聖徳太子っていたの?

 最近聖徳太子はいなかったという説があるが本当はどうなのか。10,000円札のモデルにもなった人なのにいまさらそんなことを言われても困るでしょう。そして現在の小中学生にとっては覚えていいのか悪いのかわからない。いったいどっちなの?という疑問に真面目に答えてみたい。

 現段階で言えるのは、
当時「聖徳太子」という名前の人はいなかった
ということです。シンプルな話で、厩戸皇子(うまやどのおうじ)、豊聡耳皇子(とよとみみのおうじ)、のちに上宮聖王、聖徳王、法大王(のりのおおきみ)など複数名前があるということです。不思議なのは『日本書紀』ではこの人物を十種類近くの呼び名を使い分けていて、どれが本名かわかりません。名無しの権兵衛状態なのです。
ただし、聖徳太子の業績として語られている人物はいたと考えられます。それは歴史の記述上意図的に消したいという痕跡が見え隠れするからです。

「聖徳太子」は100年以上後に書かれた懐風藻という歴史書の序文に初めて出てきたのであり、当時そんな名前の人はいなかった、という意味では正しいでしょう。

なぜそんなことになったのか?
これは歴史の記録と深いかかわりがあります。歴史書は現代政権の正統性を謳う機能があります。そのため過去からの歴史と業績を以って正当性を訴えるのですが、そのためには敵対する勢力の良い実績は記録したいとは思いません。
 中国の歴史書は基本的に前政権を完全否定し、だから現在の王朝が立ち上がった、という形式になっています。日本は萬世一系という体裁なのでそうした構造は持たないのですが、しかし『日本書紀』と当時の記録を照合していくと、黙って消していきたかった事実があるように思います。
不思議なことに平安時代に至るまで、(江戸時代でもこの議論がありました)こうした議論が多く生まれおり、その一つが聖徳太子にまつわる出来事で、謎がたくさんあるのです。

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■記事の領域 ①歴史・人文研究 ②国際情勢分析・交流 ③ソーシャルビジネス創出 ■トピックの事例 ①当事者による中国にインドネシア新幹線受注が取られた原因を政治構造分析 ②漢文をプログラミング言語化して一次資料を読めるようにする ③インドネシア独立のお祝いとリモートでの議論 ④日米中、EU中東などの世界情勢をアップデート

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