見出し画像

アルファ米食べた数を競う僕らは

プロフェッショナル仕事の流儀に東京03が出ていました。ヘッダ画像をお借りしています。敬称は略しまくっています。

ぼくはエガちゃんねるで見た、結局騙しだった偽スタッフが江頭2:50に対しプロフェッショナル仕事の流儀へ出演してほしいというオファーを出したものの、江頭が即断った姿があまりに鮮烈に印象に残っていて、以降番組に対する見方が変わったことがあります。

と言ってしまうと「コメディアンが当該番組に出演することを貶している」ように捉えられるかもしれませんが、江頭と東京03の方法論はあまりにも異なっているため別に出演するコメディアンがいてもいいのでしょう。

ぼくは記憶が非常に曖昧なんですがかなり幼少の折に周りに相当テレビ的にはインディーズとされるコメディアンたちが好きな家族が周りにいて、その中でアルファルファを見たことがある気がしています。記憶が曖昧だからそこまで自信を持って言うべきじゃないけど、アルファルファが将来プロフェッショナルに出るだろうかと聞かれたら答えに窮しただろうと思う。

多分豊本の不審さみたいなものが印象には残っていたんだろうけど、それが笑うという分岐点にまではコンセンサスを運びきれなかったように思える。ぼくが理解力に乏しかったのかもしれない。だってその頃は豊本が台本を書いていると思っていたから。

実際には昔から今まで台本を書いているのは飯塚でした。ぼくはそれに驚かされた。逆にそれぐらい、飯塚はアルファルファ当時豊本の異形を際立たせるための「普通の人」という演技を完璧にこなしていたのでしょう。つまり飯塚が舞台において果たすべき役割はすべてが完璧だったと言える。

ただ、それは理解力の乏しい子供には受け容れられなかったのでしょう。ぼくは彼らのような劇(コント)よりも漫才のほうが好きだった気がする。けど、往々にして笑うのは結局劇形式の方が多かった気もする。多分当時M1とかが台頭してきて、コメディアンの真髄は漫才にありとか偉そうなことを思い始めていたのでしょう。今は何とも思っていません。

ハレルヤとかのわかりやすい劇では笑っていた気がする。主任がおいおいおいおい加藤~~~~~とか言うものでした。しかしながらぼくがあまり笑わなかったアルファルファはまだ原型が残っており、ハレルヤはいなくなってしまった。

劇形式を遠ざけた理由は他にもあったと思う。これは飯塚の例にもあったように、劇への没入に対して芸術の域に達しすぎて、いわゆる嫌な奴を演じなければならなくなった時にぼくが短絡的にその人を嫌いになってしまうほど演技が上手かったみたいなことです。それを笑わなきゃいけないのに、嫌いという感情が笑う行動を上回り、感情を動かしてしまった。

プロフェッショナルで見た飯塚の姿は確かに東京03の司令塔……といいますか舞台監督とか演出のようだった。という話をまた次回以降に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?