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ヒルナンに長田観光と水牛みたいな典型的吉本コンテンツは不要論

水牛じゃなかったでしたっけ?とにかくヒルナンデスのコンセプトとして平和が根底にあるので、平和な場をみすみすかき乱して笑わせるみたいなエンターテインメントが何ら期待されていないことを制作会社は肝に銘じるべきではないか?という考えがこの論拠の礎です。

長田観光ですが、長田が好き勝手やるだけで何らの伸長性もないコンテンツとなっている。例えばnoteでユーザひとりひとりをクリエイタと呼ぶように(ぼくは字を書いているだけのユーザをクリエイタと呼ぶこと、何よりも字を書いているだけの自分がクリエイションをしているのかと問われれば大いに疑問を感じます)、テレビというメディアを通じてテインメントをエンターするのであればそこには創造性があるのかもしれない。

ところが長田がやっていることは単なる無茶振りと、何を言われても恐縮ですと答えるのみという発展性のなさ、展望の絶望さだけの提示です。松尾アンダーグラウンドに対して適当に話を突きつける様からは、松尾アンダーグラウンドがただただクリエイション然としている印象しか受けないことでしょう。こと彼らを知らない視聴者層は。

そちらがそのような方法で来るのであれば、こちらもあまり出したくない手で指摘しましょう。もし長田観光を見た子供らが、どんな悪事を働いても恐縮だと言えば許されるという価値観を持って育ったらその落とし前はどのようにつけるんだ?仮にも人の親がそんなクズみたいな子供を量産する役割を自分の仕事だと世に憚って懐に金を入れるのか。

松尾アンダーグラウンドに対してだけの上記のような暴挙であればまだ猶予の余地があるかもしれませんが、それは取材店舗に対してもやられる。

店名を言わずに中に入ったり、店の前を通り過ぎたり、十分に価値が感じられる店にいながらにして本来の目的地がここではないなどと言う……と枚挙に暇がない。これは創造どころか、単なる侮辱でしかないでしょう。

また番宣のためにわざわざヒルナンデスのロケくんだりまで来た俳優(番宣程度でテレビ出演する行為に対してあまり肯定したくありませんが)や、佐藤栞里(ぼくは佐藤栞里に対して良い感情も負の感情も持ち合わせてはいません)を差し置いて自分だけ豪勢な飲食をしたりする様を求める層とはどこらへんだろうか?

これは以前も述べた梅沢富美男不要論と同じです。

専門家にいちゃもんをつける存在の必要性とは?固定概念を疑うことは戦略会議みたいなビジネスの場なんかでは効果的でしょうが、「プロを疑う」というほどの専門性向上に寄与するための行為が昼の番組に求められているのだろうか?それとも、彼らが収録している現場がプロの現場なんだから、見るだけの視聴層は素人だと考えるのだろうか?

水牛についても長田のコピーと言いますか彼らひっくるめて西側の番組作りにおける負の側面の劣化コピーであるため言及は避けます。水牛じゃないんでしたっけ。

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