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【賛助会員用】勉強会レポート&歴史TIPS

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NPO法人六韜塾の勉強会での議論・情報のサマリを配信していきます。 記事の登録を以て賛助会員としていきたいと思います。 1年単体販売しますが、回り始めたら年間定期購読化していきま… もっと読む
■記事の領域 ①歴史・人文研究 ②国際情勢分析・交流 ③ソーシャルビジネス創出 ■トピックの事例… もっと詳しく
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『小学』 立教 

『中庸』の作者である子思子の言葉には、 「天が人間にかくあるべしとしてその本質を定められ…

歴史学=みんなが学べる帝王学②

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歴史学=みんなが学べる帝王学①

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条坊制から考える古代の都について①

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大化の改新はあったのか?

 645年から大化の改新があったとされています。中大兄皇子が即位し天智天皇となり、大きな変…

乙巳の変

 中大兄皇子と藤原鎌足が画策し、蘇我馬子の孫、蘇我入鹿が暗殺された事件です。 (軽皇子関…

聖徳太子っていたの?

 最近聖徳太子はいなかったという説があるが本当はどうなのか。10,000円札のモデルにもなった人なのにいまさらそんなことを言われても困るでしょう。そして現在の小中学生にとっては覚えていいのか悪いのかわからない。いったいどっちなの?という疑問に真面目に答えてみたい。  現段階で言えるのは、 当時「聖徳太子」という名前の人はいなかった ということです。シンプルな話で、厩戸皇子(うまやどのおうじ)、豊聡耳皇子(とよとみみのおうじ)、のちに上宮聖王、聖徳王、法大王(のりのおおきみ)

条坊制から考える古代の都について②

こんばんは。 前回に引き続き、条坊制から考える古代の都について今回は古代の遷都について考…

蘇我氏VS物部氏の戦争はあったのか?

 崇仏派と廃仏派の戦いである丁未の乱(ていびのらん)。これにより物部守屋が破れ、衰退した…

物部氏と蘇我氏の系譜

古代史で触れなければいけないのは物部氏と蘇我氏です。 仏教が伝来してきて、国として仏教を…

日本の歴史書

そもそも歴史書って何なんでしょうか。 日本の古代の歴史書の成立経緯を見てみましょう。  …

歴史の2つの楽しみ方

 ではどのように歴史と触れ合えばよいのか?個人的にはあまり気にせずに、漫画や武器、物語や…

インドネシア独立記念

8/17はインドネシア独立記念日です。 1945年8月15日。 日本の敗戦から2日後、インドネシアはオ…

『SDGsを超える日本の縄文文化』ご紹介

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