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【私のことVol.1】創造性コンプレックスがひどい

子供の頃、先生や周りの大人達が教えてくれなかったこと。

「大人になったら君たちのほとんどがスーツを着て、生活のために会社で働くようになります!」

才能を伸ばすとか、多様性が大事とか、個性を伸ばす教育を謡っていたわりに、社会は個性などは求めておらず、ただただ和を乱さず、忠実に組織に尽くす人間が重宝されるということを知ったのは社会人になってから。

2020年の現時点で社会に信用される大人というのは、組織に勤めて(信頼という意味では大きければ大きいほど良い)、そこで用意されたタスクを淡々とこなしている人。

新橋ロボットサラリーマン賛歌

人生の充実?生まれた意味?そんなことはいいから、飯のために言われたことをやれ。このレールから降りたら、将来の保証はないぞ。

目に映る景色はグレーがかっている。グレーのスーツを着たサラリーマンが行き交うオフィス街の景色。オフィスの中も例に漏れずデスク、デスクトップのパソコンはなぜかグレー。通勤で使う電車もグレーの箱だ。

大人になるということは、グレーの中で生きていくこと。でもそんなに大変でもない。周りの人とはうまくやった方がいい。自分の意見なんか持たずに周りに合わせておけ。自分より偉い人に言われたことを淡々とやっていればいい。言われたことをやっていればいいんだから、こんなに簡単なことはないだろう?

年に1度海外旅行にでも行けば気が晴れるだろう。結婚して子供を作って、そしたらきっと土日は充実するぞ。家族がいないと信用も下がる。悪いこと言わないから適当に済ませておけ。ストレスが溜まった時は、会社帰りに飲みに行けばいい。君のストレスを受け止めてくれる飲み屋はいくらでもある。

それが人生さ、それが人生。そんなに難しくないよ。会社で真面目のコツコツやって、女房と子供をこさえて、子の成長を楽しみに生きればいい。君の友達だってみんなそうしているだろう。カラフルな景色なんて望まなくていい。そんな危ない道をいったらいつか後悔するだけさ。それが人生、それが人生。それが地球に生まれた人間の宿命ってもんさ。

そんなサラリーマン賛歌が新橋から聞こえてくる気がするのは私が中二病だからでしょうか?

朝起きて、何をしたらいいのか分からない!

仕事をやめて独立しようと試みた24歳の頃、私は自分自身に絶望を感じていました。

朝起きて、何をしたらいいのか分からない!

考えてみれば生まれてこの方、学校やら塾やら、会社やら通っていた私は、どこかに行けばやることが用意されていました。

1日まるっきり自由×365日となると、はて、一体全体何をしたらいいのかまるっきり分からなくなってしまう。

もちろんなんの計画もなしに会社を辞めたわけではなく、R社にアプリの企画を持ち込んで、そのプロジェクトが始まったこと、また別の会社のウェブサービスの運営の仕事を請け負うことができたので決めた独立でした。

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当時つくっていたクローゼットシェアアプリ

しかしいざ自由です! となると、朝何時に起きたらいいのか、朝何を食べたらいいのか、どの仕事から手をつけたらいいのか、まるっきり分からなくなるのです。

さらに家で仕事をしていたので、出勤していないことに関する謎な罪悪感が発生し、マンションの管理人やすれ違う人に「やばい奴だと思われているんじゃないか」という被害妄想!

結局その生活はプロジェクトが頓挫したこともあり、半年ほどで終わりを迎えました。その後、会社に就職した時は、激しい安堵を感じたことを覚えています。

でもね、悔しかった。
自分の1日すら自分で創ることができない無力な自分が本当に悔しかった。

2度目のチャレンジも頭の中の自責の念に降伏した

その後もチャレンジしました。26歳で会社を辞めた時のこと。24歳の時にファッションブログで賞を受賞したことがあり、その後もずーっとブログを書いていました。当時は女の子4人の架空のストーリーを作って、ブログで展開していたんです。

ある日、イラストがすごく上手な友達に声をかけて、登場人物をイラストに起こしてもらいました。そしたらそれがとてもかわいくて。彼女が描いてくれたイラストに私が海外で仕入れてきたピアスをつけて、販売することにしたんです。

商品は原宿や渋谷のカフェに置いてもらったりして。ブログで展開していたストーリーは手作りでジーンを作って、一時は代官山TSUTAYAのZINEコーナーにも置いてもらっていたり。

Web販売は結構売れて、ピアスはほとんど完売。世界観を好きになってくれるファンの人もあらわれ、ZINEをお客さんがスタバでオシャレに撮影して「これを読むのが私の至福の時間」とインスタにアップしてくれた時には感動しました。

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当時販売していたピアス

結構うまくいってたんですが、これもやめてしまった。今考えれば自分業の最先端だったのに。。。

やめた理由は

・こんなことしてていいんだろうか?
・食べていけるほどのお金になるの?
・会社に入った方が稼げるのでは?

の声が頭の中で止まなかったから。

そしてもうひとつ。

タスクを与えられない毎日が辛かったから。この時も自分の時間を自分で創ることに苦戦していたんです。

再就職した際には、また大きな安堵を感じました。通勤しない罪悪感もあった私は、満員電車を降りた後のビールが美味しかったことも覚えて言います。

そしてまたサラリーマンに舞い戻り、30歳の時に再独立。この時の独立は年間の仕事が決まってからの独立だったので、24の時の独立とは少し性質が違いました。

30歳を超えた。まだ私は自分で仕事を創造できていない

さすがに通勤なしの罪悪感やひとり作業の孤独などは年齢と共になくなりましたが、今回の独立は前回とは違いクライアントからはがっつりタスク(やること)をもらえる仕事。

1日はそのタスクをもらえるので、自分で商品を企画して、作って、売るといった性質のものではありません。いってみればサラリーマン時代と同じ。契約形態が変わって自由度が増しただけですね。

で、ありがたいことに私はクライアントからやる事とお金をもらい、世界中を旅行することができたのです。

サラリーマン賛歌から1抜けすることができた!世界旅行をしながら仕事ができるというライフスタイルは、グレーな世界からカラフルな世界への次元転換でした。

でもね、やっぱりいつも引っかかるんです。30歳を超えた今、経験値は上がったはずなのに私はまだ自分の1日、仕事を自ら創造できていないということが。

創造性に関する本も読み漁りましたが、未だにどうしたら私が目指す自分の1日、仕事、価値を自分で創造できる人になることがで来るのか未だに答えが出ていません。

私に足りないもの・・・精神力?粘り強さ?スルー力?集中力?やる気?計画性?ビジネスセンス?ああ、あげればキリがないけれど。

そしてこれができているいびつなカリスマには憧れや尊敬の念を抱くし、未だに真四角なロボット人間を評価する社会には苛立ちしか感じません。

創造性の欠如が私のコンプレックスであり、取り組むべき目下の課題なのです。

noteは創造性を取り戻す日々の記録にも利用していきたいと思っています。













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