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主観の肯定

メンタルコーチングを通じた対話をはじめて早一年。起業家、経営者、スタートアップの方を中心に、60人以上、計200時間以上の対話を重ねてきました。

一人ひとりの世界の捉え方は千差万別

対話をしていると、全く同じ現象が外世界で起こったとしても、一人一人の内側で起こっていることが千差万別であることに驚く。類似した認知や思考のパターンはあるものの、思考の構成や、そこに至った物語はユニークである。そこに対話の面白さを感じる。そして、悩みや葛藤に触れていく中で、次の様な仮説が生まれた。

「ほとんどの苦しみは、自分の主観を否定する事で生まれるのではないか?」

そもそも、主観とはなんなのか?

主観とはなにか?

仏教的には、本質的には全てものは存在ぜず「空」だと唱える。他との関係なしに独立して存在するものなどない。

諸法無我―すべては繋がりの中で変化している

全てのものごとは影響を及ぼし合う因果関係によって成り立っていて、他と関係なしに独立して存在するものなどない、という真理です。自分のいのちも、自分の財産も、全て自分のもののように思いますが、実はそうではありません。世の中のあらゆるものは、全てがお互いに影響を与え合って存在しています。自然環境と同じように、絶妙なバランスのうえに成り立っているのです。こう考えると、自分という存在すら主体的な自己として存在するものではなく、互いの関係のなかで"生かされている"存在であると気がつきます。

https://www.nichiren.or.jp/buddhism/shaka/02.php

例えば自己紹介。
自己紹介で自己だけを紹介することはまずない。

「両親は日本人。アメリカで生まれ、今はIT企業で働いています。趣味はカラオケです。」

見ての通り、自己紹介は全て環境や他者に関する説明の連なりである。

この様に紐解いていくと、主観とは個々人が生まれてから今まで重ねてきた「ユニークな物語の中で授かり培った思考や認知のクセ」である。生まれた時代、コミュニティ、国や星。家族や先祖から受けついだDNA。それが時系列で連なることで主観は形成されていく。

苦しみは主観の否定から生まれる

不本意で痛みの伴うイベントは、ネガティブな主観を形成する。

「もっと素敵な親だったら、いい人生だったのに・・・(親ガチャ)」
「あの時こうしていれば・・・(後悔)」

そして、多くの人はその時に感じた不快な主観にフタをして、前に進もうとする。

「親はクソだけど、とりあえず頑張るしかない・・・(親ガチャ)」
「あの失敗さえなければ・・・でもしょうがない・・・(後悔)」

根源的には自分の主観(物語)を肯定できていないため、無意識では後悔の念が残る。

そしてこの主観の否定が後々、人生を生きづらくしていると感じる。

主観を肯定する

生まれてから積み重ねてきた物語は、不可逆であり個人の力で100%はコントロールできない。

自分の紡いできた物語を肯定する。つまり、これまで自分を構成してきた全ての関係性を受け入れること。嫌な経験も、良い経験も、生まれた時代も、国も、星も、全てありのままを否定せずに受容すること。そうするこで、多くの苦しみはなくなると感じる。

快も不快も、否定せず、ありのままを受け入れ、それらの体験をただ感じて味わうこと。一時的には苦しい瞬間もあるかもしれないが、全ての関係性をありのまま受け入れると、後悔なく清々しく人生の最期を迎えられるはず。

当てもなくnoteを書き出したら、仏教の学びと同じ様な結論になりましたとさ。w


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