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上を向いて歩きたい

いま、あなたの目の前に、1円玉があります。
ここは外。誰かが落としたのでしょう。

あなたはこの1円玉を、拾いますか?




みなさま、おはこんばんちわ。
心理テストみたいな出だしの文章ですみませんだみつお(ナハナハ)


しかし、これは本当のことなのだ。
なにがなんだかわけわかめだと思うので、こう書くに至った経緯を…


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家の目の前がバス停なので、利用する人が乗り降りの際によく落とし物をする。

タオル、バスの定期、交通系IC、冬はマフラーや手袋、強者は財布やバックも落としている。
バックなんか落としようがないやろ、と思うが。


その中でもやはり、毎年発表される「うちの目の前のバス停落とし物ランキング」上位(筆者調べ)にランクインしてくるのが、


「小銭」だ。



恰好の落とし物エリアに20年も住み慣れているので、目が勝手に落とし物を探すようプログラミングされてしまった悲しい筆者は、やはりその光る物体に目線が固定される。


また、誰かが1円玉を落としている。


落としている、と表現したが、正確に言うと、
「落ちていたであろうその1円玉を、誰かがブロックの段の上に置いた状態」の1円玉を見つけたのである。



20年もここに住んでいる。
見慣れた光景。
いつものこと。


きっと、落とし主は気づいていない。
まあそのうち誰かが持っていくだろう。
それもまたいつものこと。




かと思われた。

そうじゃなかった。




ずっとある。1円玉が。


もう、かれこれ2週間くらい経つと思う。
誰かが触った形跡すらない。

こんなこと今まで無かった。
前代未聞。


それこそタオルとかならまだしも、お金が落ちていたら次の日には無くなっていたのが通例だった。
だいたいお金の落とし物なんてそうだと思う、ずっと落ちたままの方が不自然だ。




お金の、値段は平等。でも価値観は人それぞれだと思っている。

100円に、100円以上の価値を見出すこともできる。それが金額が大きくなればなるほど、だ。



「1円を笑う者は、1円に泣く」
大事にしてる言葉。

うちは元々裕福じゃないし、極端に貧乏じゃないにしろ、苦労の背景とか、わかってきたつもり。

だから早く働いて少しでも自分の分くらいは稼げるようにと思って働いてたし、
自分の身の回りのお金のことで他人に迷惑かけないようにと思って、自分の納得のいく金額まで貯金して、この世界に入った。

だから、たかが1円、されど1円なのだ。



ただ、ちょっとだけ、正直なことを言うと、

「誰かわからん人が落とした、そこにずっとある『1円玉』やぞ」とも思ってる。


はっきり言う、誰か持っていってもおかしくはないだろう、と。

そして、「いや、誰も持って行かんならオイラもらっちゃうぞ」とも。


うちは確かに自然豊かでのどかな町よ。
でも結構ヤンチャな子たちも多い、そんな町。

誰か持って行ってもいいやろ。
そろそろ誰か持って行ってもいい頃やろ。



てか1円玉さんもいつまでそこにおんのよ。
そこうちのブロックの段の上なんよ。
家賃取るわよ。まったく。
え?1円しかありません?やかましわ。



でも、本当にだれも触った形跡がないから、すごいなと思う。誰も気づいてないだけかもしれんけど。


もし、もし本当にだれも持っていこうとしてないんだったら、

おれがいつも抱く、この、
「今日もまだあるんかな」
「いつか持っていっちゃおうかな」
という邪な気持ちが、恥ずかしくてたまらない。

いつも1円玉をチラチラ見るただの残念なメガネにしか映らない。


いやだ。勘弁してほしい。


あと誰も触らなすぎて、少し怖くなってきた部分もある。最近は「なんかここに宿っちゃってる系?」みたいにも思えてきた。やだ、祀らないで。


しかし、ここまで来たら、いつまであるか気になってきた。

小学生がひょいっと持っていくかもしれない、風が強く吹いてどこかに転がっていくかもしれない。


でも、ずっとそこにいてほしい気持ちもある。
もう持って行っちゃおうかな、なんて気持ちは抱かないようにする、ここに約束する。



今後も経過を観察していきたい。
ひとまずは明日。
果たしてあるのだろうか。




…でもなあ、、、
この先もずっとあったらどうしようかな、、、



いま、あなたの目の前に、1円玉があります。
ここは外。誰かが落としたのでしょう。

あなたはこの1円玉を、拾いますか?


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