仕事を辞めて小説家を目指した僕の末路

 なかなか書き出すことができない。
 理由は分かっている。こんなタイトルのこんな文章、きっと誰も読まないだろうと思っているからだ。読まれたとして、これを読む人は僕のことを全く知らないわけで、そんな人達に向けて書いても果たして意味があるのか。
 だけどとりあえず、無理をして書き出すことにした。読む誰かを意識するのはやめた。
 何か、よく分からない、この世界を見ている神のようなものへ向けて、祈るように書こう。
 あるいは、小説家になりたいなどと考え始めた、中学生の頃の僕に向けて。

 小学三年生くらいまで、僕は本など漫画くらいしか読んでいなかった。
 初めて文字だけの本を読んだのは、「スクランブル・マインド」という小説だった。図書館にある、ちょっと分厚めのファンタジー小説だ。
 分厚い文字だけの本を読破した達成感はかなりのもので、それから色々な本を読んだ。といっても、殆どは同じようなファンタジー系のジャンル。
 ちなみに今と同じく捻くれていた僕は、「ハリーポッター」や「ダレン・シャン」といった人気作には殆ど手を出さなかった。

 その後中学に上がり、その興味はライトノベルに移行した。
 初めて読んだライトノベルは、奈須きのこの「空の境界」。凄まじい衝撃を受け、似た読書体験を欲してライトノベルを読み漁った。
 ちょうど「灼眼のシャナ」などが勢いのある時期で、「キノの旅」や「半分の月がのぼる空」、「戯言シリーズ」などにのめり込んだ。
 その頃から深夜アニメなどの視聴も始め、僕はどっぷりオタクになっていった。

 様々な物語に触れる中、誰もがそう思うように、僕もまた自分の物語を創りたいと思うようになった。父と共同で使っているパソコンで、毎日ちょっとずつ書き始めた。
 今はどうなっているのか分からないが、当時は「ライトノベル作法研究所」の投稿がかなり流行っており、僕もそこにポツポツと短編を出したりしていた。
 言うまでもなく評価はどれも大したことなかったが、めげずに繰り返し投稿していた。この頃には既に、プロの小説家になりたいとぼんやり考えていた。

 高校生になった。
「文学少女シリーズ」や「とある魔術の禁書目録」、「アスラクライン」などのライトノベルを夢中になって読んでいた記憶がある。
 特に印象に残っているのは「とらドラ!」で、読み終わると同時に、こんな凄いものがあるのかと衝撃を受けた。

 そしてその頃、僕は本気で小説家になると決めた。絶対に、何が何でもなる、と決めた。
 その頃の僕がこの文章を読んだら、激怒するかもしれない。

 とにかく、そう決めてからは更にジャンルを広げていった。海外の作家や、なんとなく難しそうなSF系、純文学なども読んだ。
 中村文則の「何もかも憂鬱な夜に」を読んで、こんなものも書いてみたいと思ったりした。

 大学に進学した。学部は理系の学部を選択した。
 小説を書くのだから、文系より理系に行っておきたいという考えだ。文章執筆にはそちらの方が役立つだろうと思っていたし、実際、その判断は間違っていなかったと思う。
 特に基礎数学やプログラミングなどは、文章力に直結している気がした(僕の文章力がそれによって磨かれたかどうかは別の話)。

 大学に入ってからも、今まで通り小説を読んだり、たまに書いたりもしていたのだが、それ以外にもう一つ、面白いものに出会った。
 アダルトゲーム、つまりエロゲの世界だ。

 初めてプレイしたエロゲは、ニトロプラスの「沙耶の唄」。強い衝撃を受け、似たような体験がしたいとさらにその世界に足を踏み入れていった。
「車輪の国、向日葵の少女」「Fate/stay night」「装甲悪鬼村正」など、有名作を手当たりしだいプレイした。
 中でも、OVERDRIVEの「キラ☆キラ」が印象的で、しばらくはその影響を受けた文章しか書くことができなくなったくらいだった。
 一緒に遊びに出かける友達が殆どいないこともあり、僕の少ないバイト代はその殆どがエロゲに消えた。

 大学在学中に、四つほどの新人賞に応募した。
 当時の僕は(今もそうだが)長い小説を書くのが苦手だった。書こうと思っても、殆ど最後まで書き上げることはできないのだ。
 今思えば、そこまで本気で賞をとろうという感じではなかった。今は色んな作品に触れて学ぶ期間で、本腰を入れて書くのはもう少し後で良い、という具合だ。

 新人賞の結果は、一次を通過したりしなかったり。よく覚えていないが大したことのない結果だった。
 あまり賞を分析したりせず、好き勝手に書いていたのも原因の一つだが、何よりシンプルに作品のクオリティが低かったのが一番の問題だ。

 メインをエロゲ、そして読書、時折脚本術などを読んだり、たまに執筆したりする……というのが、僕の大学生活の全てだった。

 四年が経過し、大学を卒業すると、僕は適当な会社に就職した。
 本音を言えば、在学中に小説家になるとっかかりくらいは掴んでおきたかったので、この時点で僕はかなり焦っていた。

 そこまで本気でやれていなかったというのもあるが、やはり何よりも、小説を書くというのは難しすぎる。
 その後いくつかの小説を書き上げた今でも、小説の書き方など全く検討もついていない。
 とはいえ、それは僕に限らずプロで活躍している人達も皆同じなんだろうと、今となっては思う。

 新入社員の殆どがそうであるように、僕もまた入ってすぐに辞めたくなった。
 仕事の内容や人間関係は置いとくとして、何よりも、朝から晩まで拘束され、自由な時間が殆どないというのがとにかく許せなかった。
 本を読む時間も、エロゲをする時間も、何より、小説を書く時間さえ全くとれないのだ。

 就職したからといって、僕は小説家を諦めたわけではない。
 働きながら書いて新人賞をとる人は多い。何より作家の大半は、他に仕事をしながら書いている兼業だ。
 だから僕もそうしようと思っていたのだが、実際にやってみると、それは僕には無理だった。

 正確に言うと、書こうと思えば書ける。ただそのスピードは気が遠くなるほど遅く、一年に一作がせいぜいというくらいだった。
 自分の実力を考えると、一作や二作で新人賞をとれるとは到底思えない。そうなると、もし上手く行ったところで、プロになるのは十年も二十年も後になっているのは間違いなかった。
 そもそも十年、二十年も書き続けられるかも分からない。僕は自分の意志の強さというものを全く信用していなかった。

 結局、このnoteのタイトルにもある通り、僕は会社を半年で辞めた。
 実はそれまでこの夢について誰かに語ったことは全く無かったのだが、ここで初めて、両親に全てを打ち明け頼み込んだ。
 長い話し合い(僕の一方的なわがまま)の末、月に二万円を家に入れている間は、働かずに自由にしても良い、ということになった。
 幸いながら、貯金は五十万円ほどあった。ざっくり二年間は一切働かず小説執筆に集中できるということになる。
 こうして僕は小説家を目指す一人のニートになったのだ。

 そして書き始めた。
 期限が決まり、後も無くなったことで、もう書けないと言うこともできなくなった。正確には「書けない。書けない」と言いながらも書くしかなかった。それだけだった。

 書けなくても、書くしかないのだ。書かなければ一生書き上げることはできない。
 そんな簡単なこと最初から分かっていた。分かっていたが、できていなかった。仕事を辞めたことで、それが突然できるようになったのだ。

 ライトノベルの新人賞をメインに、ライト文芸や、一般エンタメなど、色々な賞に応募した。
 片っ端から、というわけではなく、簡単にとれそうな賞を狙った。応募数が少ない所に優先的に送る、という具合だ。
 それがどんな賞であろうと、とってしまえばこっちのもの。あとはそれを使って他社に売り込むなどをすれば、次の仕事も見つかるだろう。それを繰り返して少しずつ有名になっていけば良い。そんな算段だ。

 ニートで家に籠もってひたすら執筆をしていると、当たり前だが、とても焦る。
 こうしている間にもかつての級友達は、着実に仕事をしてキャリアを積んでいるのだ。それに対して僕は何をしているんだろう。これだけやって、失敗したら何も残らない。そうしたらどうする? どう生きていくんだ?

 挑戦は良いことだと、色々な本に書いてある。やりたいことをやって生きろ、とも書いてある。ありふれたアドバイスだ。
 にも関わらず、なぜ、好きなことへの挑戦を諦める人がいるのか? なぜ今でもその類の本は新しく出版され、読まれているのか?

 それは怖いからだ。
 どんな本を読み、成功者に背中を押してもらい、どれだけ自分を納得させても、その恐怖は消えない。
 どれだけ理論や思想をとりつくろっても、道を外れるというのはそれ自体がとにかく怖い。その恐怖は何をしても決して消えない。

 だから皆、安全を確保してから戦おうとする。失敗しても大丈夫なように、リスクを最小限にする。
 しかし、会社を辞めて小説を書くという、とんでもなく愚かなことをしている僕は、何度も自分にこう言い聞かせていた。
「安全な場所から手を伸ばして取れるものなんて、たかが知れている。本当に必要なものは、リスクを犯さずに得ることはできない」と。

 それは恐怖に震える自分を落ち着かせるための、何の根拠もない言葉だった。が、それは今でも正しいと思っている。
 仕事を辞めて何も無くなったからこそ、何作も小説を書き上げ、投稿することができたのだ。きっと会社員を続けていたら、ひたすら「書けない。書けない」と唸るだけで、何も成せないまま何年も無駄にしていただろう。
 そして恐らくは、何の新人賞もとることはなく、その夢は夢のまま日常に溶けて消えていったのだろうと、今は思う。

 小説家志望のニートになって一年ちょっと経った頃、僕はある新人賞の銅賞に滑り込んだ。
 残念なことに、受賞の知らせを聞いた時、僕は「ああ、そう」としか思わなかった。
 というのも、前述したとおり僕はいくつかの賞に応募していたのだが、受賞したのはその中でも最も優先度の低い、数ある賞の中でも最も魅力を感じない賞だったのだ。

 その賞に応募するにあたり、僕は受賞過去作をいくつか読み、傾向を分析していた。そして分かった方向性は、僕の書きたいものとは全然違っていた。
 しかし頑張れば傾向に寄せられなくもないと、無理矢理に書いた小説なのだった。そのためその作品は、僕らしさというものが決定的に欠如しており、クオリティも全く納得の行く物ではなかった。
 ちなみに買った受賞過去作は今も手元にあるが、どれも途中で飽きてしまい読破できていない。

 なにはともあれ賞をとった僕には、担当編集がついた。ここでは仮にFさんとしておく。彼の指示の元で、改稿作業をすることになった。
 ちなみにFさんとは一度も顔を合わせたことはない。電話で話したのも最初の受賞連絡の一度きりで、それ以外は全てメールのみのやり取りである。

 ちょっと不本意な賞の受賞ではあるものの、一応は夢であった書籍化のチャンスである。気合を入れて改稿作業を始めようとしたのだが、いきなり僕は、これはヤバいという事態に直面する。

 担当編集Fさんの指示が、とにかくいい加減で、稚拙なものなのである。

「文章に無駄が多いから削ってくれ」と言われた。これは納得した。確かに僕の原稿には冗長な部分が多く、自分でも削るべきだろうと思っていたくらいだ。
 問題は「こんな感じに改稿してくれ」と送られてきた、Fさんの書いた添削文である。
 なんというか、これがとにかく酷かった。

 ひと目見て、初めて小説を書いた人の文章だと思った。
 文法的なミスは当たり前で、誤字脱字もひどく、「、」と「。」の使い分けさえできていない。どう考えても、普段から文章を書いている人のそれではない。

 これはヤバいと思った僕は、その添付テキストはとりあえず無視し、あくまで自分なりの改稿で提出した。が、もちろんダメだった。
 僕のほうが、その素人感溢れるテキストに寄せざるを得なかった。
 結局僕のペンネームで出した小説だが、その冒頭十ページくらいは実は僕の文章ではなく、Fさんの文章を僕が修正したものになっている。

 これ以外にもFさんへの文句は尽きない。
 明らかにこちらの提出した原稿を読まずに指示を送ってきていたり(意味不明な指示に嫌気が差し、四回目と五回目で全く同じファイルを送ったのだが「凄く良くなった!」と言われたり)、最後の決定稿を送った後で、知らないうちに本文が変えられていたり(これは場合によっては大問題なのでは?)、まぁ色々あった。

 Fさんがメールに頻繁に書いていたのは、「うちの売れっ子の○○先生の本を読んで、その文体の真似をしてくれ」というものだった。
 つまりその先生のコピーが欲しかっただけで、僕が欲しいわけではなかったのだ。

 半年ほどの改稿作業を終えると、その小説は無事出版された。
 詳しいことは分からないが、その売れ行きはあまり良くなかったに違いない。三つついているAmazonレビューのうち二つは、ボロカスに叩く内容だった。
 もともと賞に投稿した時から質の良いものではなく、それがさらに改悪されていったのだから、それは当然の評価と言えた。

 とはいえ、一冊出したのだ。前述したように、その一冊と新作のプロットなどを他社に持っていき、売り込みをすれば、次の仕事が得られるかもしれない。多分、得られたと思う。
 が、結局僕はそれをしなかった。僕はその一冊をきっかけに、小説家というものへの興味を完全に無くしていた。

 Fさんが間違っていたのか、正しかったのかは僕には分からない。
 もちろん、僕自身のコミュニケーション能力の低さも問題の一端ではあったと思う。
 シンプルに運が悪かったというのもある。他の編集者だったら問題なかったかもしれないし、大手出版社であれば、そういう問題が起きないように何か対策があるのかもしれない。

 ただ、僕にとってその仕事は強烈な苦痛であった。
 やり取りを重ねるごとにどんどんボロボロになっていく自作を見る悲しみは、実際にそれを味わった人間にしか分からない類のものだと思う。

 一つ、はっきりと分かったことがある。それは、小説家というのは、出版社の下に位置しているというその構図だ。
 何をどう自由に書いたとしても、出版社の意向と違えば、それが世に出ることは無いということ。
 出版社は組織を守るため、売れる本を出さなくてはならない。そのためには売れる作家が必要で、そこから外れた作家に居場所はない。

 当たり前のことだ。
 どれだけ必至に、全力で書いたとしても、編集者や出版社の考えと違えば、それは変えられてしまう。それは構造上仕方がないことで、当たり前のことなのだ。

 そんなこと頭では最初から分かっていた。が、それを身を持って理解した途端、小説家というものが急に馬鹿らしく思えてきた。
 本気で、真面目に書いているのが、凄く間抜けなことのように感じた。

 誤解が無いように改めて書いておくが、これは僕の文章が完璧だとか、意見をする奴は全員クズだとか、そういうことではない。
 僕の文章が未熟なのは間違いなく、読んだ編集がそれに修正案を出すのは正しい。

 が、何も考えず土足で上がり込み、滅茶苦茶に壊していく存在がいると分かっていて、それでも真剣に文章を書こうとするだけの力が、僕には無かった。

 またちょっと話は逸れるが、より現実的な話として、収益の問題もある。
 今回の出版で僕が得た金額は、賞金を除くと、四十五万円くらいであった。
 多少のずれはあるだろうが、どうやら作家が一冊本を出した時の平均は、おおよそ四十五万円から五十万円くらいらしい。重版が無い限りこれが一般的だそうだ。
 僕は一冊書くのに二ヶ月から三ヶ月かかる。編集者との打ち合わせや改稿を、大体二ヶ月くらいだとしても、五ヶ月から六ヶ月で四十五万円ということになる。

 もちろん、小説家になりたいなんて考える人間の大半は、お金のためにやっているわけではない。
 が、自由に書くことができず、お金を稼ぐこともできないとなれば、もはやプロの小説家を目指す意味が無くなってしまう。

 ……そして実は別に一つ、問題があった。どちらかというとこちらのほうが重大である。

 一年半程、小説を書き続けて分かった。僕にはどうやら、小説を書くための素質のようなものが、決定的に欠けている。
 基本的に、全く楽しく無いのだ。書いていても、その95%くらいはただただ苦痛であり、5%くらいは楽しいと思うこともあるが、それは本当に微々たるもので、その一瞬のためにかかる労力を考えたら、到底釣り合っていないのである。

 先に書いた、編集者や出版社、あるいはお金の問題だけであれば、なんとかうまく、騙し騙しやっていくこともできたかもしれない。しかしこちらの問題は致命的だった。
 何とか凌いで小説家をやっていった先に、自分が幸福になっているビジョンが全く見えなかった。

 その一冊の仕事が終わると同時に、僕は小説家という夢を捨てた。
 初めて小説を書いてから十年以上背負い続けてきたものを下ろすと、ホッとするような、安堵の気持ちに包まれた。

 このnoteのタイトルに、「末路」という言葉を使った。
 コトバンクで調べると、デジタル大辞泉の解説として以下の記述が出てきた。

 一. 道の終わり。
 二. 一生の最後。晩年。ばつろ。「人生の末路」
 三. 盛りを過ぎて衰え果てた状態。なれのはて。ばつろ。「英雄が哀れな末路をたどる」

 このタイトルの文脈からすると、一か三のどちらかだろう。そもそも「盛り」が無かったことを考えると、一の方がより妥当な気がする。

 道の終わり。
 たった一年半程だけ小説を書き、ようやく一歩二歩踏み入れたところで引き返した僕は、果たして道の終わりまで歩んだと言えるのだろうか?
 きっと、僕はまだ末路には程遠い。

 こんなタイトルで文章を書いておきながら、ここではっきり言ってしまうと、僕は全く、微塵も、これっぽっちも後悔していない。

 仕事を辞める前に戻りたいだとか、小説家という夢を抱く前に戻りたいだとか、そんなことはただの一度も考えたことはない。
 他の人からどう見えるのかは分からないが、僕は最善を尽くして来たという思いがある。そしてそれは誰が何と言おうと覆ることはないという確信がある。

 本気でやるからこそ、失敗に到達することができた。
 失敗は成功の母などとつまらないことを言うつもりはない。失敗とは進むことだ。僕はようやく踏み出したばかりで、到底「末路」なんて見えはしない。

 今、僕はフリーターをやっている。といっても週に二日か三日だけで、実際はニートと変わりない。
 ここには書かないが、最近、ちょっとやりたいことができた。小説とは全く関係なく、ジャンルも全然違うことだ。そのための計画も立てた。例のウイルスの影響でちょっと遅れるだろうが、恐らく実現できるだろうと思う。

 文章執筆とは全く無縁の生活を送っていたのだが、先日、ちょっとした気まぐれで図書館に行くことがあった。
 何気なく本を借り、読み始め、久々に読書に夢中になった。
 今まで気になっていた本を借り、最近はひたすら読んでいる。

 もともと読書をすることは好きで、平均よりは多く読んでいる自信はあるが、とてもじゃないが読書家と言えるようなものではない。
 読書量が足りていなかったのも、失敗した原因の一つかもしれない、と思った。
 ならば、こうして日々本を読み、積み上げていけば、次はもう少しうまく行くんじゃないかとも、思った。編集や出版の問題はさておき、書く素質に関しては、これでクリアできるかもしれない。

 次こそは、と、いつの間にか夢中になって考えていた。
 その次というのが何を指しているのか、実のところ僕にもさっぱり分からない。ただ一つなんとなく分かったことがある。
 僕は道に一歩二歩を踏み出して、すぐに引き返したのだと思っていたが、実際は、まだ未練たらしく道に立っているらしい。

 だからとりあえず、なんとなく書いてみた。
 最初は小説を書こうと思った。が、どうもうまくいかず、少し書いてはすぐ書けなくなった。
 だから仕方なく、自分のことについて書いた。小説家になるためだとか、そういった目的を持たず、完全に自分のためだけに書いた。

 ここまで書いて、確信した。僕はもっと書くべきだ。
 もっともっと書いて、もっともっと読む。
 仕事をやめてから一年半だとか、初めて小説を書いてから十年経つとか、そんな短いスパンで考えていたのが間違いだった。もっと長い時間、進み続けなくてはならない。
 そうでなければ次には到達できない。

 次というのが何なのかはやはり分からない。が、そこに到達すれば、僕はまた成功か失敗かをする。
 そしてまたその次に向かって進み始める。繰り返す。末路まで。

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