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ひとりで辿り着いていた

生まれてきた時代によって、人の生き方はさまざまな変化を伴う。
自分の望む生き方ができなくとも、
好きなものへの探究心だけは消えない

一人の学生の噺です。

戦前、ひとりの若い小学校教師がいて
教えた子供たちの中に、ひとりだけ恐ろしく頭の良い男の子がいて。

なかでも算数に長けていて、若い教師が教科書にも
載ってないような応用問題を熱心につくり与えると、
嬉しそうに解いていたと。

やがて卒業が近づき、上の学校に進んではどうかと尋ねると、
生徒は目を輝かせたあとで塞ぎ込み

「そのような金がありません」

と答えた。

なるほど。学資の捻出が難しいのかと、
今で言えば奨学生のような手筈を整え、
その子の家に行くと、両親が落涙とともに

「ありがたいことですが、
そうではなく、この子には丁稚に出て貰わないと
私どもの生活が立ち行かないのです。
学校に上がると、この子は稼げません」

と頭を下げるばかり。

当時ありふれた境遇だったので、では残念ですが、と進学を断念。

やがて戦争があり、戦後の復興、騒乱を経て、
日本が落ち着いてきた頃。

それまでにも「あの子はどうしているだろう」
折に触れては思い出していた教え子が、風呂敷包みを
片手にひょっこり訪ねて来た。

すっかり頭髪も薄くなり、油に汚れた作業着の男は
生活に疲れているようすだったけれど、
あの利発な面影は目に宿っていた。

「先生。お久しぶりです」 もう初老も過ぎ
老人になった、かつての若教師は喜んだ。
元気でいたのだ。

むかし利発だった少年が
おもむろに風呂敷包みを広げると、何冊ものノートがあり

「じつは先生。私、どうも変な事を考えてしまって。
他に相談する人もいなくて困っていたけれど、
もしかして先生ならわかってくださるかも、と思いまして」


そう言って見せてくれたノートの数々は、
仕事を終えて毎日ひとりアパートで少しずつ書き溜めたもので、
数字に混ざって「甲」「乙」といった記号があり、
それは今でいう「X」「Y」などの代数記号のようで、
詳しく聞くと、それは二次関数の考察で、
解の公式と同じ考えの数式を最後に説明してくれた。

「そうですか。やっぱり先生だ。わかってくれた」

人類が何代もかけて編み出した解の公式に、
彼はひとりで辿り着いていた。

天才だったのだ。

しかし、その公式は今ではどこの中学校でも教えているものだ。



「ありがとうございました」

教え子が帰った後、
老教師は、たまらず号泣したという。

読んでいただきありがとうございます

これからも楽くに力を抜いて
綴っていこうと思っています。


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