんだろう?1年前にそんな疑問からジャーニーは始まりました。

この1年は、世界中がコロナのパンデミックによって生活が変わっていった1年です。北米では、ブラック・ライブズ・マター、アジアン・ヘイトなど、またマスク、コロナによる制限やワクチンを巡っての分断や日本同様、格差の拡大様々な問題が、さらに表面化してきました。だからこそ、多くの人たちが結束を求めた運動も、あちこちで始まりました。

それらの運動の中で、特に人種差別も含む、格差やそこに付随する様々な社会問題は、植民地化の中で構築されたシステム、構造的な暴力からくるものが多く、この数百年に渡って行われた植民地からくる、構造やシステム、考え方を解体しようという、脱植民地化(Decolonazation)という言葉を叫ぶ人が北米ではとても増えました。それと同時に、資本主義のあり方も問われていて(以前から問われていましたが、さらに声が上がっている)、またどちらにも関係する環境問題・環境正義についても話されています。全てはどこかで繋がっています。

カナダ在住の私は、北米でのコロナ禍で起こった様々な出来事、そこから大きくなっていった運動、活発な変化を目にしながら、常々、日本や特に東アジアの文脈での脱植民地化とはどんなものか?を考えるようになりました。

それはすなわち、現実に構造やシステムを変えてゆくとは、どのようなプロセスを踏めばいいのだろうか?

しかし、何かを変える前に、何がそこにあるのか、それを見つけなくてはいけません。日本でも声がだいぶ上がってきていますが、まだまだ語られないこと、見えていない差別や社会の問題が多くあると思っています。

癒しへ向かうためには、知らなければ、何もスタートしない。現実的な癒しへの一歩を踏み出すには、知ること、すなわち「教育」はとても大きいなと、カナダに住んで、子供たちが学校で学んでいることを目の当たりにしながら、ひしひしと感じるようになりました。

そんな中、そんな気持ちを再確認するような出来事がありました。

先週カナダでは、カナダの先住民族(以下「ファーストネーション」)の方達の寄宿学校跡地から215体の子供の遺骨が発見されたというニュースが飛び込んできました。このような多くの遺骨が一度に見つかったのは初めてだったらしく、それはかなりショッキングな事実が明るみに出ました。ジェノサイドの証拠になりますね。それを受けて国は、ファーストネーションの支援団体からのリクエストで、これは氷山の一角なのではないかということで、更なる調査を始めています。

このニュースが出た翌日には、子供たちが通っている学区の教育員会から、追悼の言葉と、またコミュニティで癒していこうという結束を呼びかけるメールがきました(この一部は後ほど紹介します)。

週が明け、学校へ行った子供たちは、その話が学校で話し合われ、様々な考えをシェアしたそうです。今週はできるだけオレンジシャツをという話と(金曜日はみんなで)、どこも国旗は半分まで下げて、追悼の意を表しています。

今週のカナダBC州では、この話題があちこちから聞こえてきています。話題になるからこそ、知らなかった人も知る機会になる。学校へ通っている子供たちは、またここで差別含めた過去の歴史について考える時間となっています。大人の私は、非営利団体からもメールがきていたし、友人たちが発するSNSの投稿から、またこの歴史についても学ぶ機会になっています。

このようにどんな事があったかが語られ、その事実をしっかり見つめることで、今後このようなことが2度と起こらないように、このような歴史をくりかえさないために、すなわち、差別をどうなくしていくかを・・考えるきっかけになっていると思います。

そんなカナダで起こった一連の行動に私は、この行動全てが、社会においての、現実的な癒しへの一歩なのではないかと感じています。癒しを促す社会を構築するための一つの出来事だということです。

では、なぜカナダでは、このような行動が、この数日の間に起きたのでしょうか?

その理由に、カナダの国家が100年以上にもわたり、ファーストネーションの方達へ行われた民族浄化と言われている寄宿学校を作り、(中には誘拐という形で)親から引き離し、子供達を入れたこと。またそこで行われた虐待の数々が、今も人々を苦ているという、その歴史的事実を認めて謝罪した、という経緯が一つにあります。

さらにその謝罪から、従来の、国が(加害者側が)一方的に決めた償いでもって補償をする・・というやり方ではなく、国がどのように償って行けばいいのかをファーストネーション主導で決めてゆくことも含めた、「真実の和解委員会」という、修復的正義による和解のプロセスを実行した、という事が大きいと思います。

真実の和解委員会とは?

真実和解委員会(しんじつわかいいいんかい)とは、独裁政治や内戦や人種差別など、公権力や軍事力により、あるいは、政府の機関と在野の組織との間におけるテロリズムなどの暴力の応酬などにより、かつて人々の生命や自由などに対する深刻な人権侵害が生じた過去の歴史を抱える国々が、そういった過去の過誤を発見・公表することで、人々の間に過去から積み重なった軋轢を解決するために、それぞれの国ごとに設置された同種の委員会などを呼ぶ総称。それぞれ、その目的や設置主体は様々である[1]。

最も代表的な例としては、南アフリカ共和国におけるアパルトヘイトに対して設置された南アフリカ真実和解委員会(英語版)が挙げられる[1]。(ウィキペデイアより)

真実の和解委員会は、様々な国や地域で活用されている修復的正義のプロセスです。

ではカナダではどんなプロセスが行われてきたのでしょうか?

カナダとファーストネーションの関係性、歴史の中でファーストネーションの方達が声をあげ続け、国とファーストネーションの方達の間で様々な話し合い、尊厳や権限を取り戻すプロセスは以前からもすでに始まってました。カナダの国とファーストネーションの方達の関係性やその政策の変化は下記のサイトを参考にしてください。

この長い間のやりとりが、国が政策として行なってきた寄宿学校についての謝罪をして、真実の和解委員会が立ち上がることに繋がってきます。

カナダで行われた真実の和解委員会からの教育の変化(ブリティッシュ・コロンビア州の場合)

カナダで「真実の和解委員会」が立ち上がり、その和解プロセスを通して明らかになったことや提言を反映させるために、ブリティッシュ・コロンビア州では2015年から、義務教育である幼稚園(K)から高校までのカリキュラムにファーストネーションの歴史を必須科目としました。そして2018年に新しくなった、保育士(Early Childhood Educater:ECE)の教員になるための指針にも盛り込まれています。

カナダにおいての真実と和解のプロセスは下記も参考にしてください。

私の子供たちは、ちょうどその頃(2015年)、下の子が幼稚園でキンダー(K)に入ったばかり、上の子は小学校の2年生。私はカナダに住んでまだ数年の新しい移民1世。

子供たちを通して、カナダの真実の和解委員会のプロセスが、どのように学校で反映され、私たちの中に浸透していったか、流れの中で知らず知らず体験していたなと思います。

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例えば、毎年9月30日には、「Every Child Matter」の標語を掲げて、オレンジのシャツをきて学校へ行き、その日は毎年この先住民寄宿学校について話し(=差別について学ぶ)、考える機会となっています。(オレンジシャツ・デーの由来はこちらを参考にしてください)

また学校の何らかの集会や式典があるとき、挨拶の冒頭で必ず、この私たちが今立っている土地が、どのファーストネーションの方の土地なのかを言葉にして、そこを借りているということ、敬意と感謝の気持ちを表明します。それはアメリカとは全然違うので、びっくりしました(ちなみに、今アメリカの一部ではその動きがあります)。

そしてある日は、先住民のエルダーの方がいらして、全校生徒が、その方から織物を学び、それをつなぎ合わせてタペストリーにするというワークショップがあったり。私はボランティアでクラスルームに入り、そのアシスタントしました。

そんな延長線上での、つい先週のこの出来事です。あのニュースの翌日に、冒頭でも書きましたが、子供の通う学区域の教育委員会からも手紙が来ました。今日は学校からのニュースレターにも校長先生からの言葉が書かれていました。もちろん、私が働いている非営利団体からもディレクターから職員に一斉メールがきました。このような事があれば、話したいと思うファーストネーションの被害者の親や生徒は恥じらう事なく気持ちを表現できるし、また周りもそこに寄り添う、深く耳を傾けるという共通理解が出来上がります。それが癒しの繋がり、場を作るアクションの一つだと思いました。

また、このことを受けて、ファーストネーションの方達によっては心が揺れ悲しみが湧き起こったり、気持ちが大変な方への対応として、公的機関でのクライシスラインやカウンセリングも即立ち上がっています。これも、今回のことで気持ちが揺れ動いたり、メンタルに支障が起きても、それは普通な事、といった認識になります。語る事がしにくい雰囲気は、話す事自体に恥ずかしさ・・を感じるものとなるので、助けは求めることは難しい上に、心の傷はさらに深まります(むしろ語れなくて、癒す場がない、介入できないために、トラウマは深く刻まれてしまう・・)。

学区の教育委員会からきた手紙の文章で、とても心に残った言葉がありました。それをここでシェアします。

As a reminder of our collective commitment to protect and create safe learning environments for youth to share their voice. In difficult times, it is even more important to lift each other up and continue the healing journey together. We will be offering the Indigenous Education Team time to heal through a drum circle and will be connecting with school learning communities to ensure they have what they need to lead during this time.

私たちは、若者が自分の声を上げることができるように、安全な学習環境を守り、作ってゆくという、共同で行われる約束を覚えていなければいけない。困難な時代には、お互いを励まし合い、共に癒しの旅を続けることが一層重要になります。今回、私たち先住民教育チームには、ドラムサークルを通じて癒しの時間を提供し、学校の学習コミュニティと連携して、この時期に指導するために必要なものを確保する予定です。

As a district, we will keep working closely with Elders, listen, deepen our understandings, reflect and act, as we continue our journey together toward meaningful change.

学区の教育委員会としては、長老(エルダー)の方々と緊密に連携し、耳を傾け、理解を深め、反省し、行動し、意味のある変化に向けて共に旅を続けていきたいと考えています。

社会を変革していくことは、1度やっておしまいではなくて、このようなアクションを継続していくことだと思います。現実的に考え続けること、学び続ける姿勢、そして、自分のできる範囲で良いから(小さなものでも)アクションをする、その積み重ねが癒しを促す社会を作ってゆくのではないかと思いました。

知らないことを知ろうと勉強し続け、相手の話に深く耳を傾け続け、それを自分の心で深く感じ続けること。

このような事実が発見されると、驚きとショックと、また被害者にとってはトラウマを再燃させることにもなり、苦しい時期でもあります。だからこそ、そのような機会を通してみんなで和解と癒しの旅を続けていく必要があるのだと思いました。

それでもカナダでは、学校でのいじめはゼロにはなっていませんし、差別だってまだまだあります。コロナ禍でそれは、悲しいけれど、アジアン・ヘイトも増えましたし、そして私はクライアントさんからも(アジアンヘイト以外の)差別の話を今でもきいています。

だからこその継続。すぐに無くなるわけではないから、声を上げる、語る、心から安心して誰も暮らせる社会を一緒に作っていく、それを応援し支えある人たちと環境。そんな一人一人の思い、意図とアクションがとても大事だと思いました。

カナダで起きていることは、日本に住む方たちにとっては、遠い出来事だとは思いますが、これは一つの、癒しを作る社会・コミュニティの構築プロセスの例として考えても良いと思います。

他の国で起こっていることだと距離を持つのではなくて、この事例を、自分の国に当てはめてみて、どんな風になるのか?考えてみる良い機会ではないでしょうか?

最後にこちらの記事から抜粋して、言葉をご紹介します。下記の先住民とそれ以外の民族の下りの部分はどのような人を当てはめても良いと思います。

カナダでエキュメニカルな正義に関する取り組みをしているカイロス・カナダの事務局長であるジェニファー・ヘンリー氏は、差別と虐待のシステムを変えることには、過去を新しい形で理解することが含まれると言う。

「私たちには、この国がどのようにして建国されたのか、そしてそれがどのようにして現在私たちが直面している状況や困難のいくつかにつながっているのか、についての新たな理解が必要だ。課題は、先住民族とそれ以外の民族との間の公平さにおける格差に、意味ある形で取り組もうとすることだ。それは新しい未来についてただ語るだけであってはならない。それは和解についてただ語るだけであってはならない。それは意義深い行動を通じたものでなければならないのだ」

日本という国が、どのような経緯で、今の日本になったのか?そして日本には今、どんな人たちが住んでいるのか?歴史的な経緯はどんなことなのか?癒しの社会作りは、まずはそこを見つめることから始まると思っています。

差別の問題は、何も人種・民族間だけで起こる事ではありませんが、日本にもカナダと同じく先住民であるアイヌの人たち、そして沖縄の人々、在日コリアンや華僑の方々も住んでいます。現在も様々な国から日本へ来ている外国人の方達、またその子供たちが暮らしています。

その他にも、ジェンダー、性的指向、身体・精神障害、経済的背景、地域、学歴、宗教、家族構成などなど・・・実に様々な部分で不公平、偏見や差別は見る事ができます。そしてその差別を作ってしまうシステムや構造もまだまだあるなと思います。

そのような事実を知るためにも、やっぱりそれを知って、考えるという入り口になる教育は本当に大事だと実感しています。

世界中にある集合的トラウマが、少しでも癒される道へと進むことができますように・・・

カナダ在住心理カウンセラー:加藤夕貴

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