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25年ぶりに母上の前で泣いた話

このnoteの存在を、我が母上が知ることとなったのですよ。
発信を続けていれば遅かれ早かれこういうことはあり得る・・・と思っていた訳ですが。いざその時が訪れると、なかなか対応が難しいという体験をしましたね😂

僕のnoteの内容に端を発し、今直感的に綴りたいことを綴っておこう・・・と思ったので、ここに。


【母上、怪我をする】

我が母が4月の末に、結構な怪我をしたのか?思われるメールをもらいました。そもそも母上本人からではなく、近しくお世話になっている方が、代筆のような形でメールを書いたようでした。だいぶ痛がっていて、全治1ヶ月はかかるのでは?という内容。程なくして入院が必要そう、という追加情報ももらった訳です。

正しく状況がわからぬまま1ヶ月ちょっとの時間が経ち、退院できそう?というタイミングで、ようやく母上本人と思しきメールが届いた訳です。

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それからもう1ヶ月ちょいの時間を経て、今年の2月末ぶり・・・とは思えないくらい久々な感じがする母上との再会を果たすべく、実家へ帰省した訳です。

実際、実家に帰る前にメールで幾らかやりとりした母上は、だいぶ弱っていると想像することが容易でした。無理もありません。


が、いざ実家に帰ると、さすが我が母、というくらいそこそこ無理に見える(?)元気な振る舞い(?)をする訳です。

ソガ氏「ただいま・・・」

母上「あぁ・・・おかえり、早いね」

ソガ氏「いや・・・まあ良かったよ、無事で」

母上「でもまあ、寝たまま喋ると喋りにくいから起きるわ」

ソガ氏「いやいや!安静にしていた方がいいって!」

母上「いや、ずっと寝てるのもキツいのよ。大体治療がなかなかめんどくさくって、骨の形を考えると動いちゃいけない、でも動かないと筋肉が弱るから適度に動く、どっちもどっちって感じだから結局うまく動いておいた方が…(以下略)」

・・・なんともまあ。
さすが我が母・・・なのか?
で、退院後初めて、二人でお茶を啜りながら話し始めたのです。


【再会の会話はnoteから】

なんとなく会話の切り出し方が掴めず?何から話そうかしらねぇ・・・と言いながら、スマホを持ってきました。どうやら知り合いの方に「この話題をぜひ!」と勧められていたものがあるそうで、何かをスマホで探しています。

で、「あー、これこれ」と見せられたのがこちらでした。

自分の作品を
自分の母上が
自分の目の前に出す。

なるほど、意外と不思議な感情が湧くのね😂

母上「これね、周りの人たちもう知っていて、読んでたんだって!」

あー・・・そうですか。。

母上「あんた、高校生の時あんなことあったのねー知らなかった!」

あー。知らなかった、でしょうね。
ていうか、読んでますねマジで😂
そして母上は話を続けます。

母上「あんたが見えている母親像ってこうなんだな・・・って思った。なんというか、強くて明るい母親の一面が切り出されているなぁ・・・って。でも決して強いだけ、明るいだけじゃなくて弱い一面とか、もっと暗く湿った一面もある。でも健二郎は、そういう面を見るのを嫌がるから、見えていないし見ようとしないのかもね。」


・・・なるほど。
ただこの部分、僕にも思うことがありましてですね。
その思いを母上に話し始めました。

【無意識に感情が溢れる瞬間】

ソガ氏「大学時代、サークルの卒業コンサートの時、サプライズで卒業生の親が手紙書いてくれて、後輩がそれを読み上げるやつあったじゃん?で、あれに協力してくれたじゃん?」

母上「あー、あったねえ。過去の面白エピソード書いて下さいってやつw」

ソガ氏「で、その最後に書いた言葉覚えている?」

母上「あー・・・はいはい」

母上はその面白エピソードの最後の締めくくりとして、社会に巣立とうとしている僕へのエールを綴ってくれたのですが、これがなかなかのインパクトだったんです。社会に出てから大変なこともあるけれど、本当に大変なことがあったら、親として全力で守るから安心してね!的な。そして、結びの言葉。

  健二郎の孟母より

当時、卒業コンサートが和やかな感動に包まれて、でも最後にシュッと空気が締まったのを今でも覚えています。

この卒業コンサートが終わって打ち上げに行って、その帰り道。当時サークルの中に付き合っていた彼女がいて、一緒に帰っている道すがらにポツリと言われます。

当時の彼女「なんか、みんなに大変かもね、て言われたよ」

ソガ氏「うん?何が?」

当時の彼女「ソガさんのお母さんに挨拶に行く時、とか。」

ソガ氏「あー・・・」

僕はこのエピソードを母上に話した訳ですが、この思い出トークの最後の部分に対して食い気味に、

母上「はー、そんなんで大変とか情けないねぇ!弱い!」

えーと・・・いや、だからね?😂
僕はとてもとても言葉を選びながら、母上に語りかけました。

僕なりにあなたの弱い一面も知っている。
悩んでいて、湿った暗い部分は子供の頃にも見てきたよ?


でもね?
noteは、ある意味作品であってさ。


例えば母親のことを書こうと思ったら、作品に相応しくありたいから、僕の中の限りなく源流にある母親像を思い出すわけ。で、どんな母親かなぁ・・・と思うと、やっぱり強烈な母親のイメージってあるのよ。今だって、この大学時代の話に対する姿勢って、やっぱり強いと思う。いろんなあなたの側面を見てきたけど、やっぱり記憶に強烈に残っている母親像が出てくる。それが作品になる。それだけのことなんだよね。。。

僕はここまで喋っている間、ずっと上を向きながら話していました。最初は自分でも言葉を選びながら、考えながら話しているからと自覚していたのですが、頬をつたう涙で別の自覚が芽生えます。言葉に感情が乗りすぎて、ヤバい。泣いてまうわー・・・という自分を必死に抑えていたのです。

25年ぶりくらいに母親の前で涙を見せ、母親にテッシュを渡されるという体験をしたのです。


【お子様に影響を与えるのはお母様である】

僕は今でも教育のことを考えるのが大好きで、広い意味では教育業界に関わっていて、今でも色々な方から、それこそ老若男女の教育の悩み相談を受けます。

前職でバリバリのプレイヤーだった頃、小学5年生2,000人くらいにアンケートをとったことがあります。「なぜ受験したいのですか?」という質問も、その中にはありました。この回答として、特に女の子の生徒に多かった回答。上から2番目の得票数であった、受験をする理由。

お母さんが喜ぶから

当時は結構衝撃受けたのを覚えています。母親の存在は大きいのだなぁ・・・と。父親じゃないんだなぁ😂と。

それまでの指導経験からも、このことを確信をしていたので、よく保護者セミナーでエピソードトークとして伝えていました。母親の影響は大きい、と。お子様方は母親の与えてくれる環境と、母親から注がれる感情や愛情に敏感に反応する、と。だからこそ、ちょっとプレッシャーをかけるようで申し訳ないのだけれど、母親の期待する子供像ではなく、我が子が本当に成長する、幸せであるというのはどういうことなのか、立ち止まってゆっくり考える時間をとって欲しい、と。

母親として常に正解を用意して導いてあげる必要はなく、でもその代わりに「嬉しい」「悲しい」という母親というか、個人の純粋な気持ちとか、迷いや葛藤も時には素直にお子様に伝えてあげてほしい。それが共に育つ、本当の意味で素敵な受験体験を作る基盤に、きっとなるから、と。

これは結局、自分自身の原体験にも多分にあったのだなぁ・・・と。いつも母上とは感情の交換をしていた気がするよねぇ、と。そんなことを改めて、しみじみと思う真夏の帰省となったのでした。


【生きることは対話】

母上は今回の入院で、生きている・・・というよりも生かされているご高齢の患者を嫌というほど見てきたらしいですよ(笑)

母上「あんなさ、生かされているような感じは執念みたいなのは感じるけど、あたしゃ嫌だね!」

なるほど、確かにね。
生かされているのと生命力があるのはだいぶ違うよねぇ・・・。

心と身体、どちらもバランスよく生命力があることってすごく大切で、自然なことなんだろうなって、最近よく思うのです。身体はもちろん、心も「生かされた状態」に甘んじちゃいけない。動物性高く、生命力を持っている状態でいることが大切。身体性拡張と生命維持装置は似て非なるもの。

無関心に侵されることなく、対話を楽しむ。
心も身体も、自分が自分と向き合える状態を大切にする。
そうやって生きていけることが、何より大切なのだろうな・・・と。
そんなことを考える時間が増えました。
だってここで苦しんでいる人、あまりにも多くなっているから。

ちょっと前まで当たり前と思っていたことが当たり前ではなくなっていて、上に書いたことも、僕の中では当たり前すぎて、あまり話題にもしていなかったです。でも時代は変わりましたね。

身体も心も、何かしらのテクニックで解決できるぜ!とか言われる時代だからこそ、熱量とか、想いとか、直感とか、そこはかとなく感じる心地よさとか。そんなものを目を凝らして探し、そして感じ取る。そういう生き方を大切にしてみると、世界はもっと美しく見えるのでしょうね。

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