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パニック障害になってぶっ倒れたら色んなことに気づき始めちゃった話

「なんで学校に行かないといけないんだろう?」

「会社の中で本音を言ってはいけないのだろうか?」

「国が言うことを本当に信じてもいいのだろうか?」

「私は本当に、自分の人生を生きているのだろうか?」

そんな違和感、葛藤をもしあなたが抱えているなら、ぜひこの記事を読んでほしいと思う。

なぜなら私もそんな違和感や葛藤に苦しんでいる一人だからだ。

そして実際に、身体を壊した。

詳しくは後述するが、2022年7月に私は倒れ、パニック障害と診断された。仕事も休んだ。

今はだいぶ回復し、仕事にも戻っている。

身体を壊し、色々なことを考えた。そして今、より鮮明に、自分を苦しめてきた違和感や葛藤の正体がわかりつつある。

今日はそれについて綴ってみようと思う。

私と同じように違和感や葛藤を抱えるあなたにとっても、何かしらのヒントになるかもしれない。


「私」についてと、「私」が倒れるまで

私は現在、教育系新規事業の企画、推進を行う会社員である。(2023年12月に退職予定)

それなりに波瀾万丈な家庭ではあったが、まあ楽しく生きてこれたと思う。

共働きの親。幼稚園に通い、公立小中高に通い、大学に入学し、理系だったこともあり修士号も取った。

就職し、それなりにキャリアも積み重ね、結婚をし、子どもを授かった。

そのプロセスの中で、確かに多くのことに違和感を持ってきた。

違和感が大きくなりすぎると体調を崩して学校に行けない時もあった。部活を休み続けたりもした。

そんな弱い自分が大嫌いだった。自営業で、強く立派な父と自分を比較し、自分自身を否定し続けた。

違和感に蓋をして、弱い自分を押し殺すこと。強くなること。立派な社会人になること。社会人として上手く立ち回り、社会に貢献すること。それが大人になることで、成長の証だと思っていた。

そう思い込むことにしたのだと思う。自分すら騙し、直走った。

社会人になり、多くのことに挑戦した。

全てはうまくいっているように見えた。

もちろん途中、様々な失敗や苦悩や迷いもあったが、それら全てひっくるめて、「大人になった自分」というストーリーの中の浮き沈みでしかなかった。

「なんだかんだで、うまくいっている」

そんな気持ちだった時、私は倒れた。

私が倒れた理由。

それは結局、「本当の自分を生きていなかったから」に尽きると思う。自分の本質からずれた生き方をしてしまっていたからだ。

身体を壊す前も、私は教育系新規事業の責任者としてやりがいを持って働いていた。

「やりがいを持って働いている」ということにした。そういうふうに自分すら騙していた。

やりがいを持って働く自分。自分の人生を生きている自分。教育で世界を変えたいと熱く語る自分。会社を変革していこうとする自分。

そういう「理想の自分」を自分で作り上げ、その「自分」が本当の自分だと思い込み、自分すら騙し、走り続けた。

コロナで大赤字だった事業はなんとか軌道に乗り始め、社内の評価も変わり始めた。

更なる挑戦のための予算もついた。

「やっとここまできた!流れがきてる!もっと挑戦できる!」

頭ではそう考えていたが、どこか身体の調子は悪かった。

「身体の調子がおかしいはずない。理由が見当たらない。自分はこんなにもやりがいを持って働いているのに。そして事業もうまくいってるのに。こんなに順調なのに、身体がおかしくなるはずがない。」

こうして私の思考は、自分の心と身体を騙し、さらに進み続けようとした。

ある日、電車に乗っていたら、急に視界が真っ白になった。強烈な目まいが襲ってきた。電車に乗っている全ての人に強い恐怖を感じた。

一度電車から降りると、怖くて電車に乗れなくなった。

仕事の通知がスマホで鳴ると、発作が止まらなくなった。

自律神経もおかしくなり、家の窓を開けるだけでベッドに倒れ込んで、起き上がれなくなった。

仕事のことを考えるだけで頭痛が起こり、仕事用のパソコンを見るだけで目まいがした。仕事道具は全て、目のつかない棚の奥底に押し込めた。

度々、強い恐怖感が襲ってきた。ただ座っているだけなのに、頭の中でベランダから飛び降りるイメージが頭の中で勝手に沸いてきた。

「こんなことを想像してはダメだ!」と自分の思考を止めようとすればするほど、「やばい、止まらない!」と私は更なる恐怖に襲われた。

思考が完全に暴走し、私に襲いかかってきた。

病院に行くとパニック障害と診断された。

そして私は、仕事を休むことにした。

「元通りに回復できるのだろうか?もう一生、働けないのではないか?」

そう思うと目の前が真っ暗になって、未来の不安から、またパニックが襲ってきた。

自分の心と身体性を取り戻す休養期間

全てを見直す必要があった。これまでの考え方、在り方。

身体を壊してやっと、疲れ果ててボロボロになった心と身体に気づいた。自分自身に謝った。

「今までこんなに酷使してごめん。悲鳴に気づかないふりをして、走り続けてごめん。」

私はどこかで、自分にとって必要のない感情に蓋をしてきた。

何かを怖がる自分。やる気の出ない自分。事業ストーリーを熱く語れない自分。事業の先行きが不安な自分。立ち止まって休みたい自分。弱い自分。

そういった自分を隠し通さないと、「ちゃんとした自分」でいないと、全てが壊れてしまうと思って怖かった。

そういった弱い自分は必要なかった。私の「成功」にとって必要なかった。

そんな自分を押し殺してきた。そしてこれは、無意識だった。無意識に押し殺していた。押し殺していることにすら気づかなかった。私の癖として、長い間、勝手に行われていた。

これがいつから始まったのかわからない。

「認めてもらいたい。必要とされたい。」

そんな想いを幼少期から抱き続けていたのかもしれない。

それがある意味エンジンとなって、ある意味自分を蝕む狂気となって、自分を走らせてきた。

そうしてついに、身体が悲鳴を上げた。

なぜ私はこうなったのか?どうすればいいのか?

仕事を休んでいる間、まず始めたのは「何も考えない練習」だった。

私の頭の中はずーっと考え事をしていた。止めたくても止められなくなっていた。

「あれは大丈夫だろうか?」「この先どうすればいいだろうか?」「これが起こったらどうしよう?」「こうなったら、こうして、もしこっちが起きたらこうして・・・」

私の頭は、ぼーっとできなくなっていた。常に興奮状態だった。

身体を壊す前は、就寝時ベッドの上でも仕事のことを考え、寝ている最中も仕事の夢を見て、朝起きた瞬間にスマホで仕事を始めていた。

そしてそれは、仕事が好きな証だと思い込んでいた。

「自分は四六時中、仕事を考えるぐらい、今の仕事が大好きなんだ」と。

そんなふうに、嫌でも何かを考え続けてしまう頭の中の思考を休めることから始めた。

その次に行ったのは、自分の心と身体と向き合うことだった。

今まで私は、思考だけで仕事のことを考え、将来について考え、自分や他者について考え、生きてきた。

心を使ってるつもりでも、それは思考で都合よく作られた心であり、全て思考のための従属物だった。

必要のない感情は全て思考によって騙した。ないことにした。違う感情に捻じ曲げた。瞑想をして意識の外に飛ばした。

身体もずっとほったらかしだった。PCだけで仕事ができるリモートワークでは、私にとって必要な身体は腕から上の部分だけだった。それより下の身体は特に必要なかった。不要なものは無視し続けた。

そうして無視され、抑圧されてきた心と身体が噴き出てきたから体調を壊した。そう思った。

だから心と身体を取り戻し、自分自身と統合する必要があった。

知り合いに相談し、心理学やボディワークの講座に足を運び、自分の心と身体と向き合い始めた。

手帳を買い、自分の押し殺してきたネガティブな感情を全て書き殴った。あらゆる感情と向き合い、受け入れ、溜め込まずに解放する練習をした。

ありのままの自分、弱い自分、情けない自分をそのまま出せるコミュニティを見つけた。

完全に邪魔者扱いしてきた自分の身体性に耳を傾け、整え始めた。

お酒をやめ、食事も見直し、運動を始めた。ボディーワークを習い、毎日継続するようになった。

そうすると段々、今まで眠っていた身体性が声を取り戻し始めた。

その他、多くの出会いにも助けられ、だんだん私の体調は戻り始めた。

そして私は、仕事に復帰した。

体調は戻っても、決して戻らなかったもの

仕事復帰後は全て恐る恐るだった。

でもそこには、本調子ではない自分も受け入れてくれる人たちがいた。

そうして段々と私は、調子を取り戻し、今は十分に働けるようになった。

確かに体調は戻りつつあるが、戻らないものもある。

世界の観方である。

私は体調を壊すまで、個人も事業も成長して当然だと思っていた。右肩上がりで成長して当然だと思っていた。それが成功であり幸福であり、認めてもらうための最低条件だと思っていた。

目の前にある役割を完璧にこなし、成果を出すことが当然であり、それは自分の意思であり、やりがいだとすら思っていた。今の自分の役割は自分が心からやりたいことだと思い込んだ。

しかし、こうして体調を壊して自分の在り方が変わると、今まで当たり前に存在していた自分の周りの世界が融解し始めた。

成功とは?失敗とは?

幸せとは?不幸とは?

善とは?悪とは?

本当の私とは?

私が今まで追い求めてきた成功も幸せも善も、「私」という存在さえも、全て社会によって作られたものだったのかもしれない。そんな風に思い始めた。

私が今まで嫌悪してきた失敗も不幸も悪も、全て社会よって作られたものなのかもしれない。そう気づき始めると、私の世界は変わり始めた。

私は社会が成功とするものを成功だと信じていた。

私は社会が不幸とするものを不幸だと信じていた。

私は社会が善とするものを善だと信じていた。

そうして社会に方向付けされ、それに気づくことなく、違和感や葛藤には蓋をして、自分すら騙し、直走ってきた。

しかし、この狂気に、心と身体はどこかで気づいていたのかもしれない。

心と身体を取り戻すと、自分に嘘がつけなくなった。変わってしまった世界の観え方は、体調が戻ろうが変わらなかった。むしろその気づきはどんどん加速した。

「ああ、自分は何かに走らさせられているだけだったんだ」

「自分にとってのやりがいも、成功も、幸せも、社会によって作られたものをただ追いかけさせられていただけだったんだ」

そうしたことに気づいていった。気づいてしまった。

それはひどく怖いことでもあった。

今までの成功や幸福や善を、全て手放すことでもあったから。

でももう、自分に嘘をつくのは限界だった。他に選択肢がなかった。

だから私は、今までの在り方を、全て手放すように努めた。

同時に私は、自分を走らせ続けてきた何かを疑い始めた。

私は「枠」の中で「私」を演じることに窒息していた

私を窒息させ、壊したもの。

それを私は「枠」と名付けた。

「枠」は、その中にいる人を善とし、外にいる人を悪とする。

「枠」はその中の基準で人間を比較し、優劣を決め、序列を作る。

「枠」の中には「役割」が存在する。

「上司」と「部下」。

「先生」と「生徒」。

「親」と「子ども」。

「夫」と「妻」。

枠組みを維持するためにこうした役割が存在する。

そして時に人は自分であること以上に、この枠組みの中の役割を演じることに夢中になる。

その先に幸せが待っているというストーリーを作り上げ、信じ、それがやりがいだと自分すら騙して直走る。

それはある意味、「モード」である。

上司モード。部下モード。先生モード。親モード。夫モード。

役割を演じるために、モードに入り込む。

そんなモードに入り込んだ「私」を、私は生きた。そしてそんな「私」は私の本質からどんどん離れていった。

その結果、気づけば、自分が誰だかわからなくなる。

役割をこなすために必要なのは理性と思考である。

社会に適応するために、衝動や欲求といったものを抑え込む思考と理性は、人間として生きていくためには必要不可欠だ。

しかしそれが行き過ぎると、思考と感情、思考と身体が分離し、感情と身体が抑圧される。

自分自身という全人性はもちろん思考だけではない。心や身体も存在する。

しかし思考で作られた「枠」の中で「私」という役割を演じ、ストーリーによって作り上げられたモードに入り込む中で、心と身体は思考と分離し、閉じ込められ、窒息する。

この分離が大きくなると、「枠」による違和感、葛藤、疎外が起こる。時にその人の身体すら蝕む。

これが、体調を壊した時の私である。

もう一つ、気づいたことがある。

この「枠」に苦しめられているのは、どうやら私だけではないということだ。

世の中には多くの「枠」が存在している。

そして、その「枠」に違和感を持ち、葛藤し、苦悩し、ひどいと完全に疎外されてしまう人がいる。

例えば、学校。

学校に強い違和感を持つ人。学校の当たり前と自分自身の間で葛藤する人。学校から疎外され、行けなくなってしまった人。

私も時に、その1人だった。小学校の入学式で体調を崩した。中学時代は原因不明の微熱が続いたりした。

学校という「枠」によって子供が苦しむことで、同じように葛藤し、「枠」から疎外され、苦しむ親。

今の時代、誰がいつ鬱になってもおかしくないように、いつ自分の子どもが不登校になってもおかしくないのかもしれない。

しかし、学校に毎日行くことが正解であり善であり安心であると信じて疑わない今の社会では、その「枠」から離れることは、どうしても間違いとされがちである。

でもそれは本当に、間違いなのだろうか?

例えば国家。

戦争が始まれば、私たちはニュースやSNSから大量の情報を受け取る。

そして私たちは、戦争の加害国と被害国を疑うことなく決めつけ、その印象を勝手に脳内で作り上げる。

でも私たちのほとんどは、実際にその国に足を運んだこともなければ、実際にその国の人たちと話したことすらない。

それなのに「○○人は怖い」と印象で決めつける。

私たちは国家という「枠」の中で、感情が揺り動かされ、思考を形成させられ、言動する。それを私たちは、自分の意思であり、自分の正義だと考える。

でもそれは、本当に正しいのだろうか?その言動は、本当に自分の意思なのだろうか?

例えば会社。

会社員としての責任、建前、成功。

そういったものに感じる違和感や葛藤。

「会社とはそういうものだから仕方ない」

「嫌いなことを我慢するのが仕事なんだから」

会社組織の中で人は時に、自分も相手も1人の人間であることを忘れ、「上司」「部下」「課長」「部長」といった役割の中に埋没する。

そして役割を演じ切るために、時に自他の人間性を押し込め、人間を傷つける。

会社組織によって、私たちは時に人間であることを忘れてしまう。

例えば結婚、家族。

少子高齢化が叫ばれている一方で、結婚を選ばない若者は増え続けている。

私たち(特に若い人たち)は既に、社会によって作られた理想の家族愛、結婚像、そういった幸福の類に違和感を抱き始めているのではないか。

その「枠」に入らないと世間から「かわいそう」と勝手に不幸のレッテルを貼られる。そうした「枠」に違和感を抱き、葛藤する人たちがいる。

結婚しないのがおかしいのか。結婚しないという選択も包含できないその「枠」がおかしいのか。

結婚をしたらしたらで、今度はその「結婚生活」と「家族生活」を社会に認められる形で継続する新たなモードが始まる。

結婚をしたら、子ども。一人生んだら二人目。子どもの教育、進学、就職、子どもの結婚、孫。

この「枠」には、終わりがない。

例えば性別。

私たちは生まれた瞬間に男女というたった2つの性別に自動的に振り分けられる。そしてその振り分けられた性として育てられ、その性らしく振舞うことが求められる。

もしその性別という「枠」と、自身の本質がずれていたとしたら、その性別という「枠」がその人がどれだけ苦しめることになるのか。

あなたは今、どんな「枠」の中で生きているだろうか?

これらはほんの一例で、社会には多くの「枠」が存在する。

こうした様々な「枠」によって、私は「私」という役割にがんじがらめにされ、社会によって作られた幸福を希求し、走り続けていた。

走り続ける中で必要のなかった感情、心、身体性は全て意識から消し去ってきた。

でも、自分に嘘をつけ続けることはできなかった。「枠」の中で窒息していた私の本来性が現れ出てきた。そして身体は壊れた。

私はこうして倒れたおかげで、「枠」と「私」に走らされてきた自分に気づき、そこから自由になり始めている。

「枠」から自由になりたい

本来人間のために作られたはずの「枠」は、いつのまにか人間を飲み込むようになる。

人間のために作られた「枠」は、いつからか立場が逆転し、「枠」を維持するために人間が走り続けることになる。「枠」の維持が目的となる。

そして私たちは時に人間であることを忘れ、その忘れる時間はどんどんと長くなり、いつからかその「枠」の中に埋没し、その中で「私」という役割と一体化し、「枠」と「私」の存在や関係性に気づくことすらできなくなる。

こうして人間の本質が、「枠」と「私」のための手段となる。

その「枠」が古くなったり、悪に走ったとしても、手段である人間がその「枠」を守る役割を担う。その中の人は「自分は正しいことをしている」と信じて疑わない。私がそうであったように。(そして今も幾分、それに陥ってると思う)

方法はわからない。けど私は、この「枠」と「私」から自由になりたい。

この考えに共感し、自由になりたいと願う人がいるなら共に自由になりたい。

「枠」によって苦しんでいたり、疎外されている人がいるなら、「他の道があってもいいよね」と、今はまだない道を模索し共に作っていきたい。

これが、身体を壊して多くのことに気づき始めた、今の私の重大な関心事である。

私たちが「枠」から解放され、もっと自由になっていくこと。

「枠」に支配されるのではなく、人間を中心とした社会に向かえること。

そんな何かを作ってみたい。

「枠」から解放されようとする人々が、つながり、学び合う。

世代も、役割も、国家も超えて、人間として人と人がつながり合う。

全く新しい個の在り方、社会の在り方を探究している人たちが集う。

「枠」に違和感を持ち葛藤しながらも、古くなった「枠」の中で自分を諦めずに戦う人たちが手を取り合う。

「枠」から疎外され、孤独を感じる人たちが居場所を見つけたと感じられる。

そうして皆で、自分自身を変容させ、「枠」から自由になっていく。

そんな未来をみんなで作ってみたい。

再出発します。


2023年9月25日追記

この記事を書いた後、また多くの気づきがあり、私のスタンスは少し変わり始めています。

私のスタンスは、

「枠」を抜けたい。

から、

「枠」も「私」も、そんなもの、そもそもなかったのかもしれない。

という気づきへと移り変わっていきました。

そして、

「みんな、ただ、生きてる(笑)」

という笑ってしまうほどシンプルな気づきに至りました。

そんなシンプルな気づきとの出会いについては、以下の記事参照

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