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バックカントリー・雪崩リスクから見る、コロナ政策の批判の考え方

こんにちは、がっきーです。

コロナなど感染症もまたその対策も、だいぶ身近に、そして人生の一部になってるんじゃないかと思う今日この頃です。

テレビをつけてもやれ「日本政府はリスクを分かってない」「政策がダメだ」など、日頃のストレスのスケープゴートに政府批判が使われている印象です。

イケてないなぁーと思う政策なども、自分が同じ立場で、適切に判断ができるのかと想像すると全くできる自信はないです。

そんなちょっとしたもやもやの中、すごく考えがしっくりくるというか、腹落ち感の高い考えに出会ったので忘れないように、また他の人の参考にもなればと書くことにしました。

僕の趣味はバックカントリースノーボード

その前に僕の趣味はバックカントリースノーボードです。

知らない人にその趣味の説明をすると

バックカントリースノーボードとは

スキー場など人工的につくられたリゾートではなく、バックカントリー(自然の山中)を滑るスキー、スノーボードのスタイルである。徒歩あるいはリフトや車両、ヘリコプターを利用して雪山を登り、リゾートエリア外(オフピステ)を滑る。リゾートのように管理された範囲外での滑走となるため、より高度な滑走技術だけでなく、雪崩のリスクマネジメント、応急手当など、安全に関わる知識を学ぶことや、専用の装備が必要である。

要は、スキー場外を滑る大変に危険な遊びなのです。

多くの方がバックカントリー中に遭遇した雪崩で亡くなったり、負傷したりしていますが、自然豊かな雪山、幻想的で厳格な姿とその斜面を滑る幸福感に魅了され、今なお多くの愛好家(もちろん大多数からしたら一部ですがw)が愛してやまない、エクストリームな遊びなのです。

その様子はYouTubeで配信しているので、ぜひ見てみてください。自分で言うのなんですが、結構面白いですよ!笑

危険だからこそ、批判の的になるバックカントリー

バックカントリーは雪崩に遭遇することが多々あります。その雪崩は命を落としかねないものもあり、遊びの特性上、危険かつアクシデントがあったときの救助など社会的負荷(お金や人的な労力がかかる)から、ニュースになると、多くの方から批判の的になります。

「スキー場を滑るなんてありえない」「このご時世に何をしているんだ」などヤフーニュースのコメント欄が炎上っぽくなることもしばしば...

少数派なこともあり、理解が得られない方々も数多くいらっしゃいます。

私は、法律で禁止されていない以上、日本国民として誰しもが楽しむ権利があり、また文明・文化の発展には人間特有の遊びや娯楽(余白)が必要不可欠であると考えています。なので、今後もこの遊びをやめるつもりはありません。

というかこれのために生きていると言っても過言ではありません。

そもそも雪崩を誘発したい、事故に遭いたいわけではない

いちばん大事なことです。

バックカントリー愛好家は雪崩を誘発して命を落としたいわけでなはい

ということです。もちろん遊びの性質上、命の危険はあるのですが、命を落とす危険なことをしたいわけではなく、自然が作り出すきれいな斜面を気持ちよく滑りたい。これに尽きるのです。

だれも命を落としに行くのではないし、もしそうなら別の方法を選ぶべきです。

なので愛好家はその時の自分が持てる知識・経験をフル活用して、安全な方法を選ぼうとします。そして可能な限り安全に目的を達成できるように選択をします。

それでもその選択が間違っている事があり事故に発展するケースもあるのです。

そんな批判もある遊びですが、とても腹落ちのする考え方に出会いました。

リスク顕在化後の批判は後出しジャンケン

 個人のFaceBook(公開設定)で流れてきた内容です。

https://www.facebook.com/Takuro.TK.Hayashi/posts/10214486159426059

以下、雪崩事故に関して思う主張者の考えです。

1)報道だけでは判断できない
人は事故にあたっては、順を追って経緯を話すものです。報道にあるように自分の行動をひとことで総括できるものではありません。
〜〜〜〜中省略〜〜〜〜〜 つまり、報道から遭難の実態はわかりません。だからこそニュース報道を見て「考えが足りない」「判断が甘い」と評することは早計であり、意味がないと思っています。
2)遭難者の判断を批判しても意味がない
 あの天気図で行くほうがおかしい。あんな状況では普通は行かない。いろいろな意見が出てくるのは仕方ありません。
 〔中略〕 けれど批判者は事故によって顕在化したリスクに、潜在化していた段階から気づくべきだったと言っているわけです。それはまるっきり後出しジャンケンです。
 これは確信ですが、僕らがいくら勉強を重ね、経験を重ねても潜在化しているリスクを完全に見通すことはできないでしょう。
 〔中略〕だからこそ僕らがとるべき態度は「それ見たことか」ではなく、謙虚な態度で学ぶことを続けながら「正しく恐れる」ことでしかないと思います。その上で、どんなにレベルが低いと思うようなことであっても遭難者の判断を正面から受け止め、そうした滑り手がいることもまた現実の一端であり、「まさか」の一部なのだと理解することだと思っています。

すごく理解が深まりました。

実態を切り取っただけの報道では判断できない。

自分が一番腹落ちしたところは

批判者は事故によって顕在化したリスクに、潜在化していた段階から気づくべきだったと言っているわけです。それはまるっきり後出しジャンケンです。

謙虚な態度で学ぶことを続けながら「正しく恐れる」ことでしかないと思います。

です。この考えで自分の中のバックカントリーの批判に関する、腹落ち感が非常に高くなりました。

つまり、リスクが潜在的なときは誰しもが最大限目的を達成するために安全にかつ、冷静に判断しようとしたわけです。けれどもアクシデントがおこってしまった。そのことでリスクが顕在化した。その顕在化したリスクに批判をしたとしても、潜在的リスクへの警告にはならないということです。

我々は起こったアクシデントを精査、正確に把握し、謙虚に学び続けることで次に起こりうるアクシデントに備えることが一番大切だ、ということです。

コロナ関連の批判も後出しジャンケン

まさにこの考えはコロナ関連の政治・政策批判にも全く同じことが言える。のではないかと思いました。

政治家はコロナ収束と経済効果第第化に向けて、持てる知識・経験をもとに最大限の決断と実行をしている。

起こったアクシデントについて、リスクが顕在化した後の批判は単なる後出しジャンケン(そんな事はわかっておる!と言いたくなりますよね)

我々は顕在化リスクをしっかり分析して、次に活かす事が何よりも大切

上記の考えは、これはコロナ関連の批判やその他の内容でも大いに当てはまることです。

ぜひ、今後も顕在化したリスク・アクシデントに対して誠実に分析・精査して次の社会の発展に活かして生きたです。

またこの考えをもとに、どうしたら良いのか、最後は自分で決断することを心がけていこうと、そう思える一連の考えでした。

https://twitter.com/takuya_hyon/status/1355639870878674945?s=21

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