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本を読むこと。 ~ はじめての経済思想史から経済の基本を知る① ~

日本人にとってお金の話はタブー。
そんな話も以前書きましたが、日本において金融教育は大学で経済学部などの専門学部に入らない限り、ほとんど受けることができません。

にも関わらず、20歳になればいきなり選挙権(現在は18歳)が渡され、経済や政治についてもほとんど何もわからないまま、選挙に行かなくてはいけません。

もっと身近なところでは20歳になった頃は自分の稼いだお金の守り方や増やし方についても銀行預金以外は知りませんでした。

親からも詳しい説明がないまま株には絶対に手を出すなと言われ、投資自体が悪いような風潮もありました。

そんな経済についてまったく疎かった私ですが、少額の積立投資に関する読書をきっかけに徐々に経済について学ぶようになり、今では銀行預金以外に、不動産、NISAやiDeCoなどの積立投資、暗号資産も自分のポートフィリオに組み込み、分散投資しながら少額ながら自分の資産を増やしています。

青山学院大学経済学部教授である中村 隆之さんの著書「はじめの経済思想史」は私のような経済学初学者にうってつけの本で、アダム・スミス、J・Sミルとマーシャル、ケインズからマルクス、ハイエクとフリードマンの経済学の歴史の流れと背景を網羅的に理解することができます。

また、本書の中にはもう少し内容を深めて勉強したい人のための本の紹介もあるため経済学の入門書としては非常わかりやすい好著といえます。

今回はこちらの本を簡単にご紹介しながら、現代に続く経済論とその問題点について考えてみたいと思います。

アダム・スミス

アダム・スミスは各自がお金儲けを追求する自由競争市場を肯定した経済学者として知られています。

ただし、スミスは資本や土地の活用によるお金儲けには次のような3つの道徳的な条件が必要であるとしました。

①自由競争市場がフェアプレイに則った競争の場であること、特に資本を動かす人間はフェアプレイを意識する人間であること

②資産を事業に活用するのではなく、貸し出して利益(利子・地代)を得る場合、その行動が資産を良い用途に向けていく助けになり、全体の富裕化を促進すること

③強者が弱者を支配せず、相互利益の関係を結び、弱者の側の能力も生かされること

富・名誉・地位をめざす競争をしている者は、競争相手に勝るためにあらゆる神経と運動能力を使って、可能な限り懸命に走ってよい。だが彼がもし競争相手の誰かを押したり、投げ倒したりしたら、観察者の寛大さは完全に終了する。それはフェアプレイの侵犯であり、観察者が決して許さないものなのだ。
アダム・スミス 道徳感情論より引用

スミスは自由競争の中で評価されるように行動する人間は、お金儲けのためとはいえ努力し、誠実に生きようと促されるため利己心とモラルは相反しないと考えました。

一国が豊かになれば、新たに人々に欲しいものが出てきます。

その人々が欲しいものを供給する産業分野の利潤率は高くなるため「資本」がそこに集中的に投下されます。

結果、資本家は自己利益のために利己的に行動したとしても、結果として人々がもっとも必要としている財・サービスが供給されるように行動しており、さらに富める国になるように導いていることに繋がります。

スミスが「見えざる手」と読んだのはまさにこの機能のことなのです。

経済活動を行うそれぞれの者は、一般に公共の利益を増進しようと意図していない。また、自分の活動が、どれほど公共の利益を推進しているかを知っているわけではない。彼は自分の資金や努力を、その生産物が最大の価値を持つような方向に使おうとするが、そのとき彼は、自分自身の儲けだけを意図しているのである。にもかかわらず、彼は見えざる手に導かれて、彼の意図のなかにまったくなかった目的を推進するようになる。
アダム・スミス国富論より引用

こうしてアダム・スミスは努力の等価交換経済と資本主義経済を肯定し、努力の等価交換とは言えない資本や土地から得られる利子や地代を得ることにも、それが資本として投下されることで国を富めるとして肯定しました。

当然ながらスミスの示した経済思想は資本を持つブルジョア階級に支持されることになりますが、先に示した道徳的条件が満たされなくなります。

そのため、その後の経済思想はスミスの道徳条件を満たすためにはどうすればいいのかについて示すことが求められました。

J・Sミルとマーシャル

スミスが示した資本主義の道徳的条件は、資本を増やすために労働者を安い賃金で長時間働かせるようになり、労働者階級の貧困が社会問題となり、明らかに満たされなくなります。

ジョン・スチュアート・ミルは自由と平等は、高度な人格、教養、道徳性、感受性を持った豊かな人間を形成するための環境として重要であり、個性を発揮する自由があること、そして機会が多くの人々に開けていることが、良い社会にするために何よりも重要だと考えました。

ミルの生きた19世紀前半のイギリスの工場労働者の就業時間は10歳以下の子供ですら15時間以上働いており、現在のブラック企業の比ではありませんでした。

その後、児童の労働に関する法改正はされたものの工場主はその法律を守らず、成年男子に至っては労働時間の規制はありませんでした。

ミルの経済学の主著「経済学原理」では自由競争市場というシステムから、分配が自然法則的に決まってくると考えるのではなく、分配は人間が変えられるものと考えました。

ミルの考えた分配は「結果」へではなく「条件」としての分配であり、会社の経営者が費用をかけてでも労働者の協力や自発性を引き出そうとすれば、労働者は会社に貢献するように協力したり、能力を伸ばしたりする生き方を身につけていくと考えます。

「人間は適切な環境条件のもとであるならば成長する」というミルの思想は現代の組織経営にも生かされており、様々な有名企業に取り入れられているかと思います。

公共精神、寛大な心、あるいは真の正義と平等を望むならば、これらの美しい資質を育成する学校となるのは、利害の孤立ではなく、利害の結合である。進歩によってめざすべきは、人が他者に頼ることなくやっていける状態にすることのみにあるのではない。人が他者とともに働くこと、他者のために働くことを可能にすることこそ、進歩の目的であるべきである。
J・Sミル「経済学原理」より引用

ミルは先に述べたスミスの道徳的条件への回復を資本家による分配によって労働者に活動の条件を整え、労働者と資本家のフェアな関係を築くことで達成できると考えました。


アルフレッド・マーシャルはミルの労働階級の貧困問題を引き継ぎ、1890年に「経済学原理」を出版しました。

マーシャルは「組織」は知識の成長を助けるための無形の資本であると考えました。

具体的には一企業の労働者たちが知識を想像しようとする活気、ライバル企業との切磋琢磨の競争によって知識の創造が促されているその活気ある雰囲気、異業種との接触に寄って新たな知識活用の道が開けていくことを促す挑戦的・意欲的な態度、そしてこれらを助ける公的なインフラストラクチャーであるということです。

資本はその大きな部分が知識と組織から成っている。知識と組織から成る資本の一部は私有財産であるが、私有財産でない部分もある。知識は生産における最も強力なエンジンである。
アルフレッド・マーシャル「経済学原理」より引用

マーシャルは事業経営者たちが「組織」を活気ある状態に維持するように積極的な投資をおこなうためには、目先の利益に左右されず、自らの仕事の社会に対する責任を意識する倫理が必要であると説きました。

マーシャルはこの事業経営者の持つべき倫理を「経済騎士道」と呼びました。

経済騎士道は目先の利益のために消費者を騙したり、労働者を低賃金でこき使ったり、リスクを恐れて知識への投資を避けてたりするのではなく、経済的福利の増進に責任を負った人間として、中世の騎士のように誇り高く、名誉を重んじた行動をとるという意味です。

さらに、マーシャルは事業経営者がもっと社会から尊敬されるためには情報公開を促進することだと考えました。

富の獲得競争においてアンフェアな方法が取られている場合は、世間は倫理的・道徳的にその企業を非難し、企業は世論を無視できなくなります。

もし情報公開がなければその企業を評価する基準がどのように儲けたかよりもいくら儲けたかだけになるため、事業経営者は世間の評価を得るために目先の利益を重要視してしまうことになるため「経済騎士道」のためには情報公開は必須になります。

そして、事業経営者の倫理である「経済騎士道」と両輪の役割を果たすのが労働者の生活態度です。

労働者がその日暮らしの生活態度を改め、自分の人生をよりよいものするために努力する精神を持たなくてはならないとマーシャルは考えていました。

この労働者の人生の充実を目指して、自らの能力を開発することに努力を惜しまない生き方を「人生基準」と呼びました。

「経済騎士道」と「人生基準」という倫理的要件に支えられ、「組織」が活性化し、創造性を発揮することがマーシャルの「有機的成長論」です。

ミルとマーシャルはスミスの道徳的要件の回復のために事業者による分配と倫理によって組織と労働者の成長による資本主義の在り方を提示しました。

しかしながらこの他者との関係の中で生きる資本は前提として事業経営者が資本を動かされていることが必要です。

資本も持っている人と資本を活用する人々が別々になっている世界ではこの事業経営者と労働者の関係は成り立たなくなってしまいます。そこで新たにスミスの条件について考えたのがケインズでした。

ここまでのまとめと感想

経済学者アダム・スミスは自由競争市場におけるお金儲けについて肯定しました。

その条件として自由競争市場がフェアプレイであること、利益を公共へ投資して全体の富裕を目指すこと、事業者と労働者は相互利益の関係を築き、労働者の能力を生かすことの3つの条件を提示しました。

しかしながら、スミスの提示した道徳的条件は現実には満たされず、労働者階級の貧困が社会問題となります。

そこでJ・Sミルとマーシャルは資本の分配によって労働者が会社の利益のために自らの能力を高めるようになること、事業者が社会のお手本となる騎士道的倫理観を持つこと、労働者が自らの人生をよきものにしようと努力をすることでスミスの道徳的条件の回復を図る思想を打ち出しました。

彼らが生きた時代と現代とは社会情勢も経済状況も情報量も違いすぎて比べることができませんが、彼らが「問題」として考えていたことは1世紀以上を経た今でも変わっていないのではないでしょうか?

この問題に対する処方箋はすでに100年以上も前から出されていますが、病は広がっているようにも思えます。

人はどこまでも生物であり、競争の中で強い遺伝子を後世に残すためには仕方ないのでしょうか?それとも進化の過程で得た知性を使って地球全体の利益を考えて行動できる力を使うべきなのでしょうか?

「ヒト」と「人」の間を揺れ動きながら、一人一人が考えなくてはいけない問題だと思います。

長くなってしまいましたので、今回はここまでとし、次回は後半のケインズ、マルクスについてまとめ、現代に続く経済学の問題についても考えてみたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。


本日のご紹介図書
中村 隆之 著「はじめての経済思想史 アダム・スミスから現代まで」

#読書  #経済 #人文社会科学 #読書好きな人と繋がりたい #推薦図書

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