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【第3回】子どもの課題である行動をキャッチアンドリリース【不登校のペアサポ】

バナー画像のような疑問にお答えします。

このnoteの内容

  1. 「課題の分離」とは?

  2. 「子どもの課題である行動」の具体例

  3. 「子どもの課題である行動」を受け取らない方法

    1. 傾聴

    2. 断る・任せる・ゆだねる

    3. アサーション

    4. メリデメの説明

    5. 将来の予測

  4. 「子どもの課題である行動を受け取らない」に関するQ&A

    1. Q.どうしても子どもに冷たくしているように感じてしまいます

    2. Q.どうしても先回りして色々言ってしまいます。

※内容はより良くするために修正する可能性があります。また、価格は変更する可能性があります。

記事の作者

モトセ

ご覧いただきありがとうございます!

不登校のペアサポ3回目となりました。

1回目と2回目を読んでくださった方には本当に感謝申し上げます。
まだの方はリンクを貼りますのでよかったら読んでみてください。


本家のペアトレはもともと積み上げ式であり、1回目➝2回目➝3回目と順番にやることが大切です。

不登校のペアサポもできれば1回目から順番に読んだ方がよいですが、3回目だけ読むのでも大丈夫です。

今回のテーマは「子どもの課題である行動をキャッチアンドリリース」です。

「キャッチアンドリリースってなに?」と思われた方も多いでしょう。
意味としては、釣った魚を生かしたまま水に戻すことです。

第1回でも書きましたが、なんとなくかっこいいなと思って使いました。
ほんの出来心だったんです…

要するに「子どもの課題である行動を受け取らない」という意味です。

「子どもの課題である行動」ってなに?
と思った方もおられるでしょう。

私なりに一言で言うと「子どもが自分で何とかするべきこと」です。

「子どもが自分で何とかすべきこと」に親御さんはどのように関わっていくとよいか、それを学ぶのがこの第3回目になります。

具体的には「課題の分離」という言葉をわかりやすく説明し、子どもの課題に踏み込まない方法をお伝えします。

  • 過干渉

  • 過保護

  • 色々口を出してしまう

  • 不安が強い

↑のどれかに当てはまると感じている親御さんに向けて書いています。

※最近では「境界線を引く」という用語もよく聞きますが、課題の分離と境界線を引くことはほとんど同じ意味だと私は思っています。

具体例をたくさん入れました。
ではいってみましょう!

①課題の分離とは?


今回は「子どもの課題である行動」を「受け取らない」ということをやっていきます。

「子どもの課題である行動」ってなに?

と思ったことと思います。

まずはこれを理解するためにアドラー心理学の「課題の分離」という用語を解説していきます。

わかりやすく解説するので心配ご無用ですよ!

嫌われる勇気に学ぶ「課題の分離」

課題の分離」とはアドラー心理学という分野の用語です。

アドラー心理学のことは知らなくて大丈夫です。

アドラー心理学の本で日本で一番有名なのは「嫌われる勇気」です。
この本はけっこう文字が多いですが面白いです。
メルカリで安く買うでも図書館で借りるもいいので興味があればぜひ。

「課題の分離」がどういうことかを理解するために、まずは「嫌われる勇気」を少し引用させていただきます。

「課題の分離」をわかりやすく理解するにはこの本の一部分を読む方ことがかなり役に立つからです。

ちなみに「嫌われる勇気」はアドラー心理学の専門家である「哲人」と「青年」の会話形式で書かれています。

哲人:アドラー心理学の基本的なスタンスからお話ししておきます。たとえば目の前に「勉強する」という課題があったとき、アドラー心理学では「これは誰の課題なのか?」という観点から考えを進めていきます。
青年:誰の課題なのか?
哲人:子どもが勉強するかしないのか。あるいは友だちと遊びに行くか行かないのか。本来これは「子どもの課題」であって、親の課題ではありません。
青年:子どもがやるべきこと、ということですか?
哲人:端的にいえば、そうです。子どもの代わりに親が勉強しても意味がありませんよね。
青年:まぁそれはそうです。
哲人:勉強することは子どもの課題です。そこに対して親が「勉強しなさい」と命じるのは、他者の課題に対して、いわば土足で踏み込むような行為です。これでは衝突を避けることはできないでしょう。われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題とを分離していく必要があるのです。

引用元:「嫌われる勇気」 p139-140

「課題の分離」を初めて聞く方は「え?え?」と戸惑ったかと思いますが、もう少し読んでみてください。

青年:分離してどうするのですか?
哲人:他者の課題には踏み込まない。それだけです。
青年:……それだけ、ですか?
哲人:およそあらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと――あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること――によって引き起こされます。課題の分離ができるだけで、対人関係は激変するでしょう。
青年:ううむ、よくわかりませんね。そもそも、どうやって「これは誰の課題なのか?」を見分けるのです? 実際の話、わたしの目から見れば、子供に勉強させることは親の責務だと思えますが。だって、好き好んで勉強する子どもなんてほとんどいないのですし、何と言っても親、保護者なのですから。
哲人:誰の課題かを見分ける方法はシンプルです。「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」を考えてください。もしも子どもが「勉強をしない」という選択をしたとき、その決断によってもたらされる結末――例えば勉強についていけなくなる、希望の学校にはいれなくなるなど――を最終的に引き受けなければいけないのは、親ではありません。間違いなく子どもです。すなわち勉強とは、子どもの課題なのです。

嫌われる勇気 p140-141

いやいや、勉強させるのは親の役目でしょう、と思った方も多いと思います。
青年もそう思って反論していきます。

青年:いやいや、まったく違います! そんな事態にならないためにも、人生の先輩であり、保護者でもある親には「勉強しなさい」と諭す責任があるのでしょう。これは子どものためを思ってのことであって、土足で踏み込む行為ではありません。「勉強すること」は子どもの課題かもしれませんが、「子どもに勉強させること」は親の課題です。
哲人:たしかに世の親たちは、頻繁に「あなたのためを思って」という言葉を使います。しかし、親たちは明らかに自分の目的――それは世間体や見栄かもしれませんし、支配欲かもしれません――を満たすために動いています。つまり、「あなたのため」ではなく「わたしのため」であり、その欺瞞を察知するからこそ、子どもは反発するのです。
青年:じゃあ、子どもがまったく勉強していなかったとしても、それは子どもの問題なのだから放置しろと?
哲人:ここは注意が必要です。アドラー心理学は、放任主義を推奨するものではありません。放任とは子どもがなにをしているのか知らない、知ろうともしない、という態度です。そうではなく、子どもがなにをしているのか知った上で、見守ること。勉強についていえば、それが本人の課題であることを伝え、もしも本人が勉強したいと思ったときにはいつでも援助をする用意があることを伝えておく。けれども、子どもの課題に土足で踏み込むことはしない。頼まれもしないのに、あれこれ口出ししてはいけないのです。

嫌われる勇気 p141-142

続きを読みたい方も多いかもしれませんがそれだとペアサポが進まないので一旦ここで区切らせてください。

「この本があればペアサポいらないわ」と思った方は今すぐこのページを閉じて本屋に行ってください(笑)

どうでしょうか。
なかなか過激な主張に見えたのではいでしょうか。

私は最初に読んだときに「まぁ確かにそうだけど、現実はそうはいかないでしょう…」と思いました。

上の文章を見て「できてないなー…」と落ち込んだ親御さん。
「いや違う」とムカついてきた親御さん。

たぶんそれが自然な感想かなと思います。
カウンセラーの私からみてもそれくらいびっくりするような考え方です。

ひとまず「課題の分離」のイメージがつかめたらここではOKです。

課題の分離のまとめ

その課題を解決する/しないによって最終的に困るのは誰か、それをもとに課題を分けることを「課題の分離」と言う。

親子でいうと「親の課題」と「子どもの課題」に分けて考えることができる。
分けることを「境界線を引く」とも表現できる。

「勉強する/しない」であれば、しないことで最終的に困るのはお子さんなので、「勉強する/しない」は「子どもの課題」と考える。

相手の課題には踏み込まない。
つまり口を出さない(控える)。

ただし子どもを放っておくわけではない。

例で言えば勉強すると(しないと)どうなるかを教えたり、勉強をサポートすることはできると伝えるのは親ができること。
そのうえで、子どもがどうするかは子どもが決めること(子どもの課題)、ということ。


コラム:課題の分離の語源

この部分は興味のない方、難しいなと思う方は飛ばして②まで行って大丈夫です。
ただ私が書きたくて書いています。

課題の分離のもともとの英語を調べました。
separation of tasks
の日本語訳が「課題の分離」だそうです。

saparation(セパレーション)はseparate(セパレート)の名詞形です。

separeteは「分ける」という意味なので、separationは「分けること」つまり「分離」というわけです。

私が思ったことは、「分離」という言葉がちょっとわかりづらいなということです。
「分けること」で良いかなと。

次にtask(タスク)です。

taskはもはや日常で使われる言葉になりました。
特に会社員をしているとよく使います。
「マルチタスク」なんて言葉は有名ですし、「私のタスクは~~」とか「タスクが多い」とか、よく耳にします。

taskの意味としては、
Weblio類語言い換え辞書によれば「行わなければならない仕事やその範囲のこと」だそうです。
似た言葉として、「業務」「責務」「役割」「やるべきこと」「分担」「ミッション」などが書かれています。

「自分がやるべきこと」がわかりやすいかなと私は感じます。

かみ砕いてみると、課題の分離(separation of tasks)は次のように言えるかと思います。

「(お互いが)やるべきことを分けること」
「責任の範囲を分けること」
「担当分け」
※暗黙的に、分けたうえで相手の範囲に積極的に口出ししないことが含まれる。

いよいよ仕事みたいな感じになってきました(笑)

どうしても親子関係となると、「親の私が言わないと」となりやすいように感じます。
育児に責任感が強い人ほど踏み込みやすいのかもしれません。

その感覚に、

「ちょっとまって、親子だって違う人間だよ。相手には相手の気持ちや責任があって、それを全部コントロールしようとするのはわがままかもしれないよ。前もって必要な情報を伝えることはするけど、それ以上は待つしかないよ」

と「一般的な人間関係のルール」(言い方が合っているかわかりませんが)を振り返る機会を与えるのが課題の分離という考え方かなと思います。

ちなみに、私は先回りや過干渉が強い親御さんはもともと生命体として持っているエネルギーが高い人だと思っています。実はパワフル。

それ自体は全く悪いことではなく、エネルギーの使い方が変わってかみ合えば、すごく良い方に回ると思っています。

コラム:ピンチはチャンス

この部分も飛ばして②に行って大丈夫です。

「子どもの課題を受け取らない」というのは言い方を変えると、「子どもが成長するチャンスを親が奪わない」ということだと思います。

なので、子どもの困った行動が生じたら、

「おっしゃきたーーーー!チャーーーンス!!」

くらいに捉えて欲しいのです。

あともう1つ。

不登校のお子さんは、自分がはれ物扱いされるのが大嫌いです(誰でもそうですが)。

課題の分離ができてくると、親御さんがお子さんに(多少は)気を遣わずにいられるようになります。

けっこうどっしり構えていられるようになりますよ。

その結果、お子さんは「親から気を遣われていると感じにくくなる」というボーナスがあります。
少しずつでも良いのでぜひぜひトライしてみてください。

では「子どもの課題である行動」の具体例と受け取らないコミュニケーション方法をお伝えしていきます。

ここまで読んでいただきありがとうございます。
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