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対談:人は親になると成長するのか論

対談人物(F:俺、A:安部ちゃん)

A:いきなり物議をかもしそうなお題ですね。

F:うーん、俺も色々悩んだわけよ、このお題を設定するにあたり。3分くらいかな。

A:3分って、カップ麺すか? 個人に依るんじゃないですか? ニュースとかで見るように育児放棄みたいな人もいるし。そもそも成長って何? って話もありますし。

F:おいおい、今晩は前のめりで守りに入ってるんじゃないの? ちょっと落ち着いてこの課題を解きほぐしていこうじゃない。まず、俺らは子供いるよね。

A:二人ずついますよね、お互い。

F:で、既婚者で子供のない人も、知り合いにたくさんいる、と。あ、俺はしょうもない政治家みたく、国家の制度維持のために子供作れみたいなことを言う気はないよ。んなもの、子育てしやすいハード面、ソフト面のインフラを整備するっていうテメエの仕事をきちっとした後で抜かせよ派だからね。ボランティアで運営されている子ども食堂を訪問してはしゃぐなんてのは政治の恥でしかねえだろう、って。

A:持つべき論とかじゃなくて、「親になると成長するか」を客観的に検討したいってことっすね。

F:子供を作る、作らないは個人の自由ってのは大前提。でさあ、君は子供ができて良かった?

A:まあ、良かったこともあれば、苦労もありましたねえ、実際。現時点で苦労が終わったとも言い切れない予感がありますが。

F:うちも似たようなもんかな。苦労あり楽しみあり、みたいな。もちろん子供がいなかったとしたらって人生を考えることもあるね。

A:それって、奥さんもいなかったらってパターンも含んでいるんでしょう?

F:ん? 何か言った? 外を走る戦車の音で、ちょっと聞こえなかった。

A:(笑)汚え人だな。

F:ヤバそうな話になるんで、ここからは一般論とするけど、子供を持つってのは、ライフサイクルの上で、やっぱ大きなイベントにはなると思うんだよな。程度はありだろうが。

A:物理面だけでもですねえ。ひとりの人間の大小便から始まって、食事、風呂、睡眠、教育、学校などなどの社会との関係まで含めて。世知辛い言い方ですけど、かなりお金もかかる。

F:あのさー、そんなん、やりたかった?

A:この対談、うちの奥さんも見てるんですよ。(怒)

F:仕方ねえなあ。君の代弁をしてあげると、そんな物理的な面倒とか、詳細には想像していませんでしたってことだよな。特に男。もちろん、物理的な面倒には、精神的な負荷も並行して発生する。

A:マジにその通りですねえ。反省します。

F:反省しなさい。………言い方悪いけど、人間の赤ん坊なんか放置していたら生きていけないんだよな。種として、そういう状態で生まれてくるの。だから生まれた途端、親はフルで面倒見の日々が始まる、と。

A:ですねえ、下の子は喘息の気があって、かなり苦労しました。

F:用意ができていようといまいと、ひとりの人間を成長させるという大事業に放りこまれるわけだ。でさあ、俺が何でこんな対談ネタを思いついたかって言うと、ある方面の創作者が、「あなた子供をもってないの? はー、そんなヒトの言うことなんかっ」ってシロウトから言われたって記事をどっかで読んでね。

A:うーん、結構、ありそうな雑な反応ですね。創作物と子供の有無は関係ないでしょ。

F:………どうかなあ。

A:えっ、そんなこと言います?

F:いや、マイナスかプラスかは分からないよ。でもさあ、モノ創りなんか全人格的じゃん。自分の物理面と精神面に大きく作用する子供の存在に、まーったく影響されませんでした、なんてことはあると思う? 影響を成長と呼べるかどーかは評価になるんで、「変化」と呼ぶべきかもしれないけど。

A:つまり、なんらかの影響はあるはず、と?

F:ここでのシロウトは、子供をもつ経験がプラスに働くという前提で雑なこと言ってるんだろうけど、プラスかマイナスかなんてのは分からないよな。ただ、人格や創作にある程度影響する可能性はあるんじゃないの?

A:まあ「何らかの変化」っていうことなら分からないでもないですね。子供って、何て言うんでしょうね? 精神的に自分の自我が分岐した、みたいなところもありますから。ちょっと話、ずれますが。

F:良く言うじゃん、子供が生まれて「ああ、これでもう死んでも良いって思った」とか。子供サイドからしたら、親のうっとおしい思い入れかもしれないけどさ。でも子供が生まれたことで「死んでも良い」ってのは、自我の連続性に関係してんじゃねえの?

A:あたかも自分が分岐して、次の時代に引き継がれた的な考えですよね。

F:子供が育っちゃったら、ある程度幻想だったって分かるけどね。それにしても、一時的にそうした連続性の大幻想を抱いた人格が、ある種の「変化」をしないなんてことはねえと思わない? 短いスパンの話じゃなく、人類学的な観点からもさ。

A:大げさな話を………。まあ、人類、そうやって子孫を育てて続いてきたわけですからねえ。

F:人間のココロなんて、そういう物理的な面倒を経る過程で、親的な心性に移行するって部分があるんじゃないかな、って思うわけよ。元型のパターンとか、もろそんなセットじゃね? そう言えば、子供いないけど猫飼ってて、猫に対して「お父ちゃん」って自分を指している奴いるよね、俺らの共通の知人で。

A:いますねえ、かなり発動してますね。

F:発動してるよね。彼自身の精神も一部、「親」的なものに変化してるってのはあるかもねえ。そう言えば、擬似的にも「親−子」関係をベースにしている社会組織ってかなりある気がするなあ。

A:職人さんとか、学問とか、我々が属していたIT業界でもありましたよね。

F:あったねえ、技術者の社会って、けっこう徒弟制度的でもあるんだよな。「お前はこのオブジェクトに、こういうメソッドを持たせたが、俺はこういうオブジェクトにしたほうが論理的かつ美しいと思う。お前はどう思う?」みたいな迷惑。

A:ひるがえると、我々、結構古臭い心性で生きてた気がしますね。そこでは、擬似的に親になり、子になりみたいな関係が発生していた、と。ほとんど反社ですね。

F:段々、この対談の着地点が見えてきた気がするなあ。

A:え、見えてなかったんすか?

F:「親−子」関係ってのは生物学的な条件以外、社会的にも成立しうる。で、この関係の目的は、子を成長させる一方、役割としての親の担い手自身も成長させる機構が組み込まれているような気がする、人類学的に。てな感じじゃねえの?

A:で、どーなんです? 人は親になると成長するんですか? 結局。

F:うーん、成長という正のベクトルで語って良いのかは分からない。でも、物理、精神の両面において「変わることを要請される」し、その要請は社会や社会化された自分から発生するもので、無視することはかなり難しい、ってな結論じゃねえの?

A:なんか歯切れ悪いですね。

F:俺のアナーキーな(笑)性格からは、子供を持たない自由、ってのを認めない方面にはくみしたくないからかなあ。でも、疑似親的な成長って、結構、その辺に転がってるよな、バイトの先輩後輩関係だってそんなもんでしょ。

A:あー、昔のバイト時代を思い出した。嫌な先輩が居てっすね。今思い出してもムカつくなー。

F:それは親殺しの話になるから、また今度ね。






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