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073 一人じゃ「やりがい」は持てない


一人じゃ「やりがい」は持てない

「やりがい」を持つための前提条件は、変化する集団の中に身を置くことだ

「やりがい」と言うと、勝手に自分のウチから湧くものだと思い込んでいる人もいるけど、そんなことはない

「やりがい」の背景には、必ず誰かがいて、その誰かとのやりとりしている

その誰かは、必ずしも目の前の人だけじゃない

組織や社会の場合もあれば、モノや情報を介した間接的な場合もある

いずれにしても誰かから刺激をもらわなきゃ「やりがい」という心理にはならない

極端な例え話、月面のような誰もいない空間に一人ポツンといる場面を想像してもらいたい

周りに人もモノも何も無い

未来永劫ずっと何も無い

そんな環境でも、はたして「やりがい」を持てる人がいるだろうか?

たぶん無理

そもそも「やりがい」を持とうにも、やることがない

この例え話は極端だけど、ここに「やりがい」の原理がある

たくさんの人やモノに溢れた環境

これらが日々変化しており

その変化の中に自分自身もいる

この環境が「やりがい」という心理を作り出している

「やりがい」とは目的の共有である

「やりがい」は、変化する環境に身を置くことから始まる

ただし、いくら変化する環境と言っても、何の方向性もなく単調で無機質だったら月面と変わらない

人の集団で言えば「烏合の衆」がそれに当たる

そんな環境に身を置いても、簡単には「やりがい」は持てない

「やりがい」とは、まず集団に目的があり、その目的に自分も共感している必要がある(共通目的)

その必要性はスポーツ選手を見ればあきらかだ

例えば、世界一を目指すスポーツチーム

彼らは明確に「世界一になる!」を目的を共有している

それは上から与えられた目的ではなく、メンバー全員の相互作用で出来ている

その相互作用そのものが「やりがい」と呼ばれるものなのだろう

チャレンジすることがやりがいのスタート

共通目的を育む相互作用が「やりがい」だと書いたけど、一人ひとりに目を向ければアクションが構成要素である

これをチャレンジと言い換えても良い

このチャレンジこそが「やりがい」のエンジンだと思う

目的を共有する集団とコミュニケーションしながら、「その目的達成のために自分は何をできるのか?」を自分に問いながら自分なりのチャレンジをする

これを繰り返すことが「やりがい」につながる

当然、時間がかかるし、精神的な強さもいる

チャレンジしても、相手にされないこともあるだろうし、時にはしっぺ返しのような目に遭うこともあるだろう

それでも懲りずにチャレンジし続けていれば、やがて集団との相互作用が始まり、と同時に「やりがい」が芽生る

覚悟がなきゃ「やりがい」は得られない

さて、ここまでの話を整理すれば「やりがい」の条件は次のとおり

  • 自分の目指す方向と合致している集団に身を置く

  • そこのメンバーと目的達成のためのコミュニケーションをする

  • 共通目的達成のためにチャレンジする

これで完璧だ、と言いたいけれど、実は一番大事なものが抜けている

それは「覚悟」だ

覚悟とは「他の選択肢を完全に捨てること」である

これがないと大したチャレンジができず、結果「やりがい」も大して上がらないんだよね

それはご自身を振り返れば分かると思う

「やりがい」を持てた時って、たぶんそれなりに覚悟があったんじゃないかな

人生目的に向かってまっしぐらな時

背水の陣を選択した時

徹底的に考え抜いて結論を出した時

こんな風に選択肢が一つに絞られた時、力強くチャレンジできたと思う

とは言え、他の選択肢を諦めるのは、精神的負担があるからなかなか踏み込めない

でも、そのハードルを越えなきゃ「やりがい」が持てないとしたら、このハードル超えることが「やりがい」の第一歩なんだろうね

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