虚しき就職偏差値という物差し

前回:自慢のためではなく、自由のための教養

2. 仕事

2-1. 虚しき就職偏差値という物差し

人間は昔から、人生の多くの時間を仕事に費やしてきた。仕事場は田んぼから工場、ビルへと変わってきたかもしれないけど、働き方は実はそんなに変わっていないんじゃないかとも思う。

幸い現代では、子どもの頃から強制的に働き始めるというようなことはまずなくなった。先進国では。高校や大学を卒業する10代後半から20代の前半に、就職というイベントを通じて仕事を始めることになる。そして驚くほど多くの人間が、同じおかしな考え方によって働く場所を決め、仕事を始めていく。

まず笑ってしまうのが「就職偏差値」というやつだ。君が大人になるときにこの謎の指標がなくなっていることを祈るけど、似たようなものはあるかもしれない。どうやら就職偏差値というのは、大学入試で受験先を選ぶときに使われる指標である偏差値になぞらえて、企業への入社の難しさなるものを数値化したものらしい。

偏差値っていうのは大勢が受けているテストでとった点数が、平均からどのくらい離れているのかをわかりやすく数値化したものだ。例えば、偏差値70だったとしたらテストを受けた全員の中で上位2.5%にいることを意味する。偏差値が1違ったからといってほとんどの場合意味はないだろう。ちょっと統計学を学べばすぐにわかる。

説明するまでもなく、就職において偏差値なんかを算出できるわけがないことは明らかだ。けれどカフェで声高らかにシューカツを語る真っ黒で地味なスーツ姿の学生は「A社は就職偏差値がB社より上だ」とか、「できるだけ就職偏差値の高い企業にいきたい」とか言っていたりする。就職偏差値という言葉を使わないにしても、入社の難易度なるものを空想して、「できるだけ入社難易度が高い企業に入りたい」とか言ったり思っているわけだ。

彼らはなにかしらの物差しが与えられていないと何も決められない人たちだ。その架空の難易度という1つの評価軸の中で、できるだけ入社が難しいとされる企業に入ることで自分を測り、自分を認めようとしてる。

架空の入社難易度によって就職先を決めるという行為ほど虚しいものはないと俺は思うんだけどなあ。


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