市川プロデュース
市川海老蔵の1月ドキュメントを毎年見ています。ファンからの目線ではないことにご注意ください。ヘッダ写真をお借りしています。
市川の子供について
堀越勸玄(弟)はともかく、市川ぼたん(姉:芸名)についてはかつて、顔を隠してあげてたり、本名も出さないであげたりするような配慮があったため市川の家庭において市川自身以外はそういったマーケティング事情には関わらずにいくのだろうと思ったことがありました。
最近の市川ござる(略)では、ふたりともガンガン顔を出して……といいますか市川自身よりも全面に押されている。まさに番組の演出意図がここにあるのでしょう。
あるいはそれまで市川の方針で顔は出したくないとしていたが、なんだかGoサインも出たし家族愛はおいしいからガンガン撮ろうやみたいな日テレにありがちな方針にもまんまと乗れるようになった。もちろん想像です。
同時に、勸玄ならびにぼたんがこの道で自分の人生をどうにかしたい、と市川に伝えたことがあったのかも知れない。そこで市川は親として何らかの覚悟をして、自分の子供の顔を見せて人様から金銭を頂戴する舞台に立たせるのであれば、普段から堂々とその顔を見せるべきではないのか?といった情緒を得たのかも知れません。想像です。
別人
今回の市川まする(略)を見て驚いたことは、上記姉弟(してい)がまるで別人だったこと。
男子、三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ。『三国志演義』より
呉の武将である呂蒙は武道一辺倒で学問を軽視する人間でした。無学ゆえ周囲から軽んじられてしまう呂蒙を見かねた呉王孫権は、呂蒙に学問を勧めます。はじめはあまり気乗りのしない呂蒙でしたが、恩義ある呉王孫権の熱心な働きかけに発奮し、学問に打ち込み始めます。武芸に秀でた呂蒙は、その精神力を活かして日に日に教養を身につけ、学者も及ばぬほどの豊かな学識を備えた大人物と成長を遂げたのです。「君は本当にあの呂蒙か?!」驚く周囲の人々に呂蒙はこう言います。「努力している人は三日会わずにいるだけで見違えるほど成長するものであって、次会う時は心して相対しなければなりませんよ。」
長崎県立佐世保南高等学校のHPより
上記引用のこんな言葉みたいに姉弟が別人みてえになっている。別人と言いますかそれまで「反応を返すだけの置き物」でしかなかった姉弟だったが、自我が備わっているように見えた。
またそのおかげか、市川の家族以外はほぼ登場していなかったことはぼくにとって悲しみポイントでした。
「貴重な歌舞伎という伝統芸能で『日頃スポットが当たらない裏方、付き人』たちがどのように日々過ごしているのか」がわかる新鮮な番組だっただけに残念でした。それだけ市川の家族に梶を切ったら、思いの外撮れ高があったということなのでしょう。実際ぼたんの演技指導される様とかカメラを仕切る様とか色々ありました。
そちらについてまた次回……