ノートパソコンのカルパッチョ
2日連続で記事が書けて案外イケるな〜とか思ったんだけど、そうでもないらしい。
そもそもこの記事はうつ伏せに寝ながらスマホで書いている。スマホで書くと改行した時の行間ゲボ広いけどパソコンの電源付ける気力ないし今日はこれでいいかな。
毎回使ってるフリー素材のおじさんが両手で×印を作ってる写真もスマホに入ってないので今日は違うやつで。自分で書いた「うんち」です。
ブログ、ちゃんとに続いた事がない。はてなブログは、昔とあるスーパーマーケットの精肉部門で働いてた時のブラック企業的エピソードを書いた記事がずっとじわじわ伸び続けているけど、ただそれだけが取り柄の面白味のないものになってしまった。
そもそもコンスタントに更新できるほど生活の中にネタになる事ってあるのだろうか。
俺の生活や日常といえば、平日は朝早く起きて、電車に乗り車内で傍若無人に振る舞う老人や騒いだり無駄にスペースを占有する学生の集団にもやもやしながら出勤し、働き、電車に乗り車内で傍若無人に振る舞う老人や騒いだり無駄にスペースを占有する学生の集団にもやもやしながら帰宅する。
休日は昼前に起床し、パソコンを立ち上げて創作活動をするかゲームをして寝る。
子供の頃一番なりたくなかった「空っぽな大人」になってしまった気がする。記事のオチも思い付かない。
前回まで箇条書きに近いような、一つ一つのテーマをめちゃくちゃな短文にしたような形で記事を書いてたけど、その方がいいな。普通に書いてても波に乗れたらいい感じにユーモアもオチも降ってくるかと思ったけどいつまで経っても来なかった。
歳を取る毎に自分の中の会話のラリーに対するフレッシュなレスポンスや気持ちの良い誰も傷付けないユーモアが失われ、代わりに薄汚い意地の悪いユーモアにならないユーモアの芽が育っている気がする。「エウリアンに逆にこちらから声をかけて絵をセールスする隙すら与えず好きなだけ一方的にマシンガントークして帰りたい」とか「客引きと世間話だけして店に入るか入らないか寸前のとこで帰りたい」とか「怪しい駅前のアンケートに食い気味でデカい声で意味不明な事を言って立ち去りたい」とかそんなんばかりだ。
若人に対して意地の悪い老人に自分がじりじりと近づいてるのが分かるし、自分の中に眠っている"DQN性"を嫌でも自覚させられる。それでいて見た目は陰キャなので本当の最悪を体現している。
このまま何者にもなれなかったら最悪の三十路に数年後になってしまうので今年もとりあえず曲をちまちま作ろうと思う。作り手が受け手を見下してはならないのだけど、ペースは亀並みでも今も作り手として辛うじてこの世に存在出来ている事を誇りに思っている。「何も生み出す事もなくインターネットやサブカルチャーが好きだけど別に何かにのめり込むこともないオタクでもなんでもない薄暗いだけの人間(=キモオタクからオタクが抜けてただのキモになった状態)」には絶対になりたくない。
次回からは以前のような書き方に戻す。さよなら。
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