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「自己評価」という業務

私の会社では半年に一度、自己評価シートなるものを書かされる。
業務目標を設定し、それに対する自己評価をする。上司からの評価とフィードバックを受ける。それらの結果によってボーナスの金額が上下する。金額の振れ幅は今の私の年次だと5万円くらい。


自己評価が苦手だ。
自己評価と他人からの評価がズレていたらどうしよう、と思って不安になってしまう。自分ができていると思っていることが、他人からは全然できていないと思われていたら、恥ずかしい。だから、とりあえず自己評価は低めにしておく。
しかし、そうすると、もっと自己評価を高くして、成果を強調するように書き直せ、と上司に言われる。
上司は私に成果を出させることが仕事で、私が何もできてない、みたいな評価を付けるのは困るわけだ。

器用な人はボーナスを上げるため、と割り切って上手く自己評価をできるらしい。
ある先輩は、とにかく目標設定を低めにして、目標を上回る成果を上げたと書けばいい、とアドバイスしてくれた。
理屈は分かる。分かるんだけど、なんか納得できない。
自己評価が苦手な私のような人間は、仕事の成果とは関係なく、評価が下がるということなのか?
お金にそこまで執着は無いし、ボーナスを数万円上げるために、成果をでっち上げたような文章を書く気にはなれない。というか、自己評価の書き方によって、業務への評価が変わるのはなぜなんだ?

仕事の成果と苦労の程度は必ずしも一致しない。私にとって大変な仕事が、大きな成果を上げるわけではないのだ。
現に私の業務における最も大きな成果とされている仕事は、私の努力ではなく、先方の都合でたまたま、ものすごく早く仕事が進んだだけ。それを自分の手柄として、交渉能力を発揮して仕事を早く進めた、と自己評価することが良いことなのか?

仕事においては結果が全てで、努力したからといって、成果が無ければ意味はない。だとしたら、成果だけで評価してくれればいい。
成果が無いからボーナスが低いのは納得できるけど、自己評価が下手だからボーナスが低いのは、腑に落ちない。


こんなことに疑問を持たず、成果を最大限アピールできる人が世渡り上手なんだと思う。


自己評価シートをを上手く書くというのも一つの業務なのだろう。成果を上げた人のボーナスが上がるわけじゃない。自己評価シートを上手く書ける人のボーナスが上がるというシステムなんだ。会社という大きな組織の中で、一人一人の成果を客観的に正確に評価するのは不可能だ。完璧ではないけれど、まぁまぁ良い評価方法として、自己評価シートがあるのだろう。

結局、成果と自己評価のズレがないくらい圧倒的な成果を出せばいいんだ。それができないなら、自己評価シートを上手く書く努力をすれば良い。それだけだ。


器用に生きられない自分に酔っているようで、吐き気がする。

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