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社会課題の解決に取り組む私は幸せか?

NPO法人ダイバーシティ工房では、「全ての家庭が安心して暮らせる社会」をビジョンに掲げ、誰もが自分らしく暮らせるまちづくりに取り組んでいます。

代表である私自身が育ち暮らしてきた千葉県市川市でそんなまちづくりを実践しようと、保育園、コミュニティカフェ、放デイ(発達障害を持つ子どもへの学習支援)、無料の学習教室、自立援助ホーム、LINE相談など、切れ目なく繋がることのできる拠点やサービスを作ってきました。

課題解決さえ進めば私も幸せ。…なのか?

創業以来、拠点数やスタッフの増加に伴って、サービスを利用できる「受益者」の数も増え続けてきました。ひたすら走ってきたような日々でしたが、立ち上げから10周年を節目に活動を振り返る中で、こんな疑問が生まれたんです。

受益者数が増えるほど、私自身も幸せになっているんだろうか?
組織や事業の拡大が、本当にビジョン実現に繋がるんだろうか?

いつだって作ってきたのは、出会った子どもたちやその家族の困りごと、自分自身が感じた違和感やときに社会への憤りを出発点に、あるべき、あってほしいと思うものです。

コミュニティスペース「プラット」立ち上げ時のDIY

それは今後も変わらないはずだけれど、活動の影響を何千何万という人に及ぼすことができても、家族が、仲間が、自分が安心できず幸福とは言えない状態だったとしたら…?それでも「これでよかった」「私は幸せだ」と言えるんだろうか。

言えないな。活動の拡大と自分の幸福は常に比例関係にあるわけではない。
そんなことにはっきりと気がつきました。

支援者という存在の限界

10年以上前に市川で創業してから今に至るまで、どんなに事業を拡大し、賛同の輪を広げても変わらないことがあります。それは、支援者が常に足りないということ。

人を採用し、育成する。自分たちがどんなに頑張って繰り返しても、不足の状態を根底から変えることはできません。

父と2人で始まり、12年でスタッフは150名を超えました


そこで思い至るのは、「支援者・被支援者」という関係性がそもそも持続的ではないんだよな、ということです。支援者が常にサポートする側で、支援を受ける人が常に受け手なわけでもない。ある場面では逆であったり、そのどちらでもなかったり。

数年前から法人で掲げてきた今後のあり方を表すキーワードは「地域に溶け込む福祉」。これは、もうこの持続的ではない支援者・被支援者という関係性に囚われるのはやめようよ、という思いから生まれました。

私たちの住むまち全体が、色んな状況の人たちにとって暮らしやすい場所だったら。

困ったとき、やっとの思いで施設や相談先にアクセスしなければいけないのではなく、日常の中に行きたい場所があって、会いたい人がいて、困ったときには頼れる機能や役割に繋がることができたら。

そんな生活の中に自然と存在する福祉の状態を「溶け込む」と呼んでいます。

法人10周年の節目でメンバーと出した5年後にやっていたいこと

具体的には、例えば複合施設という形で、目的、用途、年代、関係性など様々なものを超えて色んな人が出入りする場があり、各々の立場や役割を入れ替わり立ち代わり、“ごちゃまぜ”になれたら、それは理想とする状態です。

そんなあり方を目指すためのヒントを得たく、先に実践している場所や団体を訪れようと、昨年は「Share金沢」のまちづくりで実践されている社会福祉法人佛子園さんをスタッフが訪問させていただきました。

訪問レポート
https://note.com/diversitykobo/n/n444d0659b8dc

今も、全国でそんなまちづくりに取り組む団体や、ユニークなあり方をする支援団体の皆さんを訪問し、お話を聞かせていただいています。


価値観、文化、関係性。ものではなくそこに広がる世界を作りたい

本当に作りたいものを想像したとき、そこにあるのは、建物それ自体ではなく、人と人が築く関係性や、その構築が営まれるような「場」なのだと思います。

大事なのは、そこでどういう会話が聞こえてくるか、どういう風景が生まれているか。こうしたことを改めて深く考えたのには、昨年経験した沖縄での台風が大きく関係しました。

3年前、私は生まれ育った市川を離れ、家族で沖縄に移住をしました。そして2023年の夏、地元の人たちでも過去に例を見ないというほど甚大な被害を及ぼした台風を経験しました。

暴風雨の中、家や車までもが壊され、木がなぎ倒され、電気・ガス・水道といったライフラインが止まり、あっという間に日常が失われてしまいました。

その中で見た光景は、かろうじて使える電源を地域の人に開放する人、使えるお風呂を解放する地元ホテル、水や物資など必要なものを持っていくように呼びかける地元商店など、自分の持つ資源を隣近所の人に惜しみなく分け合うまちの人たちの姿でした。

この過酷な状況を乗り切るために、自分や自分の家という枠を超えて、隣近所の人がそれぞれ行動をしている。

でも、よく思い返せば、移住してから沖縄で見たのは災害時に限らず普段から自分が暮らす地域、隣近所のために自分の時間や持ち物を当然のように他者と共有しあう人たちの姿でした。

災害など緊急事態のときに強い場所は、普段から主体的にまちを形作る人でできている場所なんだ。そうひしひしと感じました。

どんな場所で生きていたいか?
どんな人と暮らしを分かち合いたいか?

生きていくうえで私の幸福を構成する大切なものは、価値観や文化、関係性など、いくらお金を払っても買うことができないものばかりなんだと、ずっしりと重みを伴って気がつく経験でした。

だからまちづくりだった

こんなまちのあり方は、沖縄でしかできないことではなく、市川だって、他の地域でだってできるはずだと思っています。

人は固定された役割や立場の中で生きているのではなく、入れ替わり立ち代わり様々な状況やライフステージの中を潜り抜けていきます。

例えば私たちが運営するグループホームや母子ハウスでは、困りごとを抱えた女性たちが生活をしていますが、彼女たちが支援やサポートを必要としていることはある一部分にすぎません。一歩外に出れば、いち生活者として、買い物をしたり、お茶したり、働いたり、誰かを助けながら生活しています。

どんな状況もその人の全てではなく一部であるように、誰もが持ち合わせるマイノリティの部分や大変さ、楽しさ、そして幸福を、特別視するのではなく暮らしの中でゆるやかに人と人が関係しあう中で分かち合うことができたら。

「受益者」と呼ばれる人の数を増やす、というよりも、誰もが一生の中で困りごとも暮らしにくさも抱える当事者であることを前提とした場所で生まれるものが、暮らしに溶け込んだ福祉になるのだと思います。

だから私が本来的にしたいことは、個別の誰かに支援を届けること、より、まちづくりなのであり、考えたいのは、いかに人を救えるか、より、どんな日常が当たり前のようにほしいか、なのだと思います。


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ダイバーシティ工房は、誰もが自分らしく生きていけるまちづくりに取り組むNPO法人です。

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