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思春期ってそういうもん

誰かに傷つけられる度に頭の中の仮想の世界に身を投げて仕舞うことがよく有ります。
誰かの舌打ちもキャンディの包装を開ける時のパリッとした音に感じることが出来れば幸いですし、浴びせられる冷たい視線の数々も桃色のフリルが着いた傘が一本あれば自分の身体を守ることが出来る上に気にせず路を歩くことが出来ます。
そうやって世の中のギャップに耐えて生きて来ました。

高校生になる前辺りから所謂量産型ファッションというものにハマり始め全身を白とピンクで固めるという苦行を犯し、髪は高い位置でふたつに括り、今までの私だったら履いたこともないようなヒールの高い靴で歩き回りました。
自分の好きな物をそう易々と認めてもらえる訳では無い事は自覚していましたが、いざ近しい存在である母親に「貴女のそのメイクも格好も考え方も可笑しい」と言われてしまった時は正直心折れた記憶があります。
高校生であった私が、周りの同級生のように無難な格好を好まなかったことが母親の逆鱗に触れたのでしょう。
化粧をしても「色気づくんじゃない気持ちが悪い」と罵られポーチごと捨てられてしまったこともありましたし、洋服を全て貴女には似合わないという理由でハサミで切られ捨てられたこともありましたね。
産んだ娘が成長して女になっていく事が母親には許せなかったのかと思うと、少し同情してしまいますが。
私はこうしたい、という思いとは裏腹に現実は厳しいもので度々母親にどうしたら分かってもらえるのかと葛藤したものです。
私はこれが「ファッション」と云う部類でしたからまだ軽い方ですが、身近な人だからこそ認めて貰えない苦しさに悩む人は様々な分野で多いのではないでしょうか。

自分らしく生きてください。


余談

"歩く時の目線は自信と比例する" と聞きました。
確かに、前髪が上手く巻けなかった日は頭の天辺のつむじで風を切って歩きますし、現に今日も揺れる靴ひもを見ながら近所に買い物へ出かけました。
これがバッチリなお化粧にお気に入りのワンピースを纏っていたら空を見れたのでしょうね。
「自信を持て!顔を上げろ!」と上履きに書いてあればあの頃の私も2年1組の教室に入れたのかな、と思います。







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