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‟インド的世界観‟で、波動と運気が高まる

「軽い波動」で足取りも軽く

私もあなたも、人は誰しもが、周囲の環境に向かって「波動」を出しています。
波動は人間から出る目に見えないエネルギーです。
あなたが出す波動の質が、あなたの人生を決定します。
ですから、運気を良くするためには、「軽い波動」を出すことが必要です。

宇宙には、「自分が出した波動と同じ性質の出来事が起こる」という法則があります。
なので、軽い波動を出している人には、明るくて楽しいことが起こります。
もし苦労や逆境などの状況がやってきたとしても、軽い波動を出している人は、それらの問題を軽やかに解決していくどころか、問題をプラスに変えてしまうこともできます。

そもそも、問題も起こらないかもしれません。
重く考える人がいちいち「これは問題だ」と捉えては「どうやって解決しよう・・・」とうんうん唸って考え込んでしまうような出来事も、軽い波動を出している人にとっては
「ま、なんとかなるか」
と、問題と捉えず、右から左へ軽く受け流してしまうからです。

一方、重い波動を出している人には、その人生に不幸や苦労などの重い出来事が起こります。
重い波動を出している人は何事も重く捉えますから、毎日生きていくことも大変でしょう。
決断するのも一苦労、行動するのも一苦労です。

自分が出す波動の質は、その人が考えていることで決まります。
物事を深刻に考える人は、重い波動が出ます。
物事を軽く考える人は、軽い波動を出します。

ですから、軽い波動を出して人生を明るく生きていくには、明るく楽しい前向きなことを考えるようにする必要があります。

また、軽い波動を出すことは、あなたの願いを叶えることにも大きく役立ちます。
わたしたちが今暮らしているこの地球においては、行動しなくてはどんな願いも叶えられません。
軽い気持ちを持って行動するか、重い気持ちを抱いて行動に躊躇するか。
その二つのうち、あなたはどちらを選びますか?

軽い波動を出すためには?

それは、軽い波動で軽い人生を歩めた方がいいに決まってるよ。
という声が聞こえてきそうです。
わたしもそう思います。
あえて重く生きたいというストイックな強者もいるのかもしれません。
ですがそういう人は、人生を劇的なドラマにするのが楽しいと思っている人だと思うので、傍目には重い出来事に苦しんでいるように見えるかもしれませんが、実は本人は結構楽しんでいるのかもしれません。
そうなのであれば、それなに軽い波動も出ていることでしょう。
このような人生が好みでないならば、軽い波動を選ぶ方が得策だと思いますよ。

では、軽い波動を出すためにはどうすればいいのでしょうか?

先ほども少し触れましたが、人が出す波動の質は、その人が心の中で思っていることによって、ほぼ決まります。
思考によって、あなたの波動は変わります。
ですから、重い波動から軽い波動に変えたければ、明るくて楽しいことを考えればいいのです(「あかるい」という言葉は、「あっ、かるい!」に通じます)。
軽い波動を生み出せる思考が、軽い波動を生み、軽やかな人生を創造します。

では、「軽い波動を生み出せる思考」とは、どんなものなのでしょうか?

それを理解するために、少しわたしの体験を聞いてください。

・・・
真剣な会話をしているとき、相手の人が、聞かれてもいないことや、話の本筋からズレたことを、嬉々として語りだすことがあります。
そこには、真剣さと無邪気さのギャップが生まれます。そのとき、私と相手との間で、そして真剣さと無邪気さの間で、神さまがダンスしているような気がします。

しっかりした会話をしているときって、少し緊張感があります。話の本筋からズレないようにという、あるいは伝えたいことを正確に伝えたい、そしてそれを理解してほしいという、緊張感。
そういう緊張感の中で、「そういえば!」と、関係ないことを思い出してしまう瞬間。

その衝動に身を任せ、本筋と関係ないことを話し出す人。明後日の方向に向かって走り出しても全く気にしない人。その人には、不思議な躍動感があります。
そう、まるで神さまが踊っているかのような、心地よい躍動感。

そのようなとき人は、「ちゃんと話そう」という緊張から解放されています。
そこに緊張と緩和のギャップが生まれて、その隙間から、躍動する「何か」が飛び出してくるのです。

そのとき、神さまが踊っていることを、感じます。

軽やかなインド的世界観「リーラ」

今聞いていただいたお話は何なのか、ということなのですが・・・

あなたが抱く思考は、あなたが持っている世界観をベースに構成されます。
もし、あなたがこの世界を、『北斗の拳』のような殺伐とした世界としてイメージしているならば、あなたはその世界で負けないようにと、戦闘的で殺伐とした、緊張した波動を出します。
生きることは苦しみであり、神さまからからの罰なのだ、といったような世界観を持っているならば、世界の何を見ても悲しい気持ちになるでしょう。
あるいは、何かを決断するとき「清水の舞台から飛び降りるつもりで」というような気持ちにならないと決断できない人は、「失敗したらダメだ」という、少し重い世界観を持っているのかもしれません。
その逆に、決断に際して「水たまりでも飛び越えるくらい」の力の入れ方で済んでしまう人は、「失敗してもやり直しがきくし、大丈夫大丈夫」といった、軽い世界観を持っているのでしょう。

あなたが抱いている世界観が軽いものであれば、あなたは軽い考えをすることができ、軽い波動を出すことができます。
この「軽い世界観」を持つことが、軽い人生を送る上で肝心要のことなのです。

実は人類史上、「この世界は軽やかなものだ」ということを実際に「見て」悟った人たちがいます。

それは古代インドの賢者たちです。
インドの賢者たちは、深い瞑想を通じて、この世界を創造する神さまの働きを見ました。

世界を創造する神さまの働きとは、どのようなものだったのでしょうか?

なんと、それは、「ダンス」だったのです。

インドでは、世界を創造する神さまのダンスのことを「リーラ」と呼んでいます。

医学博士であり、古代インドの伝統を受け継ぐスピリチュアル・リーダーでもあるディーパック・チョプラ博士は、「リーラ」について以下のように語っています。

私の生まれ故郷のインドでは、「リーラ」はシヴァとシャクティの宇宙のダンスで、創造のための男性パワーと女性パワーです。宇宙のダンスは、創造を表す可愛らしい象徴です。

『あなたが「宇宙のパワー」を手に入れる瞬間』p165-166、ディーパック・チョプラ著

引用した文章に出てくる「シヴァ」というのは、ヒンドゥー教の三人の最高神の一柱で、破壊と創造の神です。
一方「シャクティ」は、シヴァの妃であるパールヴァティ―のことだそうです。
パールヴァティ―という名前があるなら、なんでわざわざ呼び方を変えるんだって思いますよね(笑)。もちろん、神さまの名前は覚えなくても大丈夫です。

大事なことは、宇宙の根源にある男性的なエネルギーを司る神さまと女性的なエネルギーを司る神さまのおふたりがダンスを踊ることによって、世界が創造されている、ということです。

世界の創造について知るために、他のインドの賢者がリーラについて何と言っていたか見てみましょう。
1950年代後半にヒマラヤから降り、世界に「超越瞑想」を広めた聖者、そしてビートルズの瞑想の師匠でもあるマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーによると、「リーラ」とは

ブラフマンの戯れの力

なのだそうです。
「戯れの力」・・・楽しそうな響きですね。

「ブラフマン」とは、「シヴァ」と同じくヒンドゥー教の三人の最高神の一柱で、宇宙の根本の神さまのことです。
「戯れ」を辞書で調べると「遊び興じること」「遊戯」と出てきます。
つまりこの世界は、「神さまの遊び」の結果できているのです。
まるで、小さな子どもが積み木を積み上げて家をつくるように。
砂場で砂を固めて山をつくるように。
そんな気持ちで神さまがつくったのが、私たちが生きているこの世界だということです。

またインドの古代の知識の体系である『ヴェーダ』の中では、この宇宙は「ヴェーダの遊戯」とも言われています。ヴェーダはこの宇宙の背後にあり、宇宙の全てを司る知性です。つまりこの宇宙は「知性の遊び」なのだということです。

人生は苦しみである、というような人生観に比べて、なんとも楽しそうではありませんか?
わたしたちは、遊びは余暇にやるもので、仕事や勉強が人生の中心だと教わってきました。
でも、なんといっても、宇宙がつくられた理由が、神さまの「ダンス」や「遊び」なのですよ?

さまざまな宗教が、神さまに近づき、神さまをロールモデルにして豊かな人生を歩むように教えてきました。

ですが、神さまがこの世界を創造するというのは、「仕事」ではありません。「遊び」です。

ならば、わたしたち人間も、神さまをお手本にして、遊ぶように人生を生きて大丈夫なのです。

ここで、前の章のお話に戻ります。
私は、人が急に本筋と関係ないことを話し出すとき、その創造のエネルギーが、無邪気に躍動していることを感じます。

それが、神さまのダンスです。

この世界をつくった神さまって、そういうものです。
真面目な会話をしているときに、ふと飛び出してきちゃうような、ユーモアのある人なんです。
遊びやダンス、演じることが大好きなんです。

私たちは大人になるにつれて、無邪気さを失い、頭の中には「あれをしてはいけない」「これをしてはいけない」「こんなことはくだらない」という考えがあふれてきて、だんだんと「重く」なっていきます。

重い考え方ができるようになったことで、何か幸せになれれば、それは結構なことです。でも、重くなったところで、人生を幸せに生きていくことはできません。
重くなったって、おならがよく出て困っているというような身の回り小さな問題から、海洋のプラスチック汚染のような大きな問題まで、解決できるというわけではありません。

むしろ、軽い気持ちで取り組むことで、すてきな解決策が見つかるものです。

神さまの性格を考えてみてください。
わたしたち人間が、軽い気持ちで、遊ぶように気軽に人生を楽しむことこそ、神さまの望みなのです。

今どうしてもキビシイ状況にあるという方も、大丈夫。わたしたちは、神さまの遊びの結果としてこの世界にいるのです。大変なことも、遊びがあまり簡単だとつまらないので、少し難しいことを用意して楽しんでもらおうという、神さまの遊び心のひとつです。

そう思ってみれば、まぁ来年にはもうこのことも忘れているかなと、軽い気持ちになれるのではないでしょうか?
実際、去年悩んでいたことなんて、ほとんど覚えていないでしょう?

あなたも、神さまに祝福された子どもです。周りを観てください。あなたの周りの環境には、神さまの遊びのエネルギーが満ち溢れています。

あなたが軽く楽しく生きて幸せになることが、神さまの願いです。

恐れなんて一吹きで吹き飛ばして、神さまの願いに応えてみてください。
きっと素敵なプレゼントがありますよ。

いつも応援してくださりありがとうございます。