見出し画像

047 わたしの履歴 中編(アイデンティティの探索)

自己紹介中編は独立してからの10年間です。

この時期、私は「短期的な成功」→「リセットボタン」→「新しい何かを始める」を繰り返していました。

でもこれが、私のアイデンティティ構築につながったようです。


1 独立とその後

1-1 不動産業者として独立

私は2007年6月独立し不動産業者となりました。

前編でも書いたとおり「私は支援者になる!」と言って独立を決意しましたが、まず過去の蓄積もある不動産業から始めたというわけです。

資本金は私・父・あるクライエントの出資で800万円、事務所は自宅から歩いていける家賃の安い5坪程度を借りました。

ちょうどその頃サラリーマン時代にたいへんお世話になった方が定年退職したので、その方に顧問になっていただき2名体制でのスタートです。

ビジネスモデルは、良い商業用地を見つけたらテナントを付けてディベロッパーに投資物件として提案する仲介業です。

このモデル、うまく行けば、売買・賃貸、ともに両方から仲介料が得られます。(そんなに簡単じゃないことが後で分かりましたが)

当時、不動産市場は活況だったこともあり、けっこうな収入の見込みが立っていました。

事実、最初の半年くらいはまずまず計画通り順調でした。

不動産時代唯一の成果

しかし、独立開業から半年経った2008年に入った辺りから雲行きが怪しくなります。

リーマンショックの前兆です。(リーマンショックは2008年9月)

買付証明や出店申込書の取り下げが相次ぎ、顧問契約の延長もなくなりました。

本来なら生き残りのために奔走すべきなのでしょうが、このときの私はぜんぜん違うことを考えていました。

この窮地を「機会」と捉えていたのです。

独立した目的が支援者になることなので、少しづつ、そっちへ舵を切ることにしました。

また、創業まもない今なら周囲への悪影響も少ないし、早めに不動産業から撤退したほうが良いとの判断もありました。(宅建免許を返すのは5年後です)

1-2 支援者になるための模索開始

とは言うものの、どうしたらいいのか正直見えていませんでした。

とりあえず中小企業診断士という国家資格を持っていたので、それを活かそうとします。

でも世の中はそんなに甘くはないというか、宅建協会や法人会の集会や商工会議所の異業種交流会などに参加し名刺交換しましたが、中小企業診断士という資格すら、知っている人はいませんでした。

名刺交換した時に「心理が読めるんですか?」と心理診断士?か何かと勘違いされたことも1度や2度じゃなかったかな。(今思えば、心理士と勘違いされるような話し方をしていたのかも知れません)

でも問題はそこじゃなく、私自身、中小企業診断士が何する資格なのか分かっていなかったことです。

相手から「あなたと付き合うメリットは?」と聞かれても答えられませんでした。

どうやら「資格に頼ろう」と思うこと自体まちがいだったのです。

士業は、「ニーズ把握」と「協働関係をつくるスキル」がなきゃ仕事になりません。

その肝心なスキル、要するに営業スキルを私は持っていなかったのです。

「営業経験ならあるじゃないの」と思う人もいるでしょうが、営業って業種それぞれやり方が異なるんだよね。

深く中身を知らなきゃ相手の意欲をそそることもできない、というわけです。

とりあえず毎日が暇にならないように、セミナーに参加したり、知り合いに相談したりするようにしました。

2 実質無収入からの転機

2-1 転機は向こうからやってくる《その1》

そんな暗中模索のなか転機が訪れます。

2008年6月より中小企業基盤整備機構のアドバイザー(当時はプロジェクトマネージャーと呼ばれていました)になったのです。

なぜ急にそんなことになったのかと言えば、ある中小企業庁主催のあるセミナーで主催者側のお偉方から声を掛けてもらいました。

「君は前回のセミナーでも見かけたけど、地域活性化や行政施策に興味があるのかい?」

この言葉がきっかけです。

得てして転機とは突然向こうからやってくるものですが、この後何回か訪れるそれの最初の1回目でした。

もちろん申し出を受けました。

中小機構での仕事は「地域資源活用事業」の十勝・上川・宗谷地区のプロジェクトマネージャー。

簡単に言えば、地域の商工会や会議所などから地域資源を活用した新事業を紹介してもらい、ブラッシュアップして、国の事業認定を取らせ、その後も支援(ハンズオンと言ぬってました)する仕事です。

このような地域活性化につながる仕事に興味があったこともあり、中小機構の3年間は楽しくやらせてもらいました。

また、中小企業診断士が何をする資格なのかもおおよそ分かりました。

内心、この仕事がずっと続けばいいなと思っていましたが、それは突然終わりをむかえます。

2009年の政権交代、それに伴う2010年からの「事業仕分け」の影響により、中小機構アドバイザーの仕事は2011年3月で終了しました。

リーマンショックに続いて2度目の実質失業というわけです。

2-2 転機は向こうからやってくる《その2》

「実質失業状態」とはいえ、そんなに焦ることはありませんでした。

前回はゼロからのスタートでしたが、今回はあの時と違いスキルも人脈も備わったので「何となるだろう」と考えたのです。

でも、そう甘くはなく、人脈だと思っていた人たちは中小機構の肩書が外れたとたん見向きもしてくれなかったのです。

「何かあったら連絡するわ」「まあ頑張って」そんな感じでした。

それでも2社ほど顧問契約させてもらったけと、あまり良い関係じゃなかったね。

今でこそ中小企業診断士は、国などの専門家派遣派遣制度や補助金の作成支援などで収入を得やすくなっていますが、当時このような仕組みはありませんでした。

だから1件1件ニーズのありそうなところへ訪問しましたが、ほとんど空振りでした。

そんな中、再びチャンスが向こうからもたらされたのです。

社会的起業に関する会議に参加しないか?

NPOサポートセンターの会合で、あるNPO法人の理事から声掛けされたのです。

数日後、その会議に参加すると、行政機関のお偉方ばかりですごく場違いなところに来てしまった感がありました。

そんな雰囲気でしたが自己紹介は頑張りました。

ムハマドユヌスのノーベル平和賞に刺激を受け独立したこと、中小機構で地域活性化の支援をしたこと、ソーシャルビジネス研究会を立ち上げたこと…。

幸いなことにソーシャルビジネスのネタはたくさんあったので、面白おかしく語ることができました。

これがウケたみたいで10分ほど質疑応答時間を取っていただいたと記憶しています。

それが功を奏したのか分かりませんが、2011年6月より内閣府委託事業「事業地域社会雇用創造事業」のメンターとなりました。(受託者はグラウンドワーク三島)

簡単に言えば社会起業家の育成事業です。

もしかしたら、これが私にとって初めての人材育成体験だったかも知れません。

10か月程度の仕事でしたが、この仕事は本当に楽しみました。

とくに4泊5日の集合研修での語り合いは圧巻でした。

全国から集まった、一癖も二癖もある社会起業家250名と社会問題やアントレプレナーシップに関わる話など、延々と対話しました。

この事業のお蔭で、貧困、子育て、高齢者、障がい者、里山、生態系…、様々な社会問題についての知識が深まりました。

何よりも多様な人たちの内面に踏み込む対話術が磨かれたのは、その後の私にとって大きな収穫でした。

しかし、この事業も1年足らずで終わります。

2-3 転機は向こうからやってくる《その3》

このころになるとある信念が芽生えていました。

自分のキャリア形成にとって「経験しておくべき」と思うものがあれば、その機会は向こうからやってくる。

過去2回の経験がまさにそうだったので、きっと3回目もあるだろうと思っていたところ、その予感通り3度目の転機が向こうからやって来ました。

診断協会の会長から「6次産業化サポートセンターの運営をしたい者いるか?」と声がけされたのです。

私は内心「来た!」と思い、手を挙げました。

そして農林水産省へのプロポーザルを経て、私は北海道6次産業化サポートセンターの責任者(統括企画推進員)になったのです。(2012/6)

実はこの仕事、支援者の道を歩みだしたときからやってみたいと思っていた仕事でした。

私の育った環境が、茶畑・製茶工場・店舗を持つ6次産業の家庭だったこともあるのでしょうか、地域活性化の仕事をしているうちに「次は…」と思うようになっていたのです。

また、そのころ構想していたNPOを運営するためにも「一度は国の委託事業を経験しておきたい」という気持ちもありました。

これらの願いが叶ったのです。

ある人に私の体験を話したところ「それは引き寄せですね」といわれました。

私は非科学的なことをあまり信じないのですが、独立してから10年くらいの間は、引き寄せの法則? シンクロニシティ? そう思えるような体験は数多くしています。(最近はすっかり無くなりましたが…)

ちなみに引き寄せの法則とは「余白を埋めたくなる本能」だと思っています。

人は空っぽの状態になるとその余白を埋めるためアンテナが高くなり、周囲の人も余白のある人を見ると何かしたくなるみたいです。

まあ、単なる経験則です。

でも私は何度もこの体験をしたのでけっこう確信をもっています。

話を戻します。

6次産業化の仕事は1年でしたが、たいへん成長できたと思います。

行政の仕組み、各行政機関の役割、大掛かりなイベントの開催手法

これらを知れたことで仕事の幅は広がりました。

なにより、メンバーと苦難を乗り越えたチームワークはかけがえのない体験でした。

「より楽しく意味のある運営にしよう!」と考え、行政施策でできるギリギリまで攻めたチーム体験は私の人生の中でも大きな財産になったと思います。

2-4 このころのボランティア経験

独立してから10年間、地域活性化やソーシャルビジネスがテーマだったこともあり、地域のNPOとはいろいろと関係を持っていました。

特に、ある岩見沢のNPOにはたいへんお世話になり、ドラムサークル、ラフターヨガ、地域ファッションショー支援、チンドン屋支援などしました。

また、旭川のあるアーティストとは数百人規模のコンサート開催プロジェクトを立ち上げるなどもしたことがあります。

3 3度の失敗体験

このころは、とにかく「メンバーを集めて楽しそうなことをすればうまく行く」という信念があり、色んなことをやりました。

今思い出せばまるで青春時代のようでしたね。

ところが2015年辺りから流れがおかしくなり、立て続けに壁にぶち当たります。

3-1 主婦を活用した研修の失敗

私は2013年から主婦を活用した企業研修事業を始めました。

主婦とは言え、研修のプロ、キャリアカウンセラー、コーチング資格者など、錚々たるメンバーです。

このころの日本の雇用習慣は、女性はいったん退職すると子育てが一段落しても復帰が難しかったのです。

なんとももったいない話ですが、私にとってはラッキーでした。

有能な人材を活用した事業があっと言う間に立ち上がったのです。

私と主婦たちの掛け合いの面白さや高揚感ある研修の雰囲気が評判になり、すぐに仕事が来るようになりました。

ところが事業がそれなりに起動に載ると、次第に研修はマンネリ化します。

それとともにメンバーの熱量も下がり、いつしかメンバー同士のいざこざがはじまりました。

そんな時、あるクライエントから指摘を受けます。

「研修のせいで社員は生意気になった、売上にはほとんど貢献していない」。

何となく自覚していましたが、この指摘こそが、この研修の致命的欠陥でした。

本音を隠すことなく言える主婦を入れた研修は異様な高揚感があり、サラリーマン文化に染まった社員たちに「自由に語って構わないんだ」という気付きを与え、自発性を喚起しました。

でも、その自発性発揮は、社長の言うことを聞かなない「生意気さ」でしかなかったようです。

それだけでなく社長と社員の対立構造を生み出し、経営そのものに悪影響を及ぼしていました。

大企業なら、研修をテーマ別に行えるので、社員の自発性発揮やコミュニケーション力アップなど、部分的な研修も意義があります。

でも、中小企業はそうではありません。

研修はできるだけ数少なく、でも売上や利益に結び付く、これが条件になります。

にもかかわらず「社員がコミュニケーションをするようになれば必然的に業績もアップするだろう」という甘いプログラムでした。

また、プログラムの問題だけでなく私自身のあり方にも問題がありました。

主婦たちのキャラクターに依存していた、というです。

おぼろげながら「このやり方は本質的ではない」と感じ、いったん事業を停止することにしました。(2016)

3-2 プロボノ北海道の失敗

私は上記の「主婦を使った研修事業」と同時期にNPOを立ち上げ運営していました。

「プロボノ北海道」です。

2013年の発起人会立上げ以来、イベントは常に満員御礼で順調でした。

15000円の年会費の割には、設立時の会員で23名、2年目には50名近いNPOになりました。

ところが人数が増えるに従い、派閥のようなものが生まれ、まるで国会での与党と野党のやり取りのような議論をするようになったのです。

NPO会員はえてして尖った道徳観の持ち主ですが、道徳観の異る者同士の対立は歩み寄りがほとんど無く、話し合うほど亀裂が深まりました。

私は派閥争いに負け、代表を降り、反対派に組織を委ねることにしました。

ところが、これが組織をさらに悪化させることになります。

新しい執行部はここまでの理念や方針を否定し、新しくしようとするのですが、これが新たな混乱を招いたのです。

これを強引に収めようとしたのか、総会工作のために会員に対して脅迫する者が現れてしまいました。

この辺りの話をすると長くなるので端折ります。

まあ、1年くらい戦々恐々とする状態でしたね。

予定していたイベントはすべてストップし、実質会は休眠状態に陥り、会員達は退会していきました。

これが精神的にきつかったのか、2代目の代表と事務局長は自ら退任します。

そして再び私が代表に戻りました。

すっかり組織は荒れ果てており、会員数も半減していました。

残った会員達はみな前向きでしたが、もはや会を存続する気分にはなれませんでした。

私の本当にやりたいことってこれなの?という疑問が大きくなりすぎていたからです。

2016年の臨時総会でこれまでの理事全員を解任し、私と新任の理事3人で1年以内に解散することにしました。

そして2017の解散イベントでプロボノ北海道は終わりました。

3-3 合同会社ロッカの失敗

先ほどお話した6次産業化サポートセンターは私の半生の中でも充実した一幕でした。

一緒に運営したメンバーもその感動が残っていたのか、センター事業が終わった後も一緒に続けようという話になりました。

そこで作った会社が農業者向け経営研修企業「合同会社ロッカ」(2013/10設立、2017/6解散)です。

ところがこの事業も1年でとん挫してしまいます。

原因は、いくつか考えられますが、根本的に「本当にやりたいことではなかった」が大きいと思います。

よく言われる話で「友達同士で作った会社はうまくいかない」というものがあります。

なぜ、友達同士じゃダメなのかといえば、起業家段階は強力なリーダーシップが必要だからです。

3人の合議で足並み揃えて経営する、なんて甘いやり方はとん挫して当然でした。

本当にやりたいことではない自分に背いた事業では力は発揮できません。

また、合議制は「合意と言う名の依存」「理屈という名のごまかし」が横行します。

補助金までもらって始めた事業でしたが、売上はほとんど立たず、3人とも意欲をすっかり失い、静かにリセットボタンを押しました。

4 受講した研修・読んだ本

このころ(2008-2016)、けっこうな費用をかけて研修を受けてます。

主な受講経験
・コーチング(CTI)
・カウンセリング(j-REBT)
・ファシリテーション(FAJ)
・リーダーシップ(CTI)
・哲学(日大通信)
・その他、NLP、マインドマップ、システム思考、ラーニングオーガニゼーション、アドラー心理学など

これら研修では、様々な「出会い」があり、「理論」「技法」「あり方」を学びました。

語りだしたら本1冊くらい書けるほどですが、ここではサラッと触れるだけにしておきます。

4-1 CTIコーチング

サラリーマン時代に読んだ本の中に「有料セミナーを受けるべき、なぜなら有料であること自体、効果の高さを証明している」と書かれていたことに納得し、2008年ごろから有料セミナーを受けまくりました。

旅費を考えたらバカにできないコストだったのですが「今やらなきゃ後悔する」という気分で有料セミナーを時間の許す限り受けていました。

最初は当時はやりだったマインドマップやNLPなど、2~3日の研修が多かったのですが、次第にエスカレートし長期にわたるメンタル系研修に参加するようになります。

その中でCTIのコーチングは私の中で高いマインドシェアを占めていました。

前編でも紹介したとおり私はピーターセンゲにハマっており、CTIの「対話の中から何かを生み出す」感じが、私の求めているものだったからでしょう。

思い出深いのは、あるセッションで「20年後の私」を描いたことです。

あたかも夢を見ているようにありありとビジョンが浮かびました。

その時のメモを今でも大事に保管してありますが、この間14年ぶりに見返したところ、「本を5冊出しており一つはデザインに関するもの、2008年からの5年間さまざまな出会いや経験をするが逃げずに突き進んでもらいたい、周りからなぜか『家具屋』と呼ばれている」と書かれていました。

なんとなく当たっていると思います。

当時、研修が進むにつれ「私の目的はコーチになることではない」という思いが強くなり、CTI流コーチングからは身を引きました。

ただし、CTIで出会った人たちとの様々な交流で得たものは、10年以上経った今でも生きています。

「意図的な協働関係」

「エンロールメント」

これらの基盤にある、NCRW(People are naturally creative, resourceful, and whole.)「クライアントはもともと完全な存在であり自ら答えを見つける力を持っている」

これらは、その後の私の人間観に大きな影響を与えてくれました。

4-2 REBT

私はサラリーマン時代からアルバート・エリスのファンで本格的に論理療法(REBT)を学びたいと思っていました。

特に、論理療法学会(現人生哲学感情心理学会 J-REBT)の代表である菅沼憲治さんは、アメリカでアルバートエリスから直に学び、アルバートエリス研究所でスーパーバイザーの資格を取った方です。

大きな期待を持ち入会しました。

入会と同時に意外な事実に気付きました。

同じメンタル系でも、CTIとは参加者の気質はまるで正反対だったことです。

CTIはスピリチュアル寄りと言うのか、良くも悪くも開けっぴろげで「開放性」の高い人が多いように感じましたが、論理療法学会では重く硬く、下手したらウツっぽいというか「神経症的傾向」の高い人の多かった気がします。

各々の自己紹介では「私はスクールカウンセラーで…」「私は社会福祉法人の心理職で…」「内科医ですが禁煙外来をやっているので…」と聞き、受講生の属性は何となくつかめました。

彼らの入会理由は、「理論はマスターしましたが、技法に自信がなくて…」「認知行動療法を専門にしていますが、エリスの積極技法も取り入れたく…」「交流分析士ですがもっと対話力を付けたいと思い…」など、技法にこだわる人が多いのも特徴でした。

私が意外に感じたのは、「コーチング」を知っている人がほとんどいなかったことです。

今はどうか知りませんが、コーチング業界とカウンセリング業界はまったく異なる業界のようです。

確かに、コーチング(NLP含め)の基盤理論のほとんどはカウンセリングの世界で生まれており、アカデミックなカウンセリング業界の人から見たら「似非」に感じても仕方なかったかな。

ただしポジティブ心理学が浸透するにつれ、カウンセリング業界にもコーチングを取り入れる動きが出来てきたのは朗報だと思っています。

何はともあれこの学会にいたお陰で、様々な心理療法を知り、コーチングの世界では教えてくれない「なぜこの技法が効果があるのか?」という理屈を知ることができたのは収穫でした。

けっきょく私は5年間この学会に在籍し、REBT心理士の資格も持つことができました。(期限が切れて今は名乗れませんが)

もう一つ収穫がありました。

この時期スカイプなどを使い様々な人たちと対話トレーニングを積みましたが、コーチング、カウンセリング、両方のやり方を同時並行で研鑽したことで自分なりのやり方が身に着いたことも大きな収穫でした。

4-3 ファシリテーション

私は2010年に日本ファシリテーション協会に入会しファシリテーションの勉強を開始しました。

ここで、またしても意外な事実を知ります。

先ほど、コーチングは「開放性」の高い人が多く、カウンセリングは「神経症傾向」の強い人が多いと書きましたが、ファシリテーション協会の人たちはそのどちらにも近くなく「外向性」の強い人たちの集まりでした。

心理学的に「外向性」とは、「生き生き」「陽気」「楽しい 」「けんか好き」「野心的」「競争好き」「示威的」「言葉数が多い」「世俗的」「演劇的」「雄弁」「詮索好き」「くどい」などの性格特性ですが、はっきり言って、これらは私の苦手な性格です。

数少ない仲間とうまくやりながら、技法については相当学ばせていただきましたが、けっきょく会になじむことなく2年程度で脱会しました。

しかし、この経験は私にとってまったく無駄ではなく、「私らしいファシリテーションスタイルを構築する!」という想いにつながりました。

4-4 このころ影響受けた本

ここまで読んでいただいた方なら分かると思いますが、2007年から2016年までの10年間の私は「スピリチュアル」の影響が強くありました。

ただし完全なスピリチュアルというよりも、科学との接点を模索していたと言ってもよいかも知れません。

このころ影響を受けた本を列挙すればその雰囲気が伝わると思います。

支援者としての主な経歴
2008-2011 中小企業基盤整備機構 地域資源活用事業/2010-2018 ソーシャルビジネス研究会(2014より「プロボノ北海道」2017解散) 代表/2011 社会起業家育成事業メンター(グラウンドワーク三島:内閣府委託事業)/2012 北海道6次産業化サポートセンター統括企画推進員(北海道農政事務所委託)/2014-2018 自治体法定計画研究員(子供子育て支援計画、介護支援計画、障がい者支援計画、まち・ひと・しごと創生計画、公共施設等総合管理計画)/2016- 北海道立農業大学校講師/2016- 北海道中小企業家同友会 経営指針委員/2017- 中小企業診断協会北海道 実務補習指導員/2018- 札幌商工会議所 中小企業診断士養成課程講師/2018- 中小企業基盤整備機構 北海道本部(事業承継担当アドバイザー)/2019- 株式会社たいわや代表取締役
資格:中小企業診断士/国家資格キャリアコンサルタント

依拠する理論
傾聴/マイクロ技法/システマティックアプローチ/組織の3要素/組織の5原則/組織のライフサイクル・モデル/心理的安全性/システム思考/知的資産/SL理論/LPCモデル/ハーズバーグ2要因論/ポーター&ローラーの期待理論/デシのモチベーション理論/アブダクション/デザイン思考/U理論/自己決定理論/目標設定理論/プロティアンキャリア理論/シャインの3つの問い/キャリアアンカー/SCCTモデル/フィッシャーの成人発達理論/REBT/ビッグファイブ理論/ストレングスファインダー

『自律型組織をデザインする』好評発売中!!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?