物書きになることから逃げてしまったけど、今はnoteで息をしている
私はずっと文章を書くことも読むことも好きで、小学生の頃の夢は小説家になることでした。
今の私を当時の私が見れば、満足はしてくれないかも知れないけど、私はnoteを書き始めて幸せになったと感じています。
ここに至るまでの経緯を書くにあたって、読んで下さった方に、読み終わるころには改めて夢や幸せを考える種になることを祈って思いを書き出します。
私はある日を境に大好きだった書くこと・読むことを避けるようにぱったりと辞めてしまった過去があり、その感覚を思い出すと今も辛くなることはあります。だからこそ、「好きなことを手放してしまった方」、「好きなことだからこそ向き合い方が分からなくなってしまった方」にこの記事が届けばいいなと思います。
年間200冊~300冊を読んでいた10代のはじめ
冒頭にも書いた通り、小学3年生の頃の将来の夢は小説家。
本当に無邪気に「好き」を原動力に作文にチカラを入れたり、紙のノートに二次創作を書いたりしていました。
中学生になってからはひっそりブログも書いたり、友人に手紙で二次創作小説を渡したりを始めました。この頃が人生で1番本を読んでいた時期で、年間200冊~300冊程度は読んでいました。
その後も文章を書くことは好きなままで、大学受験時の小論文練習は好きすぎるあまり1日に3~4本くらい書いて、先生からの赤があまり入らなかったのはいい思い出。
夢を諦めても尚、文章を書くことは好きだった
大学進学を考えるようになった頃には、私の夢は小説家から編集者になることが夢に変わっていました。ちなみに第2候補で司書がランクイン。
小説を書くだけで生活するのは厳しいんだろうなと、何か行動を起こす前に諦めモードに入っていました。
(今思えば10代で現実を見過ぎずに、もう少し夢を見ていても良かったかなと今更だからこそ思います。ただ、今の私があるのは当時の自分のおかげなので文句は言いません)
しかし、結局は大学3回生頃には周囲が就活を始めたタイミングで私は「やっぱり小説家になりたい!」と思い、就活をせずノートパソコンで密かに執筆を開始しました。
しかし、「好き」が空回りして、苦しみ始めるのでした。
ある日突然に読むことも書くこともできなくなった
皆が就活をしている中、私はエントリーシートも書かず、リクルートスーツさえ購入せず。
焦りや不安がなかったとは言い切れませんが、自分の選択に後悔はなく、卒業までの単位獲得と生活費のためのアルバイトを続けながら文章を考えては書き、なんてしてました。
苦しかったことが原因なのか記憶がおぼろげなのですが、ある日突然、書くことが怖い・本が読めない状態になってしまいました。
SNSが中心になっている世の中で自分の文章を世に出すことが途端に怖くなってしまったことと、世に出ている作品はすべて高尚で、きっと頭がいい人が努力して作り上げたものだから、私なんかじゃ到底足元にも及ばない。そういった負の感情に陥っていったのです。
本を読めば「凄い人」と比べて劣等感を持ってしまい、書けなくなる。書くことができないから読んで勉強をしたいけれど、自分ではない人の紡いだ言葉で頭がいっぱいになれば、浸食されていくのではないかと怖くなって、読むこともできない。本を読むこともできない私がいい文章など書けるはずがないと思い込むようになりました。
最終的にはまるで食事が喉を通らないような感覚でした。口に含んでも咀嚼することもできず、そのまま飲み込むこともできず、ただ心に蓋をするしかありませんでした。
そして、夢と現実の狭間でどうしようもできないほどの不安で、文章を書くことを断念しました。
そのまま結局私は会社員に。
孤独なリハビリ期間を経て
やっと私が文章を書けるようになったのは社会人2社目。
どうしても本や文章に触れたくて、必死に自宅で心のリハビリを経て、ローカル誌を発行している会社に就職しました。
「リハビリを経て」と言っても大したことはしていません。
やっぱり好きだから「誰に見せるわけでもないから…」とスマホに書けるときに書くようにしていきました。この頻度が少しずつ、少しずつ増えて、気づけば毎日、何かネタはないかと考えることができるようになっていました。
同時に本屋さんに行く機会を増やしていきました。読みたい本があれば買って読む。気が乗らなければ無理はせず、「また今度」と思うようにする。その繰り返しでした。
再就職してからは社内の決まりで週1冊以上の本を読むことになっていたので、問答無用で読書量は保たれるようになりました。そして業務で取材にも行き、イベントに関する記事を書くようになり、他にもHP用のテキストを考える機会もあったりと、何かを書くことに携わっていました。
メインの業務は広告の営業だったので、機会は多くはありませんでしたが、毎月発行される冊子のために記事を書いたり、校正したりする時間が本当に幸せでした。
文章を書く仕事ではなくなったけれど
お世話になったその会社を退職し、ご縁があって今の勤務先である総合人材サービス会社であるランスタッド株式会社で働き始めました。
普段は人とお仕事を結びつけるオフィスワーカー。
未経験の業界だったこともあり、日々の業務に追われ、また文章を書くことから遠ざかりかけていた入社1年ちょっと経った頃、会社で社内でnoteの執筆メンバー募集のお知らせを目にしました。
私は「これだ!」と全毛穴が開くかと思うほどの衝撃を受け、お知らせを聞いたその日に応募。
今では運営メンバーに加わっています。
まだまだ執筆した本数は多くはないですが、大好きな今の会社の宣伝にもなる、文章が書けることに喜びを感じています。
今はnoteで息をしている
実は数年前に一度、個人アカウントを開設していたのですが、どう活用したらいいのか分からず過疎化していたので、会社公式をきっかけにやり直したいと思い、会社公式で活用のノウハウを学び、周囲の方から刺激を貰いながらリスタートを図りました。
そして今あるのが「がべあず」アカウントです。
「これからも文章を書き続けたい」
「過去向き合えなかった時期があるからこそ“今”頑張りたい」
そんな思いでnoteを書いています。
私にとって「文章を書くこと」がどういう存在か
一言で言うと「幸せ」です。
まだ、時折いつか挫折する可能性を考えてしまい、怖くなることはありますが、間違いなくnote記事を書き上げたその日は「私が本日のMVPだ!」くらいの満足感と高揚感があります。
楽しそうに書いているからこそ、周囲の人に応援してもらえているのではないかなと思います。
この約1年間を通して、書けること自体が幸せなんだなと再認識することができました。
私はこれからも、この幸せを感じる時間・場所を大切にしていきたいです。
少しずつファンや活動の幅を広げていけるように向き合っていきます。
「好きなこと」を諦めてしまった人へ
どんな経緯があったとしても「好きなことを失う(諦める)」、「好きなことを失いそうになる(諦めそうになる)」ことは、とてもツラいことだと思います。
私がそういった経験をしたから言えることは、「思い描いていた通りにならなくても、違う形で向き合えるようになる」ということです。
「好きなこと」が嫌いになったのであれば、「諦められない」とは恐らくならないだろうし、「諦められない」から苦しいんだと思います。
「諦められない」のであれば、いつでもリスタートはできます。
リスタートをした結果、「思い描いていた通りじゃなかった」と悲観はしないでください。少なくとも私は自分自身の今を幸せだと思っています。
ツラい気持ちを乗り越えて、リスタートして、次のステージに辿り着いたのであれば、それはもう成果だと思います。
「今はこうやって好きなことに向き合えていて幸せだ」と、この記事を読んだ皆さんに思って欲しいです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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