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中村達也をエスコートする浅井

浅井健一と中村達也の対談を聞いたので記念に書いています。ヘッダ画像をお借りしています。

その内容についてはそこかしこで書かれていることでしょう。なので別にぼくが言うことでもなさそうです。

ぼくが感銘を受けたのは浅井が中村との面談の直前に、すぐ中村とは会おうとはしなかったところにある。つまりこの対談という企画で初めて、久しぶりに中村に会い、そこからもうすべて企画内に盛り込んでしまおうと自分で演出したのだった。

ぼくが知る浅井とは、例えばティービーメディア等でプロモーションする際には台本丸読み、自己の意思などなく「言わされてますよ感」を前面に押し出すタイプの人だ。それはメジャー契約したことにより、レコード会社が自分たちの歌をもっとより多くの人に届けようとしてくれることに一定のコンセンサスが得られたのかも知れない。金のためにやれ、と言われて動くような連中ではない。特にこれはBLANKEY JET CITY時代のことを言っている。

SHERBETSやJUDEのころはティービー・メディアに出ていたのだろうか?浅井健一名義ではタイアップがやや合った気がするから出ていてもおかしくはなさそうだが

この浅井と中村が久々に会う、という行為について浅井自身が商品価値を覚えたことに驚く。でもたぶん商品価値のような資本主義的な立ち回りよりも、リスナーはたぶんすでに解散したBLANKEY JET CITYのファンも多いことだろうから、公の場で(彼らは別に普通に、表に出す必要がないだけで照井も交えてよく会ったりはしているのだ)会話をするという行為の隅から隅まで純度100%の状態で味わってほしいと思ったのではないだろうか。いわゆる浅井なりのファンサだ。

彼らが普段から年上の照井をからかっていたように見えることも含めこの対談は時間をかけて聴くべきだった。彼らの口からぼくは初めてちばゆうすけが病床にあることを知った……自分で調べて知るより、近しい彼らから聴けたことに救いがあった。さらにその前の日には、BUCK-TICKの櫻井が急逝してしまったことも知っていた……中村も大きな病気をしていた気がするが、その話に触れなかったということは回復したのだろう。。

またSHERBETSの友達という歌が中村達也のことを思い出して歌われたことについて初めて知った。もちろんそれは対談外で話したことだが、浅井は歌の中の言葉について名言を避ける傾向にあるのに、ここまでディティールを話すなんて珍しいとぼくは思った。

だけど自己が歳を重ね、何かしらの説明責任みたいなものを感じたのかも知れない。責任というよりは、今この機会に話しておかないと、誰も知ることないまま歌だけが残るな(それはそれで良いことであると当時も思っていただろうとは思うけど)と感じ、せめてそのような事実が過去にあったことを開放してあげたいな、と思ったのかも知れない。

さっきも言ったように浅井とは映画の人……その、趣味的な話です。立場はそりゃ歌の人、絵本を書く人なんだけど、彼の歌の言葉とは浅井なりに恐ろしい数見た映画を彼の中で好きなようにかき混ぜ、アウトプットするものなのだろうと初めて彼の歌を聴いた頃に思って、それが今でも続いている。

ぼくが今みたいに映画の感想を書きまくるようになったのは浅井の影響もあると思う。ぼくは笑えないぐらい信じられないぐらい映画を知らずにおり、浅井が丁寧に歌の中で「小さな恋のメロディという映画を見たことがないなら見るべき」みたいに解説しなければ、映画という媒体を見る行為にすら価値を感じられなかったかも知れないのだ。いつまでも。

またそれはTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTの登場BGMがゴッドファーザーだったりしたことも影響しており、彼らがなければぼくの現状がないといえるのだ。


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