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伊勢神宮に匹敵するパワーの神社、見つけちゃったかも

水を本として、心を水になる也。水は方円のうつわものに随ひ、一てきとなり、さうかいとなる。
(水を手本として、心を水のようにするのだ。水は四角い器には四角く、丸い器には丸くなり、一滴にもなり、大海原にもなる)

宮本武蔵『五輪書』

そこには広い池があり、空気は澄んでいました。
道の脇に植えられている木の葉はよく茂り、白や赤の花が咲いています。
都会の喧騒を忘れられる静けさの中で、人の背丈ほどの清涼な滝が流れ落ちています。
その滝の反対側、池に浮かぶ小島には神秘的な祠があり、そこへ渡るための橋は掛かっていません・・・。

これは、地方のステキな神社・・・ではなく、じつは東京都の吉祥寺駅にほど近い、遅野井市杵嶋神社(おそのいいちきしまじんじゃ)の様子です。

本当に素晴らしい場所でした。吉祥寺という東京の中心的な街の中にありながら、とても静かで清らかで、気持ちがすっきりとして前向きになってくる空間です。

実はこの遅野井市杵嶋神社、ただの神社じゃないんです。

遅野井市杵嶋神社について

遅野井市杵嶋神社は、東京都杉並区にある神社です。
吉祥寺駅から26分、もしくは上石神井駅からだと20分ほど歩いたところに、"都立善福寺公園"というきれいな公園があり、その"善福寺池"中に神社があります。

この辺りは、源頼朝が欧州征伐の途中にこの地に宿陣し、飲み水を求めて弓筈で各所を穿ってみたもののなかなか水が出てこず、弁財天に祈ってやっと水を得ることができた、というエピソードにちなんで「遅野井」と呼ばれるようになったとか。

ご祭神は市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)という神さまです。

ここで『古事記』に記された市杵嶋姫命誕生のエピソードをひとつ。

下界にいたスサノヲが、姉のアマテラスにあいさつをしようとして、天界(高天の原)へと登っていきました。
そのときに大地がぐらぐらと揺れまくっているのを見たアマテラスは大いに驚き、
「きっと乱暴者のスサノヲは、私の国を奪おうとしているに違いない」
こう思って、アマテラスは重武装してスサノヲを迎え撃ちます。

天界についたスサノヲはびっくり。あいさつをしようとしているお姉さんが、武装して立っているではありませんか。
「おまえは何のために来たのか」
「私に邪心はありません。ただ姉様に別れのあいさつをしようとしているだけです」

しかしアマテラスはなかなか信じず、
「おまえの心が清いことはどうやって証明するのだ」
と言ったのでスサノヲは、
「誓いを立てた上で子を生んでみましょう」
と提案しました。
そこで二人は高天の原の川を挟んで両岸に立って、それぞれに誓いを立てて子を生むことにしました。
そのときアマテラスは、スサノヲが持つ十拳の剣を三つに折り、高天の原の井戸の水で清めた上で噛み砕いて、ふっと吹き出すと、その霧の中から市杵嶋姫命ともう二人の女神が生まれました。
市杵嶋姫命を含むこの三人の女神は、「宗像三女神」と呼ばれます。

ちなみに、その後スサノヲもアマテラスが身に着けていた珠を噛み砕いてふっと吹き出して、五人の男の神さまを生みだします。

結局「自分が持っていたものから生まれた神さまが自分の子どもだ」ということになり、スサノヲが「私が生んだのは優しい女の子ばかりなので、私の心が清いことが証明されました」と言って、スサノヲは天界に迎え入れられました。

その後スサノヲは乱暴狼藉を働き、それにショックを受けたアマテラスが「天の岩戸」に引きこもってしまうことになるのですが・・・。

エピソードはここまでにして、市杵嶋姫命についてもう少し詳しく紹介します。

「市杵嶋(いちきしま)」というのは、「神霊を斎き祀る島」という意味で、広島にある平家が崇敬したことで有名な「厳島神社」という名前もこの神さまの名前に由来すると言われています。

この神さまは後に仏教の弁財天と同一とされ、財宝の神、美の神、音楽・芸能の神、水の神、農業の神として崇められるようになりました。

市杵嶋姫=弁財天を祀った祠の反対側に、小ぶりな滝があります。

これは、かつて湧水が涌いていたところを滝の形に復元したものだそうです。
非常にきれいな滝で、その下も清浄な泉となっていますので、一見の価値は大いにあります。

この滝の背部はちょっとした高台になっていますが、実はこの場所、旧石器時代や縄文時代の石器、縄文時代中期の土器、土偶などが発掘されているのです。

この遅野井市杵嶋神社という場所は、縄文時代の日本人にとっても重要な場所であり、それ以降の時代の日本人にとっても「聖なる場所」であり続けている、ということです。

縄文人から現代人まで、みんなが「良い」と思える場所には、何か良質なエネルギーがあるに違いない。こういった事実から考えても、この場所には強いパワーがあると確信できます。

魂の再生を信じた「縄文」の思想

日本では、縄文人の生活の跡である「貝塚」が多く見つかっています。
そんな貝塚ですが、みなさん、貝塚を単なる「ゴミ捨て場」だと思っていませんか?

実は、考古学の発展によって、その認識は間違いであることがわかっています。

貝塚が単なるゴミ捨て場ではない証拠に、なんと貝塚からは、人間の遺骨も見つかっているのです。

このことから貝塚について考え直してみると、貝塚というのは、すべてのものに魂が宿ると考えた縄文人たちの、魂の再生を祈る「祭りの場」だということがわかってきます。

狩猟採集と土器を使った定住生活を行っていた縄文人にとって、採った木の実や狩りによって得た動物、釣った魚などが「なくならないこと」、つまり、未来においてもそれらが再び蘇って、自分たちの食糧になってくれることは、何よりも切実な願いでした。

四季がめぐり、植物は毎年決まった時期に実をつけ、新しい命が生まれる・・・。
その循環の中で、毎年私たちが自然の恵みを得ることができるように。
このような祈りを持ちながら、縄文人は日々自然と向き合い、生活していたと考えられています。

そこにあるのは「循環」への祈りと、それを土台にした行動の様式です。

貝塚での祈りも、循環の思想に基づいています。

縄文人は、人間だけでなく、自然界の生き物や身の回りのすべてのものに魂が宿ると考えていました。
ですから、それらに宿っていた魂たちには一度あの世に戻っていただき、そして新しい肉体をまとって再びこの世に現れてほしい、という循環への願いを込めて、縄文の人々は貝塚で祈っていたようなのです。

あなたが縄文人だったとしたら、ゴミと一緒に、親や兄弟姉妹の遺体を埋めますか?

そうはしませんよね。自分の大切な人を葬る際には、大切なものと一緒に葬りたいと願うはずです。
このことから想像するに、縄文の人々は、自分たちが食べ物としていただいた動植物の命を、家族と同じくらい大切にしていたのかもしれませんね。

これだけではありません。

縄文時代は今のように医療が発達していませんから、赤ちゃんが生まれて間もなく亡くなってしまうということが多々あったと思われます。

そんな赤ちゃんの遺体を、縄文人はどのように埋葬したと思いますか?

縄文人は、赤ちゃんを埋葬する際、赤ちゃんを何と「土器」に入れて、それを住居の出入口や、その家族のお母さんが座る場所の下などに埋めていたのです。

これはどういうことなのでしょうか。

以下の記事の「縄文土器に宿る生命の再生・循環という死生感」という章に、3枚の土器の写真があります。

その3枚目の土器の写真を見ていただくとわかると思いますが、まるで出産の際に赤ちゃんがお母さんのお腹から顔を出している瞬間のようなデザインになっています。

このような土器が見つかっていることから、縄文土器は「女性」や「母体」として見なされていたことがわかります。

つまり、赤ちゃんを埋葬する際に土器に入れるというのは、赤ちゃんに宿った魂に、「再びお母さんのお腹に戻ってきてね」という、再生のメッセージを込めた行為だったのです。

では、なぜ「出入口」や「お母さんが座る場所の下」に埋めたのか。

出入口は、お母さんが頻繁に「跨ぐ」場所です。
また座る場所というのは、会陰が常に地面の方を向いています。
つまりその2ヶ所では、お母さんの女性器が、赤ちゃんが埋まっている場所を向いた状態になるということです。
そうやって何度も跨いだり座ったりしているうちに、自身のお腹の中に、その赤ちゃんに宿っていた魂を、再び呼び込もうとしているのです。

縄文人はこのように人の命と向き合っていました。これも縄文人の「循環」の思想です。

縄文人は、魂の輪廻転生を確信していたのでしょう。
では、輪廻転生を確信している人が他人を見ると、その人はどのように見えるでしょうか。

あぁ、この人に宿っている魂は、前世でやり遂げることができなかったことを成し遂げるために、再び生まれてきたのだなぁ。
魂を成長させて、もっと幸せになるために、再び私と出会ったのだなぁ。

きっと、このように見えていたのではないでしょうか。

目の前にいる人も、そして自分も、与えられた命を活かし、魂を成長させ幸せになるために生きているんだ、と思えば、命とはすばらしく愛すべきものだと実感し、自分に対しても目の前の人に対しても、もっと優しくなることができると思います。

縄文時代というのは、1万年もの間、大規模な争いのない時代でした。
そんな時代は、このような思想・生命観に支えられていたからこそ、続いたのではないでしょうか。

神道的「水」と宮本武蔵『五輪書』で運気を上げる

縄文人が大切にしていた「循環」の思想。

この世界を循環する物質で、神道にとっても大きな意味を持っているものがあります。
それは「水」です。
水もまた循環するものであり、人の命にとって決定的に重要なものでもあります。

まずは、神道において水がどう扱われているかを見ていきましょう。

神道において、水は神の顕現(=アラミタマ)したものだとして扱われてきました。
「露顕」ということばがありますが、これは空気中の水気が"露"となって現れるということ、つまり隠されていたもの(=カミ)が現れるということです。
そして「カミ」というのは、隠されている生命力のことです。
隠されている生命力が、具体的な形となって現れているのが「水」だということですね。

また海="ウミ"ということばは、生み、熟み、蒸す(うむす)・・・といったように、新しいものが出現することを表します。
この言霊のつながりを見ると、昔の日本人は、自分たちがかつて海の中で生まれ、進化してきた生き物だとわかっていたんじゃないかと思いたくなります。

そして日本人は水を、「蛇」や 「龍」によって象徴してきました。

例えば、蛇は「ミズチ」と呼ばれたりしますが、これはミズ(=水)の「チ(=霊)」つまり「水の霊」ということになりますし、江戸時代に消防隊が持っていた消火器は、雨を呼び、大河を守る神である龍が水を吐く様子に似ているということで「龍吐水」と呼ばれました。

また『古事記』に登場するヤマタノオロチも川に関連しますし、そもそも蛇行する川を見て人は水と蛇を関連付け、信仰したのではないかと言われています。

そして縄文時代、彼らもまた蛇に特別な感情を抱いていたようで、蛇の装飾を施した土器が多くつくられていました。

川の流れや雨を司るという点で、蛇や龍はまさに「循環」のシンボルです。

これらが神道的な「水」についての考え方で、これを知っているだけでもかなり心は豊かになると思いますが、これらは世界観の話であり、あくまで私たちの「外」の話です。

私たちが「日本人が捉えた"水"の姿」を活かして人生を豊かにするためには、「外」の理解に加えて、「内」つまり心と体の観点から、水について理解する必要があります。

そこで登場するのが、冒頭にも紹介した『五輪書』の著者である、二刀流の剣術家、宮本武蔵というわけです。

なぜ武蔵?と思われた方もいると思います。戦うことに明け暮れた人から学ぶことなんて、私には何もない、そもそも縄文人と全然違うじゃないか、と。

しかしながら、武蔵は命のやり取りをとおして自分を磨きに磨き抜き、現代人の我々からは想像できない境地に達し、人が生きる「道」を"体得"した人です。

その武蔵が、「心も体も火のように燃え立たせろ」ではなく、「水のようになれ」と言っている点が、何よりも重要で、ここが縄文そして神道とつながってくる点です。

この記事の冒頭の、武蔵のことばを改めて示します。

水を本として、心を水になる也。水は方円のうつわものに随ひ、一てきとなり、さうかいとなる。
(水を手本として、心を水のようにするのだ。水は四角い器には四角く、丸い器には丸くなり、一滴にもなり、大海原にもなる)

これは、武蔵が兵法の極意を書き記した『五輪書』の「地の巻」における、地水火風空の五巻の構成で書いた理由を示す章の中で、「水の巻」について説明したパートの文章です。
実は武蔵の『五輪書』には、心を水のようにやわらかくすることで、正しい道を進むことができる、といったメッセージが込められています。
そのようにして正しい道を進むことで、兵法に限らず、正しい行いをすることや国を治めること、民を養うことなどすべてに「かつ(勝つ・克つ)」ことができると説いています。
これを私たちの人生に当てはめてみれば、人生において障害となる出来事に打ち克ち幸せになるためには、心を水のようにする必要があるということです。

さて、武蔵はこの文章では水になるのは心だよと言っていますが、心「だけ」を水にすればよいかというと、そうではありません。
なぜなら、心が水になっているのならば、体が岩のようにガチガチに力んで固まっているということはないからです。

その証拠に武蔵は『五輪書』の中で、「惣躰自由なれば、身にても人にかち」と書いています。この「惣躰自由」の部分には「そうたいやわらか」とルビが振られており、これは全身をやわらかくすることが「かつ」ために決定的に重要なのだということを意味しています。

なので武蔵の教えは、「心と体を水のようにする」ということになります。

ぜひ、心も体も水のようになったところをイメージしてみてください。そうして体を動かすと、いつもよりも快適に、軽やかに動くことができると思います。

これが健康や元気さ、ひいては幸福のカギです。

実際、心も体も水のようにやわらかい存在である子どもは、重い病気にかかりませんし、心も柔軟で、何といっても幸せそうです。

体が水のようにやわらかければ、血液などの体液が「循環」して、新陳代謝が活発になります。
逆に、体の中の循環が滞ると病に、循環が止まると「死」に至ります。

ですから、心も体も水のようになったほうがよいのです。

そして、遅野井市杵嶋神社は、非常に清々しい水の質感を感じることができる場所です。
そこにいるだけで非常に「スッキリ」してきます。
きっと、この空間に身を浸すだけで、心身に清らかな水の質感が浸透してくるのだと思います。

そのようにスッキリとした心身になると、いつもよりも清く、楽しいことを考えることができるようになってきます。

ところで、「清く正しく美しく」というフレーズで有名な歌劇団が、清くも正しくも美しくもない行いをしていたことが明るみに出てしまいました。
「正しく」というのは苦しいことでもあります。
ですから、苦しみのはけ口を他人に求めてしまったのかもしれません。
なので私は「清く正しく美しく」に代わって「清く楽しく美しく」というフレーズを提唱したいと思います。
結局、楽しくなければ清さも美しさも持続可能でないですから。

遅野井市杵嶋神社の気を浴びてスッキリすることで、ごちゃごちゃっとした心にスペースが生まれます。
そのスペースに、明るい考え、前向きな考え、楽しい考えを入れていきましょう。
そうすると、自然と「清く楽しく美しく」の方向へと行けるはずです。

それが、運気を高めるために重要なことです。

神社に「お願い」ばっかりしても、なかなか幸せになることはできません。
なぜなら、そこにあるのは質もパワーも低いエゴのエネルギーだからです。

もっと強力なのは「感謝」です。
きれいな水が湧く豊かさを、市杵嶋姫命に感謝してください。
それに加えて、今生かされていること、健康でいられること、日本人として生まれてきたことを、感謝してください。
感謝する心は豊かな心です。
その心が、あなたに豊かさを引き寄せます。

日本人がその昔から大切にしてきた「水」への想い。
それを感じながら、ぜひ遅野井市杵嶋神社に行ってみてください。

いつも応援してくださりありがとうございます。