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自己肯定感について考える

自己肯定感という言葉がある。
「自己肯定感が高ければ幸せになれる」とか、「自己肯定感が低いと人生がうまくいかない」など、まるで幸せになるためには自己肯定感が高くなければならない、と言わんばかりのことが語られている。

かくいう自分も、自己肯定感はあるほうがいいとは思うけれども、どうも、この自己肯定感っていうものに、多くの人が共通認識を持っているとは思えない。
人によって、イメージがばらばらで、僕の認識とは違うことを語っている人も少なくない。

じゃあ、僕は自己肯定感についてどう思っているのか、ということを、ここに文章を書きながら考えてみようかと思う。

自己肯定感ってそもそもなに?

自己肯定感って、言葉通りに受け取ると「自己を肯定する感覚」だよね。感覚だから、感じることが大切なんだよね。
「ああ、自分は自分のままでいいんだな~」って感じ。

じゃあ、自己肯定感の反対は何かと言えば、「自己否定感」かな。
自己否定っていうのは、「ああ俺はダメな奴だな」っていう感覚かな。

でもさ、自己否定感があるから、じゃあ、何とかしなくちゃっていう気になるんだし、それが原動力になって、成長しようとか変わろうとかするんじゃないかな。

これに近い概念として「劣等感」というのがある。
心理学者のアルフレッド・アドラーは、自分の理想に対して今の自分が劣っている感覚を良い劣等感として、これはありだと言っている。成長するうえで必要な感覚だと。
これに対して、他人と比較して感じる劣等感を悪い劣等感だとしている。
人間関係を上下でとらえず、人はみんな水平の平面上を歩いているんだと。
人と比べることで優劣をつけるのはナンセンスだというわけだ。

そうなると、自己肯定感って、もしかして成長の妨げにならないか?
違うのかな?

欠点や未熟さもひっくるめて肯定する

そもそも、完璧な人はいない。
っていうか、完璧な人ってどんな人?
スーパーマン?

人は誰でも、赤ちゃんとして生まれてくる。
そうして、少しずつ成長する。
だから、すべての人は成長の過程にあると考えられる。
成長の過程にあるということは、すなわち、伸びしろがある、未熟であると、いろいろな表現ができる。
要するに、人間はすべて未熟な存在だということだ。

さらに言えば、長所と短所、得意なことと苦手なことがあるのが当たり前。
むしろ、その短所や苦手なことや弱点があるから、人間味があるともいえるし、そこが愛されポイントだったりする。

もっと言うと、体調にも波がある。
気分にも波がある。
気分がいい時と、悪い時がある。
自分を肯定でいるときとできないときがある。
これも当たり前のこと。

このように、人間とは凸凹した存在。
この凸凹をすべてひっくるめて肯定できる感覚を「自己肯定感」というんだ。
欠点も含めて、自分を肯定し、受け入れ、愛することができる。
愛しい存在であると思う。
これが、自己肯定感なんだよね。

デフォルトをどこに置くか

ということはつまり、自己否定感もひっくるめて肯定するっていうことではないかな、と僕は思う。

時には落ち込んで、自信を無くし、自己否定感に苛まれてしまうのは、人間として当たり前の感覚だと思う。
だけど、デフォルトの自分が、常に「自己否定」にある人は、自分の気に入らないところばかりを見て、そのことばかりを考えている。

フラットに客観的に自分を見つめることができる人は、自分の良いところも知っている。
良いところも、悪いところも、得意なことも苦手なことも、出来ることもできないことも、ちゃんと知っている。

そして、自己肯定できる人は、それをひっくるめて自分を肯定している。
愛すべき人物として好ましく思っている。
調子がいいとか悪いとか、そういうことは関係なく、デフォルトというか自分の軸足というか、ベースが常に「自己肯定」にある。
それが「自己肯定感」を持っている人、なのではないか。

自己肯定感は上がったり下がったりしない

ネットなどを見ていると、「自己肯定感を上げる」とか「自己肯定感が高い」などとい言葉を見るけれど、僕はこの表現に違和感がある。

自己肯定感って、上がったり下がったりするものなのだろうか?
僕はどうしても、そうは思えないんだよね。

先に書いたように、デフォルトの状態で自己を肯定しているかどうか、という問題だと思う。
その日の状態によって、気分が上下するのは当たり前だと思う。
いいことがあれば気分は上がるし、へまをすれば気分が下がる。
でも、そういうこともひっくるめて、自己を肯定する感覚がベースにあるかどうか。
それが大切なのではなかろうか?

自己肯定感がある人は、自分を愛しているのであるから、自分が喜ぶことをしようとするのは当たり前だし、そうすることで自分の気分が上がることは知っている。
だから、気分が安定しやすい。
そして、落ち込んでいる時にも、自分に対して優しく接することができる。

自己否定感に支配されている人は、常に自分の嫌なところばかりを見て落ち込んでいる。
まわりの人の言動に左右される。
まわりの目を気にしている。
自分の欠点ばかりを見ているから、その欠点を指摘されるのではないかとびくびくしている。

本当に自己肯定感を感じられている人は、安定している。
自己否定感に支配されている人は、不安定。
気分が上がったり下がったりしやすい。

そういうものではないだろうか?

自己肯定感を感じるようになる方法

じゃあ、自己肯定感を感じられない人が、それを感じられるようになるにはどうすればよいのだろうか?

まず、大前提として、「完璧な人はいない」「いつも良いことばかりが起きるわけではない」「いつも絶好調はあり得ない」「人間はミスを犯す」という事実を受け入れることから始めよう。

完璧を目指す必要はない。
僕たちは、子どものころからたくさんのテストを受けさせられてきた。
そして、そのほとんどすべてが「減点法」という採点方法で採点されてきた。
だから、無意識のうちにこの減点法的感覚を刷り込まれている。
減点法は「完璧を目指す採点方法」だ。
完璧(満点)が基準になり、ミスを犯すと減点され、自分の点数が決まる。
これは本当に良くない採点方法だと思う。

満点と言ったって、出題者の意図する満点であって、その枠をはみ出すことはできない。
でも、現実社会は満点なんてない。
加点法で採点すればいいのだ。
青天井で、どこまでも点数を伸ばすことができると想像してみよう。
そのほうが、自由な感じがするのではないだろうか?

自己肯定感を感じられるようになるには、採点基準は自分で決めればいいと、考えを改める必要があるのではないか。
誰かが求める満点に近づこうとするのではなく、自分が採点者になればいいのだ。
自分の考えで、なりたい自分に近づこうとすればいい。
それが、アドラーのいうところの良い劣等感なんだと思う。

そして、何かうまくいかないことや、落ち込むようなことがあっても、自分に対して勇気づける言葉がけをしよう。
言い換えれば自己暗示。
おまじないと言ってもいいかもしれない。

ドンマイ
大丈夫
ま、いいか
そんなときもある
間抜けな自分が好き
I'm OK!
etc

沢山失敗する、欠点がある、落ち込む。
それが人間味というもの。
そういう人間味がある自分を肯定すればよいのだ。

まとめ

自己肯定感について、僕の考えをつらつらと書いてきた。
まとめてみると。

自己肯定感は上がったり下がったりしない。
気分の上下はあるけれど、それをひっくるめて自分を肯定する感覚である。

ということ。

人間味あふれる自分を愛そう!


自分がうつ状態に陥って、そこから這い上がってくる過程で考えたことなどを書いています。自分の思考を記録しておくことと、同じような苦しみを抱えている人の参考になればうれしいです。フォローとスキと、できればサポートをよろしくお願いします!