妄想日記『オープンハウス』
目を覚ますと衣装タンスの中だった。
洋服に埋もれた体を揺すり起こし、
僕は大きく息を吸って、
「もういいよー」
と誰かを呼ぶ。
「もういいよー」
何度か読んでみたものの、一切返答がない。
タンスドアの隙間から外の夕日が射し込んでくる。
どうやら僕は、眠り過ぎたようだ。
タンスのドアを開けると、目の前にはリビングが。
その奥にはだだっ広い芝生の庭が広がっている。
太陽の光で金色に染まった芝生達が、
風に靡いて踊り出すと、
懐かしい夏の匂いが僕の記憶を掻き立てる。
夏が産まれた。
僕は微笑ましくも迫り来る夏の上々気流に身を構え、
芝生の庭に飛び出した。
***
そんな夢を見た。
自分が子ども時代の夢だ。
リビングの時計が夕方16時のチャイムを鳴らす。
ソファで眠ってしまったせいか、体が重い。
僕はテーブルの携帯とアパートの鍵を持って、
あの街へ向かった。
国道2号線をまっすぐ30分歩くと、
大型スーパーが右手に現れる。
その手前の角を右に曲がると、
細い道から古い住宅街につながる。
僕はこの街に越したときから、
この住宅街を何度も散歩してきた。
古い住宅街なのだが、
一軒一軒の家を見てみると、
窓は一面一面綺麗に掃除されていて、
庭の大木は葉を綺麗に刈り揃えられている。
ときどきどこかの家からピアノの音が聞こえたり、
夕方にはカレーの匂いがしてきたり、
玄関前にある大きな水槽で赤い金魚が泳いでいたり、
ネギを育てるお爺さんの家や、
花屋敷と言われる家もある。
一家に一台車をもっていて、
その車もベンツやジープではなくて、
過半数が日本車で、あってもフォルクスワーゲン。
そんなこの住宅街でいつか住んでみたいと、
僕は彼女も金もないときから思っていた。
しばらく歩いていると、
道端でパイプ椅子に座るおじさんが見える。
“オープンハウス”
と書かれた看板を持ったおじさんと、
僕は奇しくも目があってしまった。
「こんにちは!」
見た目より若々しい声で僕に挨拶をしてきたので、
「あ、どうも」
と老けた声で挨拶してみた。
「オープンハウスやってます!よかったら5分だけでも」
と左手で看板をグイッと持ち上げ、
右手でサラッと僕を誘惑してくる。
「あ、じゃあ5ふんだけ」
部屋着姿で寝癖だらけの僕は、
おじさんの溌剌としたお尻を見ながら付いて行った。
***
物件の前に着く。
“オープンハウス!!”
と書かれた旗が家の前を等間隔に靡いている。
住宅街の道から家の外観を眺めてみる。
白壁に落ち着いた橙色の屋根が素敵な二階建て。
特に個性的な主張も無く、一見地味、というか。
それは素朴な一軒家だった。
「見た目は素朴ですけど中が何とも素敵な物件なんですよ。さぁさぁこちらへ」
僕はおじさんの右手に招かれ玄関の方へ向かう。
小さい庭のアプローチを通ると家の玄関扉がある。
庭は焦げ茶色の土がびっしりと詰まっていた。
深緑の玄関扉を開けると、
真っ直ぐ綺麗な木目の廊下。
左手には二階に繋がる少し段差の高い階段がある。
「お兄さんから見れば少し古くみえるのかなぁ」
少し自信のないフリをしておじさんが僕の返答を待つ。
「いえ、すごく懐かしい気持ちになりますね」
おじさんは微笑み「さぁさぁ」とスリッパを並べた。
木の床は柔らかく足裏の感触が心地よい。
廊下を進む。
「いきなりですが、この物件の1番の魅力がこちらの奥に」
おじさんは微笑んで私をリビングの方へ誘導する。
薄暗い廊下の向こうから金色の光が射し込んでくる。
こじんまりとしたリビングに出ると、
そこにはだだっ広い土の庭が現れる。
「どうですか?この大きなお庭。」
夢で見た庭とは全く持って違うが、
この殺風景な土の庭には金色の光が差し込んでいる。
僕はおじさんの顔を見て返事に困った。
おじさんは僕の返答を待っている。
「もういいかい」
「もういいかい」
と、そんな声が何処からか聞こえてきた気がした。
そんなとき、ポケットの携帯が鳴り出す。
妻の入院する病院からだ。
僕は金色の眩しい光を前に電話に出た。
***
それから25年が経った。
私の家は、小さな白い家だ。
車はトヨタの軽自動車。
犬も猫も飼ってないが、メダカは飼っている。
食卓は小さい少々だが、
月に1回家族でお庭でバーベキューをする。
私の家は素朴で小さく、
これといって個性的な主張も無いお家なのだ。
ただ、私が産まれたあの夏、
父は25歳の若さでこの家を買ったそうだ。
そして、この庭一面に芝生の種を植えてくれた。
夏が産まれた誕生祝いにと。
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