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『ファーストラヴ』 みな、偽物の神様に生かされている【読書感想文】

こんにちは、こんばんは♡


今回は、島本理生さんの『ファーストラヴ』を読んだ感想を書いていきます。(まだまだ続くよ再投稿。新しい記事書いているんですが、なかなか進まず…)

色々な人が読んでいるのをみて、読んでみたいとは思っていたんだけれども、「重めなんだろうな〜」って感じていて、なかなか手が出せなかった小説。

読んでみたら、まぁ、やっぱり重くて。
そして、過去の嫌な思い出とかが蘇ってきて、まぁまぁ苦しかった。

けれども、ページを捲る手が止まらなくて、一気読みでした。


ひとりの人間の過去をさまざまな視点から、少しずつ炙り出していく感じが、すごかった…。
同じような想いをした人間の過去も交えることで、より深いところまで考察できるのも良いなぁと…本当、流石としか言いようがない。

女性はもちろん、男性も。あとは、子どもを持つ親にも刺さるんじゃないかなぁって部分も。

では、書いていきます。ダーっとね。

※少々ネタバレが入るかもしれませんので、ご注意を。

父親を刺殺した女子大生の環菜。事件を取材する心理士の由紀、弁護士の迦葉。

面会を重ね、事件の真相を探る中で、環菜と父・母との関係性や幼少期の記憶が徐々に紐解かれていく。

自らの境遇と重なる部分があり、由紀もふたたび自分自身の過去と向き合うこととなる。

なぜ環菜は父を刺し殺してしまったのか。
事件の真相は?環菜や由紀・迦葉は過去と向き合うことができたのか?


男と女。
父と娘。
母と子。

人間は、いつも見えない呪縛の中で泳がされている。

口先では、「自由に」「好きに」と行っているけれども、いつの間にか心の奥底に、巣作っている人間関係という呪縛。

ファーストラヴでは、主に幼少期の親子関係が、環菜の人格形成に深い闇を落としている。

以前、『生きるための哲学』という本を読んだ時にも感じたことだが、人間が他人を愛せるようになるには、幼少期にきちんと愛着形成されなければならない。
親から十分な愛情を注がれることで、自分を愛することができ、また、他人へ無条件の愛を与えることができる。
それは、疑いや否定など一切なく、その人すべてを包み込むような、ただ捧げるためだけの愛。

親に心理的に支配された人に共通してみられることは、強い罪悪感や自責の念を抱きやすいということである。

引用元『生きるための哲学』

また、いつでも戻ってこられる温かい家があるからこそ、外で自由な自己活動ができる。

変わらずに愛してくれる存在が内側にいないと、子どもは他で愛を埋めようとする。

それは、友人であったり、恋人であったりとさまざまであるが…そこには絶対に依存がある。
その依存が崩れる可能性が高くなると、途端に精神のバランスが崩れてしまうことも。

↓↓『生きるための哲学』についてはこちら↓↓


その支えてくれる存在が、無償で無条件の愛を捧げてくれる人なら良いのだが…環菜の場合は、そうではなかった。
それが、とても悲しいことであり、また、それは現実にも度々起こり得ることだ。

女の子のまわりにはいつだって偽物の神様がたくさんいるから。

引用元『ファーストラヴ』

自分の欲を満たすためだけに、利用する。それは、お互いに。
そして、その関係性というものは、容易に崩れてしまうものだ。
偽物の愛情で作られた関係は、長続きしない。

恐らく、「脆い関係性である」というのは、お互いがわかっているんだけれども、どうにも埋められないものを満たすためには、一時的な愛情でもなんでもそばに置いておきたいというのが本音なのだと思う。
何も言わないことで、何の名前もつけないことで、その危ういバランスを保っているだけなんだ。


ファーストラヴの、もうひとつ鍵となるものは、由紀と迦葉の関係性だ、と感じる。

2人の関係性もまた、どこか歪でアンバランスで、けれども似たところがあって、お互いがお互いを放っておけない。

どうして男と女になろうとしてしまったのか。

引用元『ファーストラヴ』

男とか女とか、区別してお互いの気持ちを重ねて、通じ合おうとするから上手くいかなくなる。

まっすぐな線上に横並びで立っているだけでは、何故だめなのだろう。
または、点と点の存在であれば尚更良いのではないか。
どうして人間は、誰かと交わらなければ生きていけないんだろう。


たまに、こんなふうに思う。


所詮、ただの、性欲の従うまま、そうなってしまったのなら、なんだか勿体ない気がする。
関係性が死んでしまうのならば、生き地獄のほうが良い?それとも、やっぱり、安楽死が良い?

どちらをとるかは、個々の価値観の違い。
わたし一人で決められることではなく、お互いの納得のいく方法を取るしかないんだよね。



ファーストラヴを読んでいて、少し、昔のことを考えていた。

子どもの頃の、遠い昔の、気持ちの悪い嫌な記憶だ。

自分よりも弱い生き物だとわかっていると、どうして強く出られるのだろう。
あの時の気持ちの悪い感覚は、今もずっと記憶の片隅に残っていて、ぐるぐるとジェットコースターみたいに連れ回される。
あっという間だった、なんのこれしきって、ことなのに、どうしてこんなに残っているのか、不思議でたまらない。


あれは夢だったんだなって思いたかったけれども、やはり現実にその場所は存在していて、季節や音をぼんやりと覚えているのが、少し怖い。


恐らく、すべての人間は、何かしら、こういった嫌な記憶とか気持ちを抱えて生きているんだろうな、と思う。

けれども、それを忘れて、外野になって、「あなたも悪いところがあったんじゃない?」なんて言わないで欲しい。

昔からなんです。環菜は好きでもない男にも媚びるってまわりからも言われてた

引用元『ファーストラヴ』

その人のバックボーンだとか、幼少期の物語だとかを全て無視した、自分の固定概念だけで語られたり、決めつけたりすること。そうゆうのが1番本人を傷つける。


知らぬ間に築き上げられた、人格の一部・不安や恐怖。また、その不安や恐怖を隠すために更に作り上げられる外側の人格。

人間は、たくさんの人格を重ね、塗り固められてできているんだ。

全ては理解できないかもしれない。
けれども、わかった気にならないで、わからないことこそ伝えて、知りたいという情熱を持って接していくのが良いな、と思う。



なんだか長くなってしまったので、もうこのへんにします。

おやすみなさいませ〜!
今月も、おつかれさまでした。


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