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産業医活動の落とし穴を回避するためのヒント

ガチ産業医ブログでは多くの落とし穴を紹介しております。そして、その落とし穴を知ることで、落とし穴にハマらないことを強くみなさんに伝えているつもりです。しかし、それでもやはり落とし穴にハマってしまう方はいるでしょう。落とし穴を知ることだけでは、落とし穴は回避しきれないと思うのです。そこで、本記事では、落とし穴を回避するためのヒントを説明したいと思います。


臨床医マインドからの脱却

臨床医マインドと産業医マインドの対比

臨床医マインドからの脱却(有料記事)」と「産業保健(産業医)マインドとは(有料記事)」でも説明した通り、産業保健現場で働く以上は、産業保健(産業医)マインドを持つことが極めて重要です。詳細は、それぞれの記事に譲ります。

活動の可視化

産業保健活動(安全衛生活動)を可視化することは、落とし穴にハマらないためにとても重要な方策です。なぜかといえば、可視化できていないことは活動が把握できていない(わかっていない)、誰かに説明できる状態にない、他社とも比較できないし相場との乖離がわからない、PDCAサイクルがまわせない、ということだからです。逆に言えば、活動を把握し、誰かに説明することができ、他社との比較や相場との乖離がわかっており、PDCAサイクルがまわっていれば、そうそう変な産業保健活動ではないということでしょう。

可視化そのものが難しい場合には、自分の担当している企業のことをプレゼンする機会をもつだけでもよいと思います。例えば、次のようなものです。「私が担当している企業は、**県の製造業で、従業員300名で平均年齢が40歳中盤くらいで、男性が八割くらいです。主に作っているのは、自動車の**というパーツを作っていて、最近は電気自動車の台頭で比較的斜陽の産業となりつつあります。トップは親会社からきています。従業員は安全意識は高いのですが、健康意識はやや低めです。製造業ということで身体を動かすのですが、喫煙率が40%と高めで、飲み会も多くて、地方柄ラーメンを食べる方も多いのか、血圧が高い方が多いです。最近は、中堅どころが少なく世代格差のせいかハラスメントが顕在化していたり、すぐ辞めてしまう若手が多いことが企業として大きな課題となっています」
こうしたことは、1分くらいで喋れる内容ですが、企業のアセスメント・企業の状況をある程度把握し、業界的な相場観や、他社の状況もつかんでいるからこそ、シンプルに言えるものだと思います(いわゆるエレベーター・トークと呼ばれるものです)。産業保健職同士で会話をする際などに、みなさんもぜひやってみてはいかがでしょうか?

フィードバックをもらう

フィードバックをもらう機会・場をつくっていくということも非常に重要です。特に産業保健職は、指導・指摘を受ける機会はほぼ稀で、OJTを受けたことのある方も非常に少ないのではないでしょうか。だからこそ、自分から積極的にそのような機会をつくりにいかなければならないのです。それはできていないことを曝け出すことであり、恥をかくことでもあります。(特に比較的年齢を重ねてしまうと恥をかけなくなってしまうことも落とし穴)しかし、そのような機会をつくらなければ、自分のやっている産業保健活動は落とし穴にハマったものになっていくでしょう。自分たちの活動を積極的に情報として出していくこととして、例えば学会や、研修会、グループワーク、専門職コミュニティ、SNSといったものがあります。自分の活動を言語化し、そのフィードバックをどんどんつくっていきましょう。

内省する

産業保健活動は、日々、振り返って内省の繰り返しです。自分自身の業務を振り返るか、内省するかどうか、ということはあくまで任意であり、ほどほどでもいいのではないか、という方もいるかもしれません。しかし、産業保健は振り返りや内省を意図的に行わなければ落とし穴に気づかないという構造的な問題があります。そのため、落とし穴にハマりたくないという方に必ず振り返りと内省が求められると思います。それはなぜか、を説明します。

予防医学特性

産業保健のターゲットの多くは働ける程度に元気で、みな職域世代と若い方たちです。そして多くの場合、産業保健が関与する事象は、緊急性や致命性、重篤性がないようなことばかりです。そのため、産業保健の介入によって、誰かが亡くなったり、重篤化しませんので、すぐに結果が返ってきません。介入したことの効果は誰も分からないのです、もちろん良かれと思って介入するでしょうし、感謝されることも多いと思います。しかし、「産業保健活動の侵襲性を考える」でも言及した通り、産業保健活動の介入によっても、労働者に不幸はもたらしえます。このことは、盲目的に産業保健活動を行っていればほとんど気づくことはないでしょう。
 「本当にやっていることは正しいのだろうか」
 「この介入はこの方の人生にどんな影響があるのか」
 「産業保健職が関与しない方がよかったのではないか」
 「この介入に科学的根拠はあるのだろうか」
そんな問いを自身に投げかけ続けなければ、そして適切な根拠を調べようとしなければ、ほとんど必ず、落とし穴にハマると言っても過言ではないと思います。予防医学ゆえに気付けないですし、予防医学ゆえに罪深いこともあるのです。臨床のように心電図モニターからアラームが鳴ることはありませんし、血液検査でパニック値も出ませんし、患者が亡くなって家族に責められることもありません。産業保健は自分で自分にアラームをつけ、自分で活動に線引きをし、自分で自分を責めなければならないのです。予防医学は誰がやってもほどほどにできてしまうのですが、不勉強なものが安易に盲目的にやると意図せず不幸をつくってしまうのです、本当に怖いですよね。

少人数性

産業保健活動は一人ないし少人数で行うことが圧倒的に多く、他の産業保健職と事例検討会(カンファレンス)を行うことは稀です。仮に、産業保健活動で従業員に対して損害を与えてしまっても、再発防止のためのミーティングを開催しないところも多いでしょう。そもそもする相手がいないという企業も多いと思います。一人で内省もできますが、やはりチームで振り返りを行う方が効率は良く気づきも多いでしょう。気乗りしなくても振り返りせざるをえない仕組みはチームがなければできません。人は怠惰な生き物であり、業務に忙殺されれば、わざわざ失敗事例を振り返ることはありません。一人ないし少人数であることは振り返りがなされないことに直結するのです。二人であっても意図的に振り返り(雑談程度でも)を行う機会を設けていく必要があります。

密室性

仮に人数が複数名いる産業保健体制であっても、密室性が高いこともあります。つまり、他の産業保健職がなにをやっているかお互い分からないということです。業務は各自それぞれで行い、カルテ・面談記録すらほとんど共有されず、お互い担当業務を分ける、業務の陪席(オブザーバー参加)がない、OJTがない、事例共有の機会がない、といったことです。
 企業ごとの密室性も構造的な問題です。つまり、企業の活動は独自の路線で進むこともあり、誰かのエゴ(独善)で産業保健活動がなされてしまうこともあります。臨床の場合は多くの医療従事者が関わり、流動性も高いため、ある程度は強制的に外部の目、外部の風が入りますが、産業保健活動はそうではありません。十数年ずっと同じメンバーで謎の産業保健活動が行われているという話も(稀ではあるでしょうが)実際に聞いたことがあります。企業の活動はえてして公開されにくいということも、産業保健の構造的な問題であり、意図的に振り返りを行わなければいけない理由でしょう。

以下の図は、Gibbs' Reflective Cycleというものです。自身の産業保健活動を内省する際にとても役立ちます。日々の一つ一つの活動を内省できるかどうか。その丁寧な積み重ねが落とし穴にハマらない産業保健活動をつくるのだと思います。

Gibbs' Reflective Cycle

行動原理をもつ

産業保健活動は悩ましいことばかりです。そして、関係者(本人、人事担当者、職場上司、経営者、家族、主治医など)はそれぞれベクトル・思惑・希望が異なります。その狭間で産業保健職は動かなければなりません。そのため、行動原理として、共通概念、共通言語を持ち、さらにそれを関係者とも共有することは非常に重要です。これはつまり、なぜやるのか、なぜやらなければいけないのか、ということを明確にするということに他なりません。そして、共通概念を共有できているからこそ、関係者間でwin-winの最適解や合意形成にたどり着くことができるのだと思います。

①「事例性」

産業保健では、病気かどうかは重要ではありません。労働者が病気であろうと、病院に通っていても、障害があっても、業務が遂行できていればOKです。診断名や、確定診断、治療状況などにこだわる必要はありません。しかし、逆に事例性があれば対応が必要になってきます。産業保健職は、事例性をきたしている原因として病気が潜んでないか、受診の必要性などを検討することになります。

参考)
事例性の覚え方その1 KAPE
 K:勤怠=欠勤、突発休み、遅刻、早退など勤怠の乱れ
 A:安全=現在、未来において安全に自他ともに通勤・勤務が出来るか
 P:パフォーマンス=パフォーマンスが低下していないか
 E:影響=周囲への悪影響を及ぼしていないか

②「安全配慮義務」

企業には、従業員と労働契約を結ぶことで安全配慮義務・健康配慮義務が課せられています。産業保健職は、従業員の健康の問題の予見性や結果回避措置について専門家の見地から助言が行うことになります。働く現場における健康の問題は、働き方によるものから、個人によるものもあり、なんでもかんでも企業の責任でやるものではなく、企業としてどこまでやるべきかはあくまで安全配慮義務の文脈で検討する必要があります。なぜやるのか、どこまでやるのか、ということ考えたときに安全配慮義務を共通概念として持つことが非常に重要です。業務に起因しないものは自己保健義務とも言えます。

③「適正配置」

人を仕事に適合させるという落とし穴」でも言及した通り、産業保健の目的は「適正配置」であり、「働く人の健康状態と仕事との調和」です。我々産業保健職は、働く人と、働き方にアプローチしますが、その原理は、働く人の健康状態と仕事を調和させるためです。そして、この調和を図るためには、「仕事を人に適合させる」が優先であり、その次に「人を仕事に適合させる」ことがあるということです。最近は、特に産業保健のカバー範囲が広がってきたように思います(例:健康経営、SDGs、ESG、Well-being、幸福など)。しかし、本来的な役割は「適正配置」であるということは忘れてはいけないと思うのです。

④「職業倫理」

産業保健職として判断に悩む機会は非常に多いです。あえて2項対立として単純化すれば、企業か労働者か、組織か個人か、公平か特別扱いか、働くか健康か、お金か健康か、法律か自律か、といったものです。産業保健職はこれらの狭間で悩み苦しむ職業です。もちろん、前述の「事例性」と「安全配慮義務」という概念に沿って判断することでも多くの問題は解決すると思います。しかし、グレーゾーンも多く、やはり自分の判断は正しかったのか悩むことがあるでしょう。それは、常に内省をしている人ほどそうなのだと思います。例えばとして、2つの事例を挙げます。

事例1
職場巡視をしていて、とある設備の不安全箇所を見つけました。産業医としては、非常に危険であり従業員の命に関わるため改善を助言します。しかし、担当者は多大なコストがかかるため、場当たり的な措置しか対応してくれませんでした。翌年にも、同じ職場を巡視した際、やはり十分な対応ではなく、改善が必要であると助言します。しかし、担当者の対応は変わりませんでした。その半年後、その設備で従業員が亡くなってしまう労災が発生してしまいました。この産業医としては、やるべきことをやったと言えるのでしょうか?より強く訴えかけるべきだったのでしょうか?勧告権を行使するべきだったのでしょうか?

事例2
ある年の人間ドックの結果を見ていると、ある部長の脳のMRIの結果に「動脈瘤」が見つかりました。本人には精密検査の勧奨はしましたが、その後返事はありません。別の日に、役員がふらっと健康管理室に立ち寄り、部長を将来は役員に就かせたいから、経験のために海外支社(某発展途上国)の支社長に就かせようと思うんだけどどう思う?と内密に尋ねられました。もちろん脳MRIの結果は個人情報ですので伝えられず、曖昧な返事をしてその場は終わりました。その後、部長が海外に赴任したという話を聞きました。さらに半年後に、その部長が脳出血で亡くなったという話が入ってきました。
 日本での発症であれば、医療も充実していて助かったかもしれません。産業医として赴任を止めていれば脳出血も予防できたかもしれません。もっと受診勧奨を繰り返し行っていればよかったのかもしれません。産業医としてはどのように対応すればよかったのでしょうか?

この事例のように労働者が亡くなる事例は稀でしょうし、産業保健職が関与できる余地もほとんどないことは多いでしょう。しかし、産業保健職としてもう少し何かをしていれば不幸な結果を防げたという事例はいつ起きてもおかしくありません。良くも悪くも産業保健職には情報が入ってきたり、意見できる立場にあるからです。このような事例に対して、課題の分離として産業医としての責務を超えているし、やるべきことはやったと思うこともできるでしょうし、何かできたかもしれないと思うかどうかも産業保健職次第です。しかし、このような悩ましいことや迷えることが起きるからこそ、産業医が頼る一つとして「職業倫理」があるのだと思います。日本産業衛生学会から、産業保健職の倫理指針が出されていますのでぜひ必ずお読みください。

参照
産業保健専門職の倫理指針
産業医の倫理綱領 平成10年11月 健康開発科学研究会
藤野 昭宏(2013).産業医と倫理 - 産業医に求められる倫理と使命 -
産業医科大学雑誌 第35巻 特集号 『産業医と労働安全衛生法四十年』: 27-34

行動原理の限界

「事例性」も「安全配慮義務」も、ある意味では企業としてどこまでするべきか、労働者はどこまでやるか、を考えるための概念です。そして、「適正配置」や「職業倫理」は産業保健職はどこまでやるべきか、という考えるための概念です。もちろんそれらは原理原則でありながらグレーゾーンがたくさんあります。産業保健職は、医療職として救いたい、支援したいという思いを持っている方も多く、「事例性」や「安全配慮義務」を広く取ってしまう方も多いように思います。この辺りは、原理原則に縛られすぎず、柔軟に対応してもよいとは思いますが、原理原則に立ち返る癖を持つということも重要だと思います。

仕組みづくり

産業保健活動は「仕組み化」することで、エラー(落とし穴)を減らすことができます。というか「仕組み化」しなければ、エラー(落とし穴)は起き続けます。未だに就業規則や会社のルール、マニュアルに落とし込まれていないことは非常に多いです。休復職のルール、健康診断、個人情報管理、BCP(事業継続計画)などはその代表格です。これらを仕組み化する過程は、関係者間で考えを共有し、明文化することになり、この過程で多くの落とし穴が回避できます。いくつかのヒントとしては、まずは厚生労働省から出されている指針や手引きを確実に抑えましょう。産業保健活動を過度に属人化・密室化させないようにしましょう。産業保健活動を社内で周知しましょう。産業医ありきの仕組みにしないことも重要です。産業医がいなくても、代わっても回る仕組みにしましょう。その人だけが分かっている状況(暗黙知)ではなく、形式知化していきましょう。これらを進めていくことこそ、産業保健活動を推進していくことに他なりません。

コミュニケーションを尽くす

企業や労働者からみれば、産業保健職はいまだ謎多きものです。健康経営が普及し、産業保健がある程度浸透してきた今でもなお、産業保健職に対して多くの誤解・誤認があります。なんなら、産業保健職自身もその役割を履き違えている方も多いのかもしれません。過大にも過小にも。産業保健活動は、そのような誤解・誤認に多く潜んでいます。前述の通り、可視化したり、行動原理を共有したり、仕組みづくりを行うことも、その解決には寄与しますが、結局はコミュニケーションを尽くすことが大切なのだと思います。これは、本当に愚直なまでに、繰り返し繰り返し、丁寧に真摯に、当たり前のことを馬鹿にせず、やる必要があると思います。ことあるごとに、面談の度に、講話の度に、会議の度に、コミュニケーションを尽くすことが必要なのだと思います。適切に「役割分担」を行うためには、それぞれの役割を認識しなければなりません。大丈夫です、ほとんどの場合、産業保健職はなにするものぞ、と思われています。愚直にコミュニケーションを尽くしていきましょう。

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