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書くこと(1)

今日まで書き続けてこれたのは何故だろうか。
これはノウハウをまとめたものではなく、自分の記録のような、整理するためのものだ。


本来ならペンを持ち、紙を目の前にして一文字ずつ書くことが理想的だ。
あこがれて購入した万年筆だってあるし、適したノートだって持っている。何よりも書く姿がかっこいい。だが、こうして続けてこれたのはパソコンを目の前に、キーボードを使って文字を連ねることが出来たからなのだろうと思う。

手書きという方法もあるが、なにぶん自分の文字は中々に達筆と呼ばれるほどに下手だ。たまに自分で書いたはずなのに読むことすら出来ない。それと漢字が読めるのに書けなくなってきていた。よろしくはない状況だが、やろうという気力がない為、やる気が出てきた時まで放置しておく。
スマホでも文字を連ねる事は出来るが、どうも性に合わない。結構な頻度で入力を間違えるし、変な所を押してしまって折角入力しようとした文言を忘れてしまう。

手書きは駄目。スマホは慣れれば良いだけだが、今は慣れていないゆえにイマイチ。だからこそ、余計にパソコンで書くということを続けてこれたのだろう。
勿論、パソコンで書いていても、書く内容がこれっぽっちも思いつかなければ書き続けられないわけだが。

小学生の時から今に至る現在、間に休憩を挟みつつも書き続けられた。その理由は一体何なのだろうか。
ここでは『書く』という行為に焦点を当てて、考えて書こうと思う。
途中あちらこちらに飛び回り、遠回りをし、一回転をして着地する場合があるがその時はその時だ。これを書いている時の自分の思考が落ち着いていないだけだ。というか、落ち着いていると書けないかもしれない。

とにかく書いていこう。順当に考えれば、きっかけから始めたほうが良さそうだ。

きっかけは小学生の時だ。
父の共用のパソコンを使い、とあるサイトにあった二次創作を見つけた。二次創作の小説を当時の自分は夢中になって読んでいた。原作を書くと年齢バレそうだから、ちょっと書けないけれど。
その二次創作は基本的にはファンタジーがほとんどで、とくに夢中になって読んだのは能力バトルものだった。
無我夢中で読み漁った。完結まで更新されてはいなかったけれども、読めることが何よりも楽しいことだった。

当時に比べて読む速度は少し遅くなったが、それでも早い方だと思う。理由としては自分はどうも読むとき、それを文字としかとらえられないようだった。頭の中には文字を読んで思い浮かぶ映像のようなシーンは欠片も思い浮かばず、ただ文字が羅列している。
今でこそ多少は思い浮かぶが、それでもその時と変わらず文字が羅列するだけだ。

それなのに何故、輝いているように思えたのだろうか。
胸の内の高鳴りを覚えたのだろうか。

今思うに、知らないものに触れることが出来たからなのかもしれない。踊るような文字、知らない言葉、そこに生きているようなキャラクター達の息遣い。何もかも知らない当時の自分にとっては、衝撃的だったのかもしれない。

そして幼心に、触れてみたいと思った。
だから見様見真似で、ずいぶんと似たような設定でつたないながらに書きだした。
父の共用のパソコンにあったWordを使い、覚えたてのローマ字入力で、必死に書いた、と思う。それは結局データは消えてしまったが。
確か、序盤は書いた。それ以降は覚えていない。

ちなみに最初はこんな書き方だった。
○○「―――!」
◇◇「? ――、――」
地の文なんてない。小説と呼ぶには程遠いただのセリフ劇ではあったが、確かにあれは自分が書いた物語だったことに間違いはなかった。

そこからネットで読める二次創作にどんどんと引き込まれて、そこで地の文をこうやって書くのだと思いつつ、書き方そっちのけで読む全ての物語に引き込まれた。
読んでは書いて、書いては読んでを繰り返したが、圧倒的に読む量が多かったかもしれない。
そこからさらに学校の図書室にある本もよく読むようになってからは、一次創作にも手を広げていた。それと一次創作のネット小説もよく読んだ。
ひたすらに読んで、何度も読んで、そしてただひたすらに書き続けた。湧き上がる物語を何かに残したくて書いていた。

言わば記録に近いようなものだと思う。
なんせ完結させる気なんてなく、書きたいところだけをひたすらに書き続けているだけなのだから。

物語を読む。自分がそこにいたらどうなるだろうか。自分ならば、このキャラクターにどう息を吹き込むだろうか。
想像か、妄想か。
どちらにせよ、それによって物語が溢れていることに変わらない。
だから自分はその時に書きたい所だけを書き続けた。ずっと、ずっと。

とにもかくにも、そのきっかけで『書く』ことを続けてきた。
だが、『書く』ということは行為だ。本当は物語を書き続けたいし、完結がある物語だって書きたいが、それが出来ないのが現状だ。
なんせ溢れる物語を『書く』ことが楽しいのだ。

では、ここに書いているこれは何かと問われれば、ただの思考の記録に近いものだろう。今、思考が巡るままに湧き上がる言葉をそのまま書きだしているだけでしかない、と思う。少しばかりはかっこつけているかもしれないけれど。
だから、この文章はそこまで推敲なんてしていないし、読み返したらなかなかに読みにくい文章ではあることは自覚している。だから読み手の為の文章とは程遠いものだ。
だが、書かなければ堂々巡りの思考がぐるぐると回ってしまうのだ。
だから吐き出すようにして書く手段にしたというだけだ。

ただの盛大な独り言だ。
だが、もし、ここまで読んで何かしらの共感なりあったら純粋に嬉しい。
この『書く』ことについては、おそらく長い思考となるだろうから、今回はここら辺で一呼吸を置いて、続きはまた次回にする。

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