蘇我氏VS物部氏の戦争はあったのか?

 崇仏派と廃仏派の戦いである丁未の乱(ていびのらん)。これにより物部守屋が破れ、衰退したとされています。日本書紀には次のような記述があります。d

時の人、相語りて曰く、「蘇我大臣の妻は、是物部守屋大連(おおむらじ)の妹(いろも)なり。大臣、妄りに妻の計(はかりごと)を用いて、大連を殺せり」

蘇我馬子の妻は物部守屋の妹で、馬子は守屋の妹を利用して守屋を滅亡させたということです。どう利用したかというと、

大臣の祖母は物部弓削大連の妹なり。故母が財に因りて、威(いきほひ)を世に取れり

馬子が守屋の妹を娶ることで、徐々に物部氏の財力を奪い取っていったという説明です。実際に物部氏の所領は徐々に浸食された形跡があるので、『日本書紀』の言い分は説得力があるのですが、当事者同士の言い分があります。


加害者側の蘇我氏に近い立場で書かれたと思われる『元興寺縁起』によると、物部氏の仏教推進派に対する迫害は確かにあったものの、しかし両者の決定的対立はなく、最終的には和解していたとしています。
被害者側の物部氏寄りの文書『先代旧事本紀』がどう書いているかというと、宗教戦争に全く触れていない上に、物部守屋と蘇我馬子がどう対立したかも明らかにしていません。
これに加えて、日本書紀は守屋の死で物部氏が滅亡したかのように記録しているが、『先代旧事本紀』では守屋を傍流として位置づけており、物部本流は関係なく生き続けていると記録しています。そして物部鎌姫大刀自連公(もののべのかまひめのおおとじのむらじきみ)なる女性が仏教推進派の推古天皇のもとで政治運営に携わり、しかも馬子との間に豊浦大臣(とゆらのおおおみ:蘇我入鹿)を産んだと誇らしげに記録しているのは不思議です。

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