認知行動療法から学んだこと③ とりあずやってみる
散歩をしています
毎日ではありませんが、20分以上の散歩+ジョギングをしています。
ただ、「さぁ散歩するぞ」と思うまでに少し時間を要します。その行動が今の自分にとって有益かそうでないかという風に考えてしまうからです。たぶん、そう考えてしまう裏には「めんどうくさい」という自動思考が潜んでいるのでしょう。
本当は毎日運動をしたいのですが、その考えが頭をよぎり、今の自分には有益ではないと思ってしまった日は散歩に出かけずに終わってしまいます。
その行動は無駄かそうでないか?
「無駄な運動するより、仕事で汗をながせ」
その通りですし、胸が痛い。確かに、散歩は目に見えて何かを生産する行為ではありません。「健康のため」という反証はこの場合しないでおきましょう。
でも、本当に無駄なのでしょうか?
私のようにまず損益を考えがちの人間はえてして、その行為を無駄かそうでないかもしくは有益か損かという風に考えてしまいます。しかも、その行為をまだ成してもいないのにそう考えてしまうのです。
そう、成していないのにそう考えてしまうのです。
散歩なんてものは、特にコストがかかるものでもありません。1時間以上歩き続けろ、と言われてたらもしかして事前準備が必要になるかも知れませんが、20分程度の散歩ではシューズの底へのダメージもほとんど無いでしょう。
そのような行為を、成す前に考えるのはもっと無駄です。
だったら、無駄かそうでないかではなく、無駄だったかそうではなかったかにしてしまいましょう。
そんな風に、明日の自分に言ってやりたいです。
あー、散歩後の水はうまい。
最後まで読んでくださいましてありがとうございます。
また別のnoteでお会いしましょう。
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