表現急行の人

文学+美術。日本近代文学と美術の交流に関心があります。 古い書物・雑誌はまるで美術館の…

表現急行の人

文学+美術。日本近代文学と美術の交流に関心があります。 古い書物・雑誌はまるで美術館のようです。 これまでに気がついたことをわかりやすくまとめていきます。 ブログ《表現急行2》 http://hyogenkyuko.seesaa.net

マガジン

  • 画文の人、太田三郎

    このマガジンで取り上げるのは、明治大正期にスケッチ画や絵物語で活躍した太田三郎という画家である。洋画家として名をなしたが、わたしが関心があるのは、スケッチ画の画集や、絵葉書、伝承に挿絵をつけた絵物語などである。  「画文の人」とは、絵と言葉の双方で活躍した人という意味である。  オリジナルの画像をたくさん使って、忘れられた太田三郎の魅力を伝えたい。  調べながら連載しているので、公開後にわかってくる情報もあるが、まず、連載を最後まで完結させてから、再編集して補訂したいと考えている。

  • 竹久夢二『山へよする』研究

    大正8(1919)年2月に新潮社から刊行された、竹久夢二の『山へよする』という小さくて美しい本がある。 『山へよする』は、大正4(1915)年から大正7(1919)年まで、夢二が深い関わりを持った12歳年下の女性、笠井彦乃との恋愛の推移を、短歌と挿絵によってたどる、きわめてプライベートな内容の書物である。 あらゆる角度から、この書物の魅力を解き明かしたい。

  • 明治の雑誌・本の版画から

    明治の雑誌・本には木版画や石版画が掲載されています。 版画も印刷なのですが、味のあるものがけっこうあります。 オリジナルの図版を使って、版画の魅力を紹介していきます。

  • 本の紹介

    読んでおもしろかった本、自分がかかわった本を紹介します。

  • 一條成美という画家

    明治後期に、挿絵、表紙画、絵葉書などの領域で活躍した一條成美という画家がいた。 ミュシャなどから影響を受けているが、絵には独自のスタイルがあって、魅力的な存在である。作品を紹介しながら、その魅力について紹介していきたい。

最近の記事

太田三郎展の概要が公開される!

 昨日、清須市はるひ美術館のサイトで、太田三郎展(「清須ゆかりの作家 太田三郎 博学多彩の画家として」)の概要が公開された。  上記サイトの「展覧会チラシ」のところをクリックすると、フライヤーの表裏を見ることができる。

    • 太田三郎縮訳『女の一生』:雑誌『婦女界』第27巻第4号附録

       太田三郎関連の資料を入手したので紹介しよう。  以前、同じ雑誌『婦女界』の懸賞当選の記念品とされていた、太田三郎『欧洲婦人風俗』(大正13年6月15日 婦女界社)という小冊子を紹介したことがある。    その際、『婦女界』には別冊付録がつく場合があったということを知ったが、今回その実例を入手したことになる。  『婦女界』は商業的な女性雑誌で1910年3月に同文館から創刊された。1913年1月からは都河龍が雑誌を譲り受けて、婦女界社発行として継続した。  太田は、192

      • 聖母マリアと薬師如来:竹久夢二『山へよする』研究⑦

         今回は、一連の口絵、扉絵の流れの中に登場する、女性画像の口絵について考えてみたい。  『山へよする』に掲載された画像は、絵の中に表題が刻まれたものもあるが、表題が不明のものもある。書物に画像の目次は付されていない。  今回検討する画像も表題が不明で、なぜ、口絵の中に加えられているのか最初はわからなかった。  調査するうちに、そのモチーフがおぼろげではあるが、浮かんできたので報告したい。 1 絵の配置について  まず画像をご覧いただこう。  印刷は三色版である。三

        • アダムとイブ:竹久夢二『山へよする』研究⑥

           さて、少し間が空いたが、「竹久夢二『山へよする』研究」の連載第6回目。  今回は口絵木版の1つである《桃樹園》を取り上げる。これまでの知見を少し修正し、かつ、重ねられた層によって暗示を含む画像であることを提示してみたい。  記事は少し長くなったが、他者の表現技法を取り込んで、それを独自のものに再生するという竹久夢二の表現方法についての詳しい分析事例を示すことができたのではないかと、ほんの少しだけ自負している。  終わりまでご一読たまわれば、とてもうれしい。  わたしが

        太田三郎展の概要が公開される!

        マガジン

        • 画文の人、太田三郎
          35本
        • 竹久夢二『山へよする』研究
          11本
        • 明治の雑誌・本の版画から
          16本
        • 本の紹介
          3本
        • 一條成美という画家
          10本
        • 竹久夢二
          7本

        記事

          太田三郎展の正式名称決まる!

          清須市はるひ美術館で2024年11月に開催される太田三郎展の正式名称が決まっています。 <企画展>清須ゆかりの作家 太田三郎 博学多彩の画家として 2024年11月1日~12月25日 いいですね!

          太田三郎展の正式名称決まる!

          『白樺』の木版:ムンクの《心臓》

           雑誌『白樺』は、多くの西洋美術を図版とともに紹介した。  今回は、エドヴァルド・ムンクを特集した『白樺』第3巻第4号(明治45年4月、洛陽堂)を取り上げたい。  オリジナルの作品を木版に模刻することについて、紹介したい。模刻とは石版や、木版のオリジナル作品を木版画として複製することをさしている。 1 『白樺』のムンク紹介  『白樺』はどのようにムンクを紹介したか、寺口淳治氏の解説を引用しよう。  まず、日本で最初のムンク紹介を行ったのは『白樺』第2巻第6号(明治44年

          『白樺』の木版:ムンクの《心臓》

          『月刊 時事絵葉書』第三輯

           さて、まずご覧いただこう。  一見すると、月刊雑誌の表紙に見えるが、じつは絵葉書である。  日本葉書会は雑誌『ハガキ文学』の版元。右上部に「明治三十八年七月十五日発行(毎月二回一日十五日発行/明治三十七年九月三十日第三種郵便物認可ハガキ文学定期増刊第二巻第十一号」とある。  雑誌『ハガキ文学』については調べているが、こうした増刊のことははじめて知った。  ほんとうにこんな増刊が存在したのか、はたまた、遊びとして作られた虚構のデザインなのか。  困ったときはNDL(国立

          『月刊 時事絵葉書』第三輯

          太田三郎の画集『ひこばえ』の美本が届いた!

           2009年頃からテレビを見ることはなくなったが、配信で流れる番組が目に入ることはある。  戦前をあつかったドラマで、本棚が映るとたいていは、茶色っぽい本が収められていることが多い。  待て、待て、それは間違ってはいないか。  戦前は,今から見て昔、だから本棚の本は古本のような昔の本っておかしくないか。  本棚の本はドラマの時代の新刊である場合が多いのだから、それは新しい美本でないとおかしいのではないかと思うのである。  どうやら世間では、昔の本というのは茶色っぽい古本だ

          太田三郎の画集『ひこばえ』の美本が届いた!

          太田三郎の写真:『ハガキ文学』明治43年1月号(第7巻第1号)「師の面かげ」

           太田三郎の肖像写真としては、過去記事「画文の人、太田三郎(5) 日本画について」で『沙夢楼画集』の口絵写真を紹介した。  花の中に立つという特色ある構図である。  今回、雑誌『ハガキ文学』明治43年1月号(第7巻第1号)の「師の面かげ」という口絵写真(折り込み2ページ)に太田の肖像があることがわかった。  オリジナルからのコピーより作成した図版であり、少し立体感が減衰しているが、人々の表情はよくわかる。『ハガキ文学』の投稿欄の選者たちの肖像写真である。「師」というのは

          太田三郎の写真:『ハガキ文学』明治43年1月号(第7巻第1号)「師の面かげ」

          太田三郎と『少年世界』

           ヤフーオークションで博文館の『少年世界』が出品されていた。太田三郎の絵があるものを数冊落札することができた。  表紙画や口絵を紹介したい。  太田三郎は、博文館系列の日本葉書会『ハガキ文学』で活躍したが、そのかかわりから、博文館の雑誌の表紙画や口絵、挿絵を描く機会が多かった。  女学生向けの『女学世界』での活動は知っていたが、少年向け雑誌での活躍についてはその絵を見る機会があまりなかった。  太田三郎そのものが、埋もれている存在なので、数点でも絵を紹介することに意義

          太田三郎と『少年世界』

          『明星』の木版:中澤弘光《榛名湖》、杉浦非水《夏の日》

           さて、久しぶりの更新である。  今回は、明治39年の『明星』から多色木版を紹介したい。  おまけに美しい多色石版も一枚紹介する。 1 オリジナル『明星』を集め始める  与謝野寛(鉄幹)が主宰で、東京新詩社の機関誌であった第一次『明星』は1900(明治33)年4月に創刊、5号までは新聞スタイルのタブロイド判、6号以降は四六倍判の雑誌スタイルとなり、1908年11月に通算100号で終刊となった。  与謝野晶子や山川登美子の新しい感性の短歌、石川啄木や北原白秋の象徴詩、上

          『明星』の木版:中澤弘光《榛名湖》、杉浦非水《夏の日》

          太田三郎と創作版画(上)

           今回は、創作版画と太田三郎の関係について取り上げてみたい。  本来は、もっと細部を詰めてから公表するつもりであったが、清須市はるひ美術館で、2024年11月〜12月に太田三郎展が開催されることとなり、これまでにわかっていることを整理するのも意義あることだと思い、公開することとした。 1 創作版画とは  太田三郎は短い期間であるが、創作版画の領域で活動している。  創作版画が認知されるまで、版画は、複製の工芸品と見なされることが多かった。創作版画とは、〈複製〉ではない

          太田三郎と創作版画(上)

          蛇と十字架:竹久夢二『山へよする』研究⑤

           やっと連載5回目。  今回は「序の歌」の扉絵を取り上げる。   竹久夢二の他者のモチーフの借用事例の分析となった。  竹久夢二と一條成美の関わりが浮かび上がってきた。 1 蛇がからむ十字架  アートブック(詩歌と美術を融合させた書物)と見ることができる『山へよする』は中扉がたくさんついている。  今回は、三人の女性歌人が寄せた「序の歌」の中扉の画像を取り上げたい。  十字架に蛇が巻きついている画像である。  十字架はキリスト教の図像では、犠牲、あるいはキリスト教その

          蛇と十字架:竹久夢二『山へよする』研究⑤

          清須市はるひ美術館で、2024年11月1日~12月25日 に太田三郎展が開催される

          清須市はるひ美術館の年間スケジュールが更新され、2024年11月1日~12月25日 に太田三郎展が開催されることが情報として公開された。 絵葉書、スケッチ画、版画、油彩画、日本画、挿絵など多くの分野で活躍し、考証エッセイの書き手でもあった太田三郎の全容にせまる展覧会の開催は、おそらく、初めてのことと思われる。 詳しい情報がわかれば、随時、お知らせしたい。 マガジン《画文の人、太田三郎》に書きためたものを公開しているので参照していただければありがたい。

          清須市はるひ美術館で、2024年11月1日~12月25日 に太田三郎展が開催される

          太田三郎『欧洲婦人風俗』を読む(下の3・最終回)

           今回が最終回である。  太田三郎の『欧洲婦人風俗』は、太田が渡欧した際に見聞した女性の衣装について、6枚の三色版による図版と、解説文によって示した小冊子である。  版元の婦女界社は、『婦女界』という女性雑誌を発行していた。雑誌『婦女界』の何らかの懸賞当選を記念する冊子であった可能性が高い。 1 カンパニアの野で  6枚目の絵の題は《ローマの夕》である。  解説文は次のように、まず、ローマのカンパニアの野について記している。  「鴎外さんの「即興詩人」」とあるが、

          太田三郎『欧洲婦人風俗』を読む(下の3・最終回)

          「包紙画の衝撃:竹久夢二『山へよする』研究②」ヘの補足

          1 精子のイメージ  上記記事で、萩原朔太郎の詩集『月に吠える』に寄せた田中恭吉の挿絵《冬の夕》を紹介した。  右部分に精子のような形象が描かれており、それは、田中恭吉の他の作品、また、竹久夢二の『山へよする』のカバー画の一部にも見られることを示した。    ある読者から、そのイメージはムンクの《Madonna》に起源があるのではないか、という指摘をいただいた。  図版は、シカゴ美術館蔵のもので、リトグラフ(石版)に手彩色したバージョンである。    同じモチーフ

          「包紙画の衝撃:竹久夢二『山へよする』研究②」ヘの補足