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Dear Hopeful Children

「女の人が総理ぃ?なんか変な法律とか作りそうでやだよ」

ふと、手にしていたテキストを閉じ、授業を中断した。


私は塾講師をしている。対象は小・中・高校生で、界隈ではかなり有名な個別指導塾であるといえる。(「Y(やれば)D(できる)K(子)」のCMでお馴染みといえば伝わるだろうか)

先日も小学2年生に国語の授業を行っていた時のこと。
「登場人物の気持ちがどのように変わったか、正しいものをえらびなさい」
「このとき○○は、なぜこのようなことを言ったのでしょうか」
いわゆる教科としての国語が苦手な生徒は、大体この辺りの問題でつっかかる。「書いてないのに、本の中の人の気持ちなんてわからないよ」と。

どうでもいいが私は幼少期から読書好きだったからか、国語は高校生まで一貫して成績が良いほうで、逆にできないという人にどう解説していいかわからない。数学のほうが意味不明、消えるべし。などと言っていた。

、、とまあ、そんな不安も杞憂に終わり、件の生徒はおしゃべり好きなのもあって、大きめのボリュームで問題文を声に出しながらスラスラと解き進めていた。

そのさなか、冒頭の発言である。

「んんー?どうした○○君」
「これさあ、読んでよ。」
物語の舞台は小学校。「あたし」は、ある日同級生に「こいつは一年生のとき、七夕の短冊に『将来総理大臣になりたい』と書いていた」と広められ、クラスの皆にからかわれるようになってしまった。という流れである。


「女子が総理になりたいんだって」
独特のしゃがれ声で笑いを抑えきれないといった様子の彼に、
「それの何がいけないの?」と、思わず真顔で聞いてしまった。

「えー、だってぇ」
依然としてにやにやしながら口ごもる彼。少し大人げなかったかと反省しつつも、彼の心境を推測してみる。

我が国の現総理大臣は男性だ。前任もその前任も。初代まで辿っても男性しか就任していないのは歴史が遺している。
件の生徒は、現在2年生で8歳。私も同様だが 生まれた瞬間から意識しなくとも、「日本の一番偉い人は男」という認識がある。
テキストはその物語のほんの一部を抜粋しており、その後「あたし」がどうなるのかは不明だが、創作上の物語でも、無意識に「女が総理になるなんておかしい」という刷り込みがあったのではないか。(その点に関しては、国の男性中心社会を改善していかなければならない、という大前提があるが)

「男の子も女の子も、誰が、どんな夢をもってもいいんだよ。総理だってそのうち女の人がなるかもしれない。おかしいことじゃないよ。」
と、なるべく穏やかに、説教くさくならないよう私個人としての言葉を伝えた。


私の対応は、正しかったのかはわからない。まだ8歳なのだから、感じたことを感じたままに言うのは決して悪いことではない。
もちろん彼の家族の教育方針をどうこう言いたいのではない。

ただ、家庭でも、学校でもない学習塾という第三の立場から、勉強を教えるだけではなく、子供たちの将来の視野・選択肢を少しでも広げたいと思いこの仕事をしている。

性別・国籍・年齢、、、あらゆる多様性が謳われる現代で、子供の時から「偏見」、そして「差別」への意識を向けてほしいと思うのはエゴの押しつけだろうか。


彼ら彼女らより少し年を重ねただけの若輩者だが、少しでも年を重ねた分の経験、知識を与えることはできる。大人になるまで見守ることはできないが、成長していく過程で「そういえばあんな人がいて、こんなこと言ってたなあ」くらいの記憶に残ってくれると嬉しい。

それが貴方たちの将来を切り拓くきっかけになると信じて。


こちらが文中で紹介した児童書『ソーリ!』(濱野京子著)
気になった方はぜひご一読を



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