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登山雑感20220709

皆さんどうなのだろう。
高速道路で速度域がその車(ドライバー)によって違うように
登山も歩行ペースは人それぞれ
それを過剰に気になることはないか?

単純に体力なくてノロイという要因だけでなく花や風景を撮りながら進む
「撮り山」(撮り鉄に文字ってみました)はホントにゆっくり。
対極はトレイルランしている人。登りでもジョギング程度の速度か、それなりのランニング程度の速度で走っている。
登りの方が重量に逆らう分パワーは使うが実は下りの方が足への負担は大きく、下りのランニングは怖い。

あるいは登山慣れしている人は特に下りのペースが妙に速い。岩から岩へジャンプしながら小走りのようなペースである。

そういう人が後ろにいたら、しばらく止まり避けて先に行かした方がよい。

山でまで煽られるのは日常煽られてストレス発散に自然に来てるのに本末転倒であるから。

一方であまり後ろの動きは気にしないという作戦もある。

後ろは後ろで抜いたら今度は追われるプレッシャーがあるから抜きたくなくて、ペースを落としたり、早めたりしている。
自身に照らしてもそうしている。

なので先に行かせるのは親切なようで余計なお節介というか、先頭を押し付けやがってと内心舌打ちされる可能性すらある。

だからあまり後ろの動きは気にしないでこちらのペースを保つのがいい。
それでも追いつかれたら抜かせる。
気を使い過ぎてペースを後ろに合わせるとストレスだ。自分のペースを乱されるストレスは大きい。

人生もまさにそれに準じている。
勉強も仕事も資格取得も何らかの技能習得も肉体改造も自分のペースがあり、それを外野がお節介に指示をしたり、後ろから煽るようにプレッシャーをかけるのは間違いである。

前にも述べたように、「疲れた」「めんどくさい」という言葉は発声しなとも心の声でも、負の暗示効果が大きい。扁桃体に不快感を植え付ける呪文だからだ。
そのカラクリを常に念頭に置いていれば、登山中に疲れたと思うこともなくなる。いや、意識的にそれを封印するはずだ。

疲れとは、脳が概念的に感じているが、実は身体は大して疲れていないことも多い。身体ら遺伝子を運ぶノアの方舟に過ぎず多少無理してもさして問題ない。
いざとなればダース・ベイダーのように7割機械になってサイボーグとしていきても良い。

登山していて先に進むモチベーションは好奇心だ。この先どうなっているのか?という期待。

じゃあ、前にも登った同じ山は甲府が掻き立てられず、つまらないかというとそうでもない。
山は一日ズレるだけで大いなる季節変化を遂げるので、毎日でも好奇心が保てる。

あと初めての山は不安や恐怖があるから純粋に楽しさだけでないケースもあり、二度目、三度目も好奇心を維持しながら安堵感を感じて包まれる感覚で登れる。

根子岳2回目がまさにそうでしたね。

危険はどこにもある。
クマ、サメ、スズメバチ、マダニ、サソリ、
サンダー、雪崩、崩落、落石、滑落

しかし山だけが危険ではない。
元首相やミュージシャンだけでなく、東京駅を歩いているだけで一般人が発砲に巻き込まれることもある。電車車内には刃物をもったクレイジーな人間が暴れたり、某国がミサイルを打ち込んだり、隕石だって山にも街にも落ちる。

気にしだしたらノイローゼになる。

だから正常性バイアスを発揮して、あるいは諦観を発揮して、気にせず道を進む、これしか山道ヲ進むことも、街中を歩くことも、人生を歩むことも最善の策は他にない。

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