マガジンのカバー画像

画文の人、太田三郎

30
このマガジンで取り上げるのは、明治大正期にスケッチ画や絵物語で活躍した太田三郎という画家である。洋画家として名をなしたが、わたしが関心があるのは、スケッチ画の画集や、絵葉書、伝承…
運営しているクリエイター

記事一覧

太田三郎と『少年世界』

 ヤフーオークションで博文館の『少年世界』が出品されていた。太田三郎の絵があるものを数冊落札することができた。  表紙画や口絵を紹介したい。  太田三郎は、博文館系列の日本葉書会『ハガキ文学』で活躍したが、そのかかわりから、博文館の雑誌の表紙画や口絵、挿絵を描く機会が多かった。  女学生向けの『女学世界』での活動は知っていたが、少年向け雑誌での活躍についてはその絵を見る機会があまりなかった。  太田三郎そのものが、埋もれている存在なので、数点でも絵を紹介することに意義

太田三郎と創作版画(上)

 今回は、創作版画と太田三郎の関係について取り上げてみたい。  本来は、もっと細部を詰めてから公表するつもりであったが、清須市はるひ美術館で、2024年11月〜12月に太田三郎展が開催されることとなり、これまでにわかっていることを整理するのも意義あることだと思い、公開することとした。 1 創作版画とは  太田三郎は短い期間であるが、創作版画の領域で活動している。  創作版画が認知されるまで、版画は、複製の工芸品と見なされることが多かった。創作版画とは、〈複製〉ではない

清須市はるひ美術館で、2024年11月1日~12月25日 に太田三郎展が開催される

清須市はるひ美術館の年間スケジュールが更新され、2024年11月1日~12月25日 に太田三郎展が開催されることが情報として公開された。 絵葉書、スケッチ画、版画、油彩画、日本画、挿絵など多くの分野で活躍し、考証エッセイの書き手でもあった太田三郎の全容にせまる展覧会の開催は、おそらく、初めてのことと思われる。 詳しい情報がわかれば、随時、お知らせしたい。 マガジン《画文の人、太田三郎》に書きためたものを公開しているので参照していただければありがたい。

太田三郎『欧洲婦人風俗』を読む(下の3・最終回)

 今回が最終回である。  太田三郎の『欧洲婦人風俗』は、太田が渡欧した際に見聞した女性の衣装について、6枚の三色版による図版と、解説文によって示した小冊子である。  版元の婦女界社は、『婦女界』という女性雑誌を発行していた。雑誌『婦女界』の何らかの懸賞当選を記念する冊子であった可能性が高い。 1 カンパニアの野で  6枚目の絵の題は《ローマの夕》である。  解説文は次のように、まず、ローマのカンパニアの野について記している。  「鴎外さんの「即興詩人」」とあるが、

太田三郎『欧洲婦人風俗』を読む(下の2)

『欧洲婦人風俗』には6枚の女性画像が収められ、その画像のページの裏に解説文が印刷されている。  今回は、5枚目の作品を紹介したい。 1 ギリシヤの余薫  さて、5枚目は《ギリシヤの余薫》という作である。  解説文は次のように始まる。  ドーデーはフランスの作家アルフォンス・ドーデー(1840−1897)のこと。「アルルの女」は、短編小説集『風車小屋だより』に収録されていたが、1872年に劇化されてパリのボードビル座で上演された。ビゼーが音楽を付け、ファランドールやメ

太田三郎『欧洲婦人風俗』を読む(下の1)

 さて、『欧洲婦人風俗』には6枚の女性画像が収められ、その画像のページの裏に解説文が印刷されている。  今回は、後半の3枚の絵を紹介して完結の予定であったが、4枚目の紹介のみにしたい。したがって(下の1)とする。    また、(中)について、読者の方から指摘をいただいたので、最後にそのことを記しておく。 1 潮風  4枚目は、オランダのマルケン島の衣装の女性を描いた《潮風》である。  「古渡」とあるのは、昔の、狭義では、室町時代以前に外国からわたってきた織物や陶磁器を指

太田三郎『欧洲婦人風俗』を読む(中)

 さて、『欧洲婦人風俗』には6枚の女性画像が収められ、その画像の裏に解説文が印刷されている。  今回は、前半の3枚の絵を紹介することにしよう。  原文は総ルビ、すなわち、すべての漢字にふりかながうってあるが、引用に際しては適宜取捨した。 1 アルサスの女  まず、画像をみていただこう。  印刷は三色版であるが、三色版については稿を改めて説明することとしたい。  貼り込みといって、図版は別に印刷されたものが、厚手の凹凸のあるモスグリーンの紙に貼り付けられている。  グラ

太田三郎『欧洲婦人風俗』を読む(上)

1 太田三郎の渡欧  太田三郎は、第7回文展に出品した《カツフエの女》で受賞した後、欧州にわたることを模索していた。しかし、実際渡欧したのは、大正9年(1920)から同11年(1922)にかけてであった。渡欧が遅れたのは、第一次世界大戦(1914−1918)のためであった。  父不在の時に生まれた3男は、父の渡欧の船の旅にちなんで浪三と名付けられた。  美術界をとりあげた『藝天』という雑誌があって、1928年12月号に「昭和美術名鑑―百家選第十七―太田三郞氏」という記

太田三郎の雑誌口絵の切り抜き

 知人から、太田三郎の雑誌口絵の切り抜きをいただいた。当方が太田のことを調べていることをご存じで、古書市で見つけて送ってくださったのである。  多色石版である。高精細画像なので、木の幹を拡大していただくと、石版特有の紋様が見出されるだろう。  太田は雑誌(『女学世界』や『少女画報』など)の表紙画や口絵を多数描いている。  これは女性像から見て、女学生対象の雑誌ではなく、成人女性を読者とするいわゆる婦人雑誌に掲載されたのではないかと推測される。  「社頭の杉」という語で、

太田三郎の絵葉書 《すみれ》

 この記事は、下の過去記事の補足である。  《すみれ》という絵葉書の題はかりにつけたものである。  過去記事で取り上げた絵葉書の未使用のものを入手できた。  たいへん美しい。多少、スレがあるが保存の状態がよい。  未使用のものの図版を見ていただこう。  比較のために、過去記事の図版を再掲する。ただし、表と裏をならべた図版にした。  ハートや、スミレの輪郭の金色が、過去記事のものよりも、あせていないし、また、スミレの藍色も鮮明である。 金銀刷りについては下記の記事を参照さ

太田三郎の絵葉書 《羽子板を持つ少女》

1 おそらく雑誌付録の絵葉書  《羽子板を持つ少女》は、かりの題である。  右にミシン目が見られるので、雑誌の付録を切り取って使ったものと思われる。   右下に「1908」とあるので、明治41年の新年号の付録であろう。雑誌名は特定できていない。  宛名面の仕切り線は、下3分の1の位置にあるので、明治40年12月発行の新年号の付録と考えることができるだろう。  前景に松葉、うしろに羽子板を持つ、正月の装いの少女が描かれている。  石版印刷で6色か7色。転写紙を用いている

太田三郎の絵葉書 《夕涼み》

1 夕涼み  《夕涼み》という題はかりにつけたものである。  この絵葉書は、神戸の絵葉書資料館の複刻を持っていて、アール・ヌーヴォーを和に取り入れたよいできなので、いつかオリジナルを見てみたいと思っていた。  このほど、運よく入手することができたので、紹介したい。   宛名面を横置きにした場合、右辺に切りはなした後のミシン目が確認できるので、雑誌の付録絵葉書かと思ったが、下辺左にNIPPON HAGAKIKWAI(日本葉書会)の文字がある。『ハガキ文学』の付録でなけれ

太田三郎の絵葉書 女性教員

1 松聲堂の絵葉書  今回は、絵葉書専門商店発行の絵葉書を紹介しよう。  宛名面の最下段に「日本橋区通二丁目松聲堂発行」と印刷されている。松聲堂は、絵葉書を販売していた専門店である。  上京者のガイドブックである『東京案内』(森集画堂編、明治42年6月)の「東京名物案内」の章に次のような松聲堂の紹介が出ている。  松聲堂は美術出版から絵葉書発行に乗り出したことがわかる。  さて、絵葉書は子どもたちを引率する女性教員を描いている。太田の絵葉書には、きわめて尋常な対象を描

太田三郎の絵葉書 《猿曳き》

1 「猿曳き」とは  検索によって、博文館の雑誌『文章世界』第3巻第1号(明治41年1月15日)の付録絵葉書で《猿曳き》という題がついていることがわかった。  上端にミシン目の跡がついている。  雑誌の付録絵葉書は、刊行されたときの季節感を重視している。  《猿曳き》は猿回しのことだが、正月の季語としてあがっている。  また、猿が描かれているのは、明治41(1908)年が戊申のさる年であったことにちなんでいる。  『日本の歳時記』(2012年1月、小学館)では「猿曳き