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造られた声がもたらす機会損失について

ヘッダ画像をお借りしています。あまりポジティブな題目でなくて申し訳も立ちません。以前、造られた声で話す行為はエンターテインメントの一部を構成しているからパフォーマーの営業努力の結果だよね、でも営業面が見えた瞬間に「ああ、今まで見ていたものは虚構だったのか」みたいに気付かされるよね、みたいな話をしました。

声を造ることには様々な理由があるはずです。

プライヴァシー

ひとつは声を造るイコール自分のほんとうの声質で話すわけにはいかない事情がある、ためです。

本当の声質で話すべきでない理由は多分立場を隠して人前で偶像業をやっているから。偶像業とは上記リンクを書くにあたりその周辺で考えていた概念にネーミングしたものですが、ふつうにアイドル業とか思ってくださればいい。

今で言えばYouTuberやティックトッカーも該当するでしょう。どこぞの企業で広報なりなんなりをやっているけど、そんなの同僚にバレたくないから顔も声も隠して各種自己承認欲求爆上げプラットフォームに参加する。そして当該職業のストレスを和らげる。

マーケティング

もうひとつは偶像業としての確固たる地盤を築くために、よりエンターテインメントに特化した自分の演出の一部として普段の声よりかわいい/かっこいい声を出すというマーケティングによるものです。冒頭でお話したことですね。

機会損失

いずれにしても造られた声を発声していることにリスナーが気づけなければ幸せだとぼくは思いますが、気づいてしまうとたちどころに共感性羞恥と「職業感」、そしてひどい時は「職業感を受けたことによる共感性羞恥」みたいなハッピーセットな感覚が襲いかかってくる。

襲いかかってこない人は「ああ、この人は頑張って普段と違う声を出して頑張っているんだな、頑張っているから応援しなきゃ」と思うのかもしれない。非常に稀有な存在であるように思える。そういった方は普段から気づかなければ良いことに自分だけ気づいてしまい、無駄な気を遣ったり自分の時間や精神をすり減らしてしまっていないかと心配になる。

普段と違う声で話すと声帯に負担がかかります。声帯結節とか素人から偶像業になった人(誰でも最初は素人でしょうが、「声の訓練」が以前の人生に組み込まれていなかったというケースを想像していただく)がかかりやすい病気といいますか喉の怪我みたいなものですね。

斯様な人の話し方を見ていると、「ンところドゥぇ~(ところで)」みたいな文字通り空気が鼻にかかりまくっているかのような話し方であることが多い。つまり大げさに話している感じ=声を造っている、ことが否が応にも伝わってきてしまう。

これが共感性羞恥を産んだり視聴継続をやめるみたいな機会損失を生むんですが、結局何も良いことがないんじゃないか?と思わされる。

もちろんそうでない人もいるのでしょうが、リスナーは萎え落ちする、本人は普段と違う発声するから喉の病気になる、その人が所属するMCN的にもマーケティングに成功し……なさそうに見える。三方一両損です。

そんなことになるぐらいだったら、医療機関に払うことになる金を、自分に投資してやれば良いのではないでしょうか。例えば変声機的なアプリケーションを介す、ボイストレーニングに通うなど。

それがなければ、無料で自分の喉を破壊して、有料で医者にかかるという何の前向きなものでもない出費が残るだけです。このテーマには続きがあるのでまた書きたい。それでは素敵な週末をお過ごしくだ!w


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