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真島昌利 僕を作ったモノ2

本当は全然違う事を書く予定だった。

一回目が音楽だったので次は別の趣味や出来事について書こうとは考えていたけど、前回書いた内容が自分的に不完全燃焼だったので続けて書く。
マーシーこと真島昌利氏について。

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僕が初めて彼の曲を聴いたのは小学生の時だが、夢中になったのは中学生になってからだと思う。多感な時期、自分がどんな存在なのかを考える時期に知ることができたのは本当に幸運だったと思う。

この汽車は乗せていないよ。
ばくち打ちも、
ウソつき野郎も、
ドロボウも、羽ぶりのいい流れ者も。

この汽車は栄光に向かって走っているんだ。
この汽車は!

去年の夏 親父のダサいカローラで
蒸し暑い夜を走り出た時、

美しい夜明けの光の中で
道端の教会の看板が輝いていた。

その看板にはデッカイ文字でこう書いてあった。
「あなたの人生に勝利を!!」

信号が変って歩道橋の下の横断歩道を
買物カゴをさげたオバサンや
学生や背中のまがった老人が
各々のスピードで渡っている。
そこで僕は自分にとっての
栄光と勝利を考える。

この小さな土の固まりが
焼けつく太陽から飛んできた
最初の時からの人々の
栄光と勝利について考える。

激しい雷鳴のなかで抱き合い、
KISSを交わしあった恋人達について、
苦労ばかり多くてむくわれる事の少ない
人々について考える。

自由でいる事の責任はいつだって
自分自身で背負うべきモノだから、

僕は強くなりたい。
そして流されるのではなく、
流れていきたい
 自分の意思で。

「BOUND FOR GLORY」
マーシーのエッセイより抜粋

カッコ良い・悪いコト、自分がどうあるべきか、どう考えるべきか、誰もが自分の中に大なり小なり持っているであろう価値観・指針の多くを僕はこの人からもらったと思っている。
もちろんそれ以外にも身近な人との出来事やアーティストの制作物等、様々な事柄によって形成されているのだが、その中で確実に大きな比率を占めている。
今回、マーシーの曲の中から歌詞を色々書き出してみた。抑えたつもりだけどそれでもかなりの量になってしまった。
それは何に対しても反抗的だった中学生の時から、子供を持つおっさんになった今でも僕の心の琴線に触れる言葉の数々です。

※文中に出てくる文・歌詞は全て真島昌利氏の作品からの引用です。

世の中に冷たくされて 
   一人ボッチで泣いた夜
もうだめだと思うことは 
   今まで何度でもあった
真実の瞬間はいつも 

   死ぬ程こわいものだから
逃げだしたくなったことは 
   今まで何度でもあった
〜終わらない歌
栄光に向って走る
   あの列車に乗って行こう

はだしのままで飛び出して
   あの列車に乗って行こう

弱い者達が夕暮れ
   さらに弱い者を叩く

その音が響きわたれば
   ブルースは加速していく

〜TRAIN-TRAIN
僕等は泣くために 
  生まれたわけじゃないよ
僕等は負けるために 
  生まれてきたわけじゃないよ
〜未来は僕等の手の中

当時、ブルーハーツの曲を夢中で聞いていた。
僕は反抗的でひねくれた中学生だったけど、いわゆる不良やヤンキーと呼ばれるようなタイプでなく、自分は特別な人間であり何か人と違うことをしたい、普通の大人になんかなりたくないと考える「普通」の子供だったと思う。
社会の枠にはめられたくないと言う考えを強く持つ様になったのは当時のブルーハーツの歌詞に影響されたからなのは間違い無い。
親や学校、自分を縛りつけようとする社会に対してなんとか反抗を試みる子供にとって、心の支えとなる言葉の数々に痺れた。

誰かのルールはいらない 
誰かのモラルはいらない
学校もジュクもいらない
真実を握りしめたい
〜未来は僕等の手の中
誰かのサイズに合わせて 
自分を変えることはない
自分を殺すことはない 
ありのままでいいじゃないか
〜ロクデナシ

今と違い当時はまだ学校というところは校則が厳しく、教師による体罰も日常的に行われていた。遅刻した生徒が教師の閉める校門に頭を挟まれ圧死するという痛ましい事件が社会問題にもなった。現に僕も教科書を忘れてきたと言う理由でクラスの前で立たされ、担任の教師から往復ビンタを何度も喰らい、ワイシャツが真っ赤に染まるほどの大量の鼻血を出したこともある。
今それについてどうこう言う気もないし、何か自分の方に先生をイラつかせる様な発言や態度があったかもしれない。暴力を肯定する訳では無いけど、こちらにも非があったことは事実だ。殴られることをよしとして受け入れていたのではなく、当時それはそんなにめずらしく無い光景だったということ。
だからこそ権力や体制に対して逆らう様な歌や本にエンパシーを覚えたのだと思う。

運命なんて自分で決めてやらあ
悪い日もあれば 良い日もあるだろう
晴れたり くもったり 雨が降ったり
〜ブルースをけとばせ
従うだけなら 犬でもできるさ
ナイフをつきつけられても 
原爆つきつけられても
クソッタレって言ってやる
〜僕はここに立っているよ

自分は比較的、口が達者な方だと思っているがそれはこういった歌に触発されて親や先生、友人達と口論舌戦を日々行なってきた事が影響しているのかなと思う事がある。根は臆病なくせに黙ったら負けだと思い、屁理屈でもなんでもとにかく自分の考えを発言した。口の減らない面倒な子供だったと思う。

どうでもいい事 たくさんかかえて
くだらない事で ビビることはない
見えなくなるより 笑われていたい
言えなくなるより 怒られていたい
〜裸の王様

世はまさに空前のバンドブーム。ロックバンドに憧れた他の友達と同様、僕も楽器を始めた。
中学1年の終わりに、お年玉と小遣いを貯めてお茶の水の楽器街に足を運んだ。
人と違う事をやろうとする性格のせいで友人達がエレキギターを買う中、一人だけエレキベースを買ってしまったが。ギターを始めたのはそれから1年後になる。

カッコ悪くたっていいよ 
  そんな事 問題じゃない
君の事を笑う奴は
  トーフにぶつかって死んじまえ
〜ダンス・ナンバー

ブルーハーツから、ハイロウズ、クロマニヨンズまで。楽曲のほとんどはマーシーかヒロト、どちらかの手によるものだ。作詞/作曲の両方を1人が行う形で共作はほぼない。どちらもが個性的で素晴らしいのだが、自分にとって特にマーシーの言葉はシニカルで鋭く、何か大事な深い部分に突き刺さるものだった。 
それは時に、お前は平和な国に生まれ育った裕福な子供に過ぎないんだよと言う現実を僕に突きつけてきた。

僕がオモチャの戦車で 戦争ごっこしてた頃
遠くベトナムの空で 涙も枯れていた
〜ラインを越えて
どっかの坊主が 親のスネかじりながら
どっかの坊主が 原発はいらねぇってよ
どうやらそれが新しいハヤリなんだな
明日はいったい何がハヤるんだろう
〜イメージ
名ヨ白人がいい気になってらぁ
名ヨ白人がいい気になってらぁ
何て恥ずかしい人達なんだろう
〜平成のブルース

「名誉白人」と言う言葉の意味がわからず、何の事だろうと自分で調べてみてこんな事があるのかと驚いた。
この歌を聞かなければ今でも知らないままだったかも知れない。アパルトヘイトなんてまさに遠い異国の出来事だったのだ。

生まれた所や皮膚や目の色で
いったいこの僕の何がわかるというのだろう

〜青空

昨今のアメリカでの人種差別問題にも通じるこの「青空」もCD発売前は歌詞が違っていたのをネットで知った。

こんなはずじゃ なかっただろ?
歴史が僕を 問いつめる
まぶしいほど 青い空の真下で

広く世に知れ渡っている名曲だが、収録時に下記のものから修正したらしい。

安っぽい神様達が
キミを盲(めくら)にするだろう
まぶしいほど 青い空の真下で

禁止用語という理由からの変更であることは容易に想像できるがこれはこれで感じるものがある。現在このVer.はYoutubeで聴く事ができる。
尤もこのままだったら露出が減り、今の様に広く知られることはなかったと思うが。

終わらない歌を歌おう 
  クソッタレの世界のため

終わらない歌を歌おう 
  全てのクズ共のために

終わらない歌を歌おう
  一人ボッチで泣いた夜

終わらない歌を歌おう
  ・・・・扱いされた日々

〜終わらない歌

この伏せ字部分、歌詞カードでは潰され、CDでは声が下げられており、当時聞き取るためにボリュームを上げて確認しショックを受けた事を覚えてる。

反抗的な言葉の数々にロックらしさを感じ、夢中になった日々もブルーハーツの4枚目のアルバム「BUST WASTE HIP」で落ち着くことになる。発売日に入手してワクワクを抱えたまま聞いたそのアルバムに何か物足りなさを感じたのだ。
世の中への不満や反抗的な言葉は影を潜め、もっと日常的な話や抽象的な内容が中心になっていた。そして編曲や演奏技術等、音楽面においては従来より数段レベルアップしていた。
彼らの進化や成長に中学生の自分はついていけなかったのである。

満員電車の中 くたびれた顔をして
夕刊フジを読みながら
老いぼれてくのはゴメンだ

〜ラインを越えて

こういうストレートな表現に共鳴していた当時の自分、世の中の普通に生きている平々凡々とした大人達に物申したいガキはその変化に違和感と戸惑いを覚えた。

お金があるときゃ
  そりゃあ酒でもおごってやるよ
お金が無けりゃあ 
  イヤな事でもやらなきゃならねぇ
くだらねぇ仕事でも 仕事は仕事
  働く場所があるだけラッキーだろう
〜イメージ

アルバムの冒頭を飾るこの歌詞、実にロック的なフレーズだと思うのだが、働きもしないお酒も飲まない中学生にはピンとこなかったのだ。
今では歌詞や曲も含めすごく好きなアルバムで、ドラマの主題歌に起用された「情熱の薔薇」(作詞作曲:甲本ヒロト)が収録され結構売れたはずだが、当時の自分には物足りなさを感じさせる内容だった。

当時、ブルーハーツは若者の代弁者とされ教祖の様に崇められていた。それに続けと多くの模倣バンドがデビューするという状況に本人達がフラストレーションを感じ敢えてイメージ変更を図ったのかなとも思う。

ロックンロールスターになりてぇな
ロックンロールスターになりてぇな
ブルーハーツの真似すりゃいいんだろ
〜平成のブルース


きっかけは社会に対する反抗心を表現してくれる部分だったけどマーシーの曲にはそれとは全く別の側面もあった。それは実に柔らかな表現力で描写する日常の一瞬を切り取る詩だ。情景が目に浮かぶ様な映画的な言い回しである。

夜の扉を開けて行こう 
支配者達はイビキをかいてる

 何度でも夏の匂いを嗅ごう 
 危ない橋を渡って来たんだ

夜の金網をくぐり抜け 
今しか見る事が出来ないものや

  ハックルベリーに会いに行く 
  台無しにした昨日は帳消しだ

〜1000のバイオリン
渡り廊下で先輩殴る 
 身に降る火の粉払っただけだ
下校の時にボコボコになる 
 6対1じゃ袋叩きだ
鼻血出ちゃったしあちこち痛い 
 口の中も切れた 
リバウンドを取りに行くあの娘が
 高く飛んでる時に
〜青春
雨上がりの夏の夕暮れ 
 まるでサイダーそのままサイダー
日焼けした顔笑ってごらん 
 水たまりには宝物
それだけじゃないよ空には
 一枚きりの水彩画が
風の筆さばきにじんでる

失くした物が出てきたような
 心が踊るいい感じ
〜雨上がり


子供の頃に味わった夏独特の匂いだったり、日常のふとした瞬間を切り取ったような表現が大好きだ。1stソロアルバム「夏のぬけがら」には様々な情景描写が詰まっている。

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近藤真彦にも提供した「アンダルシアに憧れて」はフレーズ一つ一つのカッコよさと映画を見ている様なストーリー構成で僕の心を掴んだ。

激しい痛みが体を 電光石火につらぬき
はみだし者の赤い血が カラッポの世界を染める
薄れていく意識の中 オレはカルメンと踊った
アンダルシアの青い空 グラナダの詩が聞こえた
誰か彼女に伝えてくれよ 
  ホームの端で待ってるはずさ

ちょっと遅れるかもしれないけれど
  必ず行くから そこで待ってろよ
〜アンダルシアに憧れて

「ブルーハーツ」が全国的に有名になった中で発表したソロアルバムにはポップスやフォークミュージックにも近いメローで哀愁漂う楽曲が揃っていた。当然ロックを求めていた僕には物足りなさを感じるものだったが、それでも聴きまくった。
そしてその良さがだんだんとわかる様になり大好きな1枚になった。

タクシー会社の裏で夏はうずくまってた
なまぬるいビール飲んで春は酔っぱらってた
〜花小金井ブレイクダウン
終わりなき午後の冒険者は 
  夏に疲れるなんてそれはとても罪なこと

夏が来て僕等 高校野球なんて見ないで
  夏草にのびた 給水塔の影を見ていた
〜夏が来て僕等
授業を抜け出して2人 バスに飛び乗った
  有刺鉄線を乗りこえ 夜と手を組んだ
ギターで世界に歯向かい 痛い目もみたよ
  くだらないことでいつでも 僕を笑わせた
〜さよならビリー・ザ・キッド

ソロアルバムは4枚発表しているはずだが、ここ最近は出していない。
クロマニヨンズでは歌わなくなってしまったし、是非新作を期待したい。


中学の時に、マーシーの詩に影響を与えたといわれるビート文学にも手を出した。ジャック・ケルアック、アレン・ギンズバーグ、ウィリアム・バロウズ。正直、ドラッグが入っていて難解なものが多く、あまりピンとこなかったが、マーシーおすすめのジム・キャロル「マンハッタン少年日記」は僕のお気に入りの一冊になった。
この作品はその後、「バスケットボール・ダイアリーズ」としてレオナルド・ディカプリオ主演で映画化された。日本公開時、僕は二十歳になっていた。

カラッポの化け物なんだ 
  暴力が突っ走ってく
スコップを片手にオレは
  汗ビッショリで歩いてく
世界中ヒロシマになり 
  空がすっかりこわれても
オレは路上を歩いてく 
  いつもと変わらぬ歩幅で
〜64,928−キャサディ・キャサディ−
子供の頃はもっと すべては単純だった
あいつが悪者なら こいつは正義だった
たくさんの問いかけに たくさんの答が
ただ嵐のようにうずまいてるだけ
ライ麦畑にはもう美しい夢もない
〜サンフランシスコの夜はふけて

ブルーハーツ解散後、ハイロウズを結成してからは歌詞の雰囲気が変わった様に感じた。
表現するなら「訴えかける」から「笑い飛ばす」へ。「繊細で具体的」から「粗削りで抽象的」というイメージ。もちろん一概には言えないがそれまで曲全体で物語的に主張していた事が、サビや歌詞の1フレーズに凝縮して放つ様になったと思う。

豚の安心を買うより 狼の不安を背負う
世界の首根っこ押さえ ギターでぶん殴ってやる
〜俺は俺の死を死にたい
俺は俺軍の大将 俺は俺軍の兵隊
俺は一人でも軍隊 最強無敵だ
家来も子分も ボスも上官も
俺は俺軍だ 笑いが出ちゃうよ
未だ誰一人 見たこともない景色を見に行く
まったく愉快だ
〜俺軍、暁の出撃
働いて働いてまた働く 
 仕事より楽しいのはまた仕事
  休みたいなんて思ったこともねえ
機関車みたいに走っていくぜ 
 24時間じゃ全然足りねえ
全てブチのめせ 
オレのロックンロール
〜ガタガタゴー
地球にやさしくだと 
  余計なお世話だババア
イルカやクジラよりも 
  森林やオゾンよりも
第三次世界大戦だ 
  ワクワクするぜ 突撃だ
〜モンシロチョウ


ソロ活動ではのんびりとした作風、落ち着いた感じの曲が中心となっていたが3作目の「RAW LIFE」は違った。政治や資本主義社会のシステムに対して労働者の目線で辛辣に切り込んでいくロックなスタイルが中心の楽曲で構成されていた。

グローバルな視点なんて 都合のいい目隠しだろ
ツケばかりまわってくるが いい思いにゃほど遠い
貧乏クジを引かされて 心配は押しつけられる
俺はわがままな野郎さ 自分の事で手いっぱい
〜情報時代の野蛮人

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発表されたのは僕が高校生の頃だが、リアルタイムでは聴いていない。その頃ブルーハーツというより邦楽全般から遠ざかっていて、僕の音楽的興味は洋楽 それもHR/HM中心に変わっていた。
当然マーシーのソロアルバムが出ていたことも知らなかった。数年遅れてその内容を聴いたのは大学時代だっただろうか、素直にかっこいいと思えた。飾らない言葉で世の中に噛みつくスタイルと情緒あふれる言葉を良質なメロディに乗せてあの独特な声で歌い上げる姿は健在だった。

工場のベルの合図で この街は動き始める
あんまり言いたくないけど 俺もそこで働いてる
この街を流れる川は 耐え切れない臭いがする
〜煙突のある街
太陽の熱と光の余韻が ずっと遠くへ去った頃
裏返った夜が照れながら ポツリポツリと話し出す
確かに本当に見えたものが
   一般論にすり替えられる
確かに輝いて見えたものが
  ただのキレイゴトに変わる
〜こんなもんじゃない
消費、浪費、無駄使いが
  今さら やめられやしない

ツケをどんどんまわすんだ 
  利子もたっぷりとつけてな

後の世代の事なんて
  おいらには関係ないさ

立派な政治家の人が
  ちゃんとやってくれるだろう

〜GO! GO! ヘドロマン


自分のスタイルや考えを貫き、時代に迎合せず、社会情勢・宗教・メディアなどの世に溢れている「建前は立派だけど胡散臭い存在」を一刀両断にする言い回しに何度も溜飲を下げた。

ロックがもう死んだんなら
   そりゃロックの勝手だろ

どうでもいいじゃないか
   そんな事はどうでも

〜スーパーソニックジェットボーイ
俺ってカッコイイだろ 俺って頭いいだろ?
  君達の悲しみは俺にはわからないけど
俺の悲しみはどうか君達はわかってくれ
  アメリカ人 俺はアメリカ人 
限りなき正義だぴょん

〜アメリカ魂
死んだら死んでいるだけだ 
   地獄や死後の裁きとか
そんなのはウソっぱちだぜ 
   クサい金の臭いがする
〜死人
神様にワイロを贈り天国へのパスポートを
  ねだるなんて本気なのか?
誠実さのかけらもなく笑っている奴がいるよ
  隠しているその手を見せてみろよ
〜青空

2020年のウイルスに関わる一部メディアの偏った報道や、自粛要請or経済優先の問題、政府の対応、それらについての人々のフラストレーションがSNS等で飛び交っていたときに僕は彼の歌を口ずさんでいた。

俺には不安なんかない 
   テレビのバカが煽ってる

トラウマの大安売りだ
   そんなに大したものかよ

〜スーパーソニックジェットボーイ
核兵器もエイズもある 今さら何も怖くねえ
俺たち全部クタバっても この星にゃ関係ないよ
グルグル回り続けるだろう 
グルグル回り続けるだろう

膨大なロマンの 記憶だけ乗っけたまんま
〜RAW LIFE
雑誌を読んで CDを聴く
わかったことが一つだけある
バカは不幸が好きなんだ
〜コインランドリー

何が正しいのかはわからない。特定の人や団体を批判する気もないし、一部の盛り上がりや争い事とは全く別の次元でこの世界的な問題に真剣に立ち向かっている人たちを愚弄するつもりもない。

様々な情報が飛び交い、僕レベルの無知な人間にはもう何をすればいいのか、何をやろうとしているのかが判らなくなってしまった。これらの曲は今回の件と一切関係がないし、ずっと以前に作られたものだ。ただ、様々な不安や不満が入り乱れる中で、それらを弾き飛ばすかの様なメッセージは僕の憂鬱な気持ちを大分軽くしてくれた。

まやかしなんて信じない
   踊らされたくはないんだ
自分の足で立っていたい 
   砂のお城だとしてもさ
〜THE ROLLING MAN

感情的で辛辣な表現とは反対に、ひたすら能天気でハッピーな表現もある。
そのギャップも堪らなく好きだ。怒りや悲しみを現す歌に影響を受ける一方で、深刻に考えなくてもなんとかなるよというポジティブな考え方に救われたこともある。
これはハイロウズからその後のクロマニヨンズ にかけて顕著に現れてくる。

もっとあたたかくなって 
そこら中にバナナとかパパイヤがなればいい
それ食べて暮らしゃいい
働かなくていい 昼寝しよういい気持ち
〜あったかい
今日走ってゆく 今走ってゆく
明日とかわからないし 別にいい
〜紙飛行機
そんなに真面目な顔して 何を考える?
そんなに深刻な顔で 何を思ってる?
くたばってしまうその前に ちょっと楽しもう
お楽しみはまだまだ これからじゃないか
〜HAPPY SONG
失敗したら残念だけど 
  最悪でも死ぬだけだから

今はちょっと楽しむ時 
  ちょっと笑う時

〜21世紀音頭
誰の上にも雨は降るけど
   時々そしらぬ顔をして
      チャンスも降ってくる

〜チャンス

冒頭にも言った 誰しもが持ってる自分なりの価値観、それを作り上げる過程で僕は真島昌利氏から多大な影響を受けたし、今も受け続けている。
ただ、その価値観は常に一定ではない。自分の人生における様々なイベントや年相応の経験を重ねるたびに少しづつ変わってきている。いつまでも反抗期の少年と同じでいる訳にはいかない。人にはそれぞれ事情があるのだ。
それでもその根幹にある部分は幾ら年数を経ても当時と同じ形を保っていると感じている。
それは自分に正直でありたいと思う部分であり、周囲や世間に流されるのではなく間違ったとしても常に自分の考えを持って物事に挑むと言う姿勢だと思っている。

そうして僕らは立ってる 
生乾きのパンツを履き 
   居心地悪そうにしてる

ありもしないフツーだとか 
   ありもしないマトモだとか

幻のイメージの中 
   まったくダセーよ

〜即死

いくら影響を受けて、価値観を自分で作り上げても世の中に出れば思う様に行かないことは沢山ある。理不尽な思いや、やり切れない感情を割り切って処理しなければならないことも当然出てくる。嫌なことを笑顔でこなしたことなんて山ほどある。それらを乗り越えてやってこれたのは少年時代に心で聞いた幾つかの言葉が自分の中に生きて残っているからだと思う。

あきらめる度に
  何かが死んでいく
キミがそう信じるのなら 
  ガラクタも宝ものだろ
そういうことじゃん
〜チェンジングマン

何か問題に直面した時に、人の話に耳を貸さず自分の殻に閉じこもって逃げ回るような選択をしなかったのは、多感な時期に背中を押してくれた言葉の数々があったからだと心の底から本当に感謝している。そのお陰で僕は常に一歩を踏み出す事ができた。

でたらめばかりだって耳をふさいでいたら
  何も聞こえなくなっちゃうよ
ハンマーが振り降ろされる僕達の頭の上に
ハンマーが降り降ろされる世界中いたるところで
〜ハンマー
もう二度と戻る事はないよ
  僕はまた一歩踏み出そうとしてる
   少し怖いけれど
あなたの言葉は遠くもう聞きとれない
  何かがはじけ飛び散った
〜TOO MUCH PAIN

自分の考えがない訳じゃない。でも、心が弱った時や迷った時にも自分を信じて行動する事ができたのはその想いを支えてくれる歌があったからだと本当に思っている。
そのお陰で今の自分が在る。

ビビったってしょうがない ゲームはもう始まった
今度はオレの番だから 知らぬ振りはできないよ

〜ルーレット
だからもう涙をふいて だからもう怖がらないで
よくみてみればわかる たいしたことでもねぇ
〜風のオートバイ
そろそろオモテへ出て行こう
    山ほどイヤな事もあるけど

希望はいつだってあるのだ
   時々うす暗くなるけど

〜ホープ

面倒な時、不安な時にこれらの曲が無かったら気弱で心配性な僕は逃げたり、隠れててばかりいただろう。 
常に僕に寄り添い、支えてくれた言葉やメロディーの数々に僕は忠実でありたい。


メッセージを伝える手段としての音楽を知らなかった頃の自分が最初に出会ったのがブルーハーツの歌であり、真島昌利の曲だったことを本当にありがたく思っている。もしそれが違っていたら、少なからず今の自分はなかった。
僕は今の自分を結構気に入っているのだ。

夜の底で蹴飛ばされて 
   なんとか持ちこたえている
僕はここに立っているよ
   汚れた顔をしてるけど

〜僕はここに立っているよ


あれから大分時間が経ち、社会人となり仕事でもある程度の評価を頂き、家庭を持つようになった。もはや少年では決してない。
でもあの子供時代、何も知らない僕に語りかける様に教えてくれた言葉の数々を僕は今でも思い出すし、一生忘れない。

僕の話を聞いてくれ 
   笑いとばしてもいいから
ブルースにとりつかれたら 
   チェインギャングは歌いだす
仮面をつけて生きるのは 
   息苦しくてしょうがない
どこでもいつも誰とでも 
   笑顔でなんかいられない
〜チェインギャング

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