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落合陽一さんのお母様と対話した話

去る4月某日に、敬愛する落合陽一さんのコミュニティにて、なんと落合さんのお母様との親子対談という珍しい企画が行われました✨

・・・が、実は。

僕は8ヶ月ほど前に、落合さんのお母様とお話ししていたのです。

昨年、2023年の秋に飛騨高山の日下部民藝館で開催された、落合陽一さんのレセプションギャラリートークとアフターパーティー。その席でお母様とじっくりと話す機会に恵まれました✨

衝撃のオブジェクト指向菩薩ケーキw

ソガ氏「陽一さんに、日頃お世話になっておりますー✨」

学友から「あの方が落合さんのお母様ですよ!」と教えてもらった時、僕は吸い寄せられるようにお母様の元に近づき、唐突に挨拶の言葉を発しました。

が、お母様は特に驚かれる様子もなく穏やかに微笑み、挨拶を返してくれました。

一人の教育者として、お母様が息子である陽一さんをどのように育ててきたか?興味が溢れるのは自然なこと。純粋に興味がある、とストレートに伝えました。初めましてのご挨拶からわずか数分後に教育について話し込み、終わってみれば、なんと90分近く話し込んでいたのです(笑)

この対話から、お母様の教育に対する思いが垣間見え、非常に興味深い洞察を得ることができました。今更ですが、今回はその体験から感じたことを綴ろうと思います。
(これは落合さんコミュニティのイベントの話ではないので…シェアは大丈夫なはず・・・)

飛騨高山の夜


【1.早期の自己主張と独立心】

お母様曰く、落合さんは生後8ヶ月には既に明確に言葉を喋っていたとのこと(!)

言葉を巧みに操る陽一さんは、小さな頃から自己主張が非常に強かったそうです。落合さんが1歳半くらいの頃にアメリカに連れていった際、彼は「日本のお家へ帰りたい!」と大泣き😭

その後、日本に戻りたいがために外に脱走してしまったとか。このエピソードは、落合さんの強い意志と行動力を物語っています。とにかく自己主張が激しく、生まれて間もない頃から行動力も半端ないわけです。
(当時のアメリカの治安やアジア人に対する見られ方から、気が気でなかったとのこと・・・なるほど😂)

そのせいなのか、お母様は幼少期からの教育において様々な方法を試みましたが、受験や習い事がすべて上手くいかなかったそうです。

このエピソードを聞いた際に印象的だったこと。お母様曰く「我が子に成長成果の期待は伝えたが、強引な軌道修正はしなかった」とのこと。具体的に心掛けたことは2つあって、

 ①「宿題しなさい」とは絶対に言わない
 ②「○○しちゃダメ」というNGを絶対に出さない

この2つは、結果的に落合さんが大人になるまでずっと守り続けたそうです。

【2.語学教育の反省と文化に触れる意味】

お母様ご自身が英語に堪能で、海外での仕事経験も豊富であるにも関わらず、語学教育に対しては批判的な見解を持っておられました。

なぜなんだろう?

気になって聞いてみたのですが、この話も実に興味深い。曰く、他言語習得を早期から推進することのデメリットに触れ、「母国語でしっかり自己主張ができること、つまり母国語で思考できて、母国語で母国の文化を理解できる土台を作っておくことが幼少の言語教育において最も重要」と強調していらっしゃいました。

これは、幼少期からのバイリンガル教育の落とし穴を照らし出す洞察だと思いました。

日下部民藝館でのレセプションパーティー体験を通じて、お母様は日本の文化や言語の重要性を再認識しているようでもありました。日本には素晴らしい文化的価値がある。日下部民藝館のような素晴らしい環境を、次世代に伝えることには極めて重要な意味がある…と。

お母様はにこやかに語っていらっしゃいました。

この対話、教育と育児における個々のアプローチがいかに多様であるかを示しており、また教育が一概に定義できるものではなく、個々の子供に合わせた柔軟な方法が必要であることを極めて具体的に、そして強く再認識させてくれる機会となったのです。

【3.正解を求めず直感と感性を育む意味】

未来の教育において、有体な多様性と個別最適化を超えたアプローチを考えることは、とても創造的で意味のあることではないか?と、お母様との対話から考えました。

では、模索すべき新たな教育の形態ってどんなものなのでしょう?

その一つが、僕は直感や感性を育む教育かな?と最近よく思います。

伝統的な知識伝達やスキル習得の枠組みを超えて、感性や直感を育む教育。おそらく未来は、芸術、音楽、文学などの分野だけでなく、科学的な発見や技術的な革新においても、直感は重要な役割を果たす気がしてなりません。

この部分、まだ「なぜ必要か?」をうまく言葉に出来ないのです。それでも超AI時代、あらゆる正解が1秒で登場する世界線にあります。

そこにおいて「何が正解であるか?」ということよりも「何にピンときたのか?」という、このアンテナ部分の方が極めて希少性が高い価値を持つように感じるのです。そしてこの「なんとも言えないがピンときた」というものこそ、一般論や他人軸からはまず生まれにくい、そのたった一人に価値があるものになりやすいわけです。

これに関連してよく登場する教育トピック。

一つは感情知能(EQ)に関するトピックかな?と思います。感情知能(EQ)は、社会で成功するために重要な要素の一つですが、これまでの教育ではしばしば見過ごされがちです。感情を理解し、管理し、それに基づいて行動する能力を子供たちに教えることで、より調和のとれた社会的相互作用が可能になります。ロールプレイングゲームや集団活動を通じた感情の表現方法を学ぶことが、実社会においても大きな意味を持つのはなんとなく想像できるのではないでしょうか?

学び方を学ぶ、つまりメタ学習の強化も重要です。リフレクション(内省)を促し、個々の学習スタイルやペースを理解し、それに適した学習方法を選択できるようにすることで、学び手は一生涯にわたって自己主導的な学びを続けることができます。これには、テクノロジーを活用した自己評価ツールの導入や、個別化された学習計画の作成が含まれます。


【4.インターオペラビリティ教育と超学際的であることの価値】

interoperability(相互運用性)という言葉はあまり聞きなれないかもしれません。web3.0の分野などで聞かれる言葉ですかね?
異なる分野や文化、技術間の境界を越えたインターオペラビリティを教え学ぶことで、学びの連携と統合を促進します。例えば、文学とプログラミングを組み合わせたカリキュラムを通じて、物語作りの中でコーディングを学ぶ、あるいは数学と美術を融合させることで、抽象的な概念を視覚的に理解する手法を開発する・・・みたいな効果が期待できたりするわけです。

実世界の複雑な問題は、単一の学問分野だけでは解決できません。ゆえに超学際的なプロジェクトに参加させ、異なる分野の専門知識を統合する方法を学ばせる。例えば、気候変動に関するプロジェクトでは、生物学、化学、経済学、社会学を連携させ、持続可能な解決策を模索できます。学びはより本質と、そして実社会との強いつながりがあることに気づくわけです。こうした学びや湧いてくる好奇心の価値たるや・・・✨

落合家には兎に角いろんな分野の一流が出入りすることもしばしば。
このインターオペラビリティや超学祭的要素を無意識で感じ取ることが多かったのかな・・・と。

【5.日本再興の切り札はアプレンティスシップ?】

アプレンティスシップという言葉、僕は知らなかったのですが学友が教えてくれました。

アプレンティスシップ、すなわち徒弟制度は、これからの日本の教育にマッチした、ある種原点回帰的で革新的な変革をもたらす可能性を秘めていると感じます。従来の教室での学習だけでは得られない実践的な知識と技能を、実際の場で学べるこのシステムは、学びと実務の間のギャップを埋めることにもなり得る。で、落合さんの習い事はこれに近い形だったのかな?とも感じたわけです。
(習い事がどんなであったかはググるとすぐに出てきます)

アプレンティスシップは、理論だけでなく実技を重視します。これは特に、創造性や技術が求められる職業での成長に不可欠であり、学んだことを即座に実践で試すことができます。例えば、プログラミング、デザイン、さらには農業や医療まで、多岐にわたる分野での実践的な学びが可能となるはず。

実際の場で学ぶことにより社会と直接関わりながら教育を受けることができる。これは、卒業後の就職に向けての橋渡しとなるだけでなく、早い段階での職業意識の醸成を促すことにもつながります。また、企業と教育機関が協力することで、教育の内容が現場のニーズに即したものとなり、より実用的で現代的なスキルが身に付けられるようになります。

アプレンティスシップを通じて、自らが学びの主体となり、自己成長を遂げる機会を得ます。実際の職場で問題に直面し、解決策を模索する過程は、自立心や問題解決能力を養う貴重な経験となります。また、師匠と徒弟という関係性は、人間関係の構築やコミュニケーション能力の向上にも寄与するのも間違いないのです。

落合さんもそうであったと聞いていますが、偏愛の熱量高い老若男女といかにたくさん出会うかとアプレンティスシップは結構関わり深いよな、と思うのです。科目の学びではなく機会からの学び。未来の潮流はここにある気がしてなりません。
(まあ、落合さんは結局自力で見つけたコンピュータで大きく可能性が拡がり人生を創るのですがw)


【6.育てるのか育つのか?】

たくさんの学びや感じたことを書きましたが、トータル「お母様は本当にすごいな」と思ったこと。それは・・・

・落合陽一さんを生まれた瞬間から一人の人として尊重している
・外圧をかけず、コントロールせず、でも期待と願望は述べ続けた
・期待はかけてもその実現を願うわけではないことも前提であった
・とても悩み、でも良い意味で放置もしていた
・育てるのではなく、育つ機会をずっと見守っていた

お母様との対話から感じたことをまとめるとこんな感じ。
特に「育てる」から「育つ」っていうのは、意外と親のパラダイムシフトなのかも…と思います。そしてごく当然なこととも。

正解溢れる世界であるにも関わらず、教育からは正解が遠のく時代。そんな中で感じた親子双方の深い自己理解の過程と、(悩みは前提とした)我が子への深い肯定感と承認。

極めて特殊なN=1のエピソードから、次の教育の潮流を見た・・・そんな高山の夜であったのでした✨

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