ホットコーヒーに溶けるアイスクリーム 「流浪の月」凪良ゆう

冷たいバニラアイスとホットコーヒーの組み合わせはなんて幸せなんだろうと思う。
冷たいアイスで冷えた口内がコーヒーで温められ、コーヒーの美味しさと香りがより引き立つ。
ぬるくなった舌に冷たいアイスを乗せると、残ったコーヒーと合わさっていっそ官能的な味わいが楽しめる。
口の中が冷たくなったら、またコーヒーを一口。
冷たくて甘いアイスクリームと、苦くて温かいホットコーヒーのやさしい口福。
一日の終わりにゆっくりと本でも読みながら楽しみたい贅沢だ。


淡々と、
月が夜の闇に沈むように物語は進んでいく。
誘拐した青年と誘拐された少女。
幸せな日々を共に送っていた両親がいなくなった少女は身を寄せている親戚の家では以前のようにアイスクリームに夕食にする事はできない。
その上親戚の息子が夜這いをかけてくる。
生き地獄の日々に、少女はロリコンと噂される青年の元に身を寄せる。
彼は優しく、夕食にアイスクリームを食べる事を許し、見たい映画を一緒に見てくれる。手も一切出してこない。
しかし世間は2人が一緒にいる事を許さない。
パンダが見たい、と言った少女に応じ動物園に行った所で青年は逮捕され少女は保護される。
その映像は誰かの“正義”によって動画サイトに投稿され、時が経っても消えない傷となる。
青年がひっそりと名前を変え社会に戻り、少女が大人になっても2人が一緒にいる事を世間は許さない。
何年経っても、世間は青年の罪を許さない。町に一緒に存在する事すら許さない。
少女が何もされなかった、文はやさしかったと訴えても聞く耳を持たない。
物語は大方の読者の予想を外れないだろう展開を進み、どんでん返しも劇的な展開もなく淡々と結末を迎える。アイスがゆっくりと、溶けてしまうように。
世間は事件が起きた事と青年のプライバシーと少女の実名を晒しながらも2人の事情を鑑みない。
2人の生活を大げさに伝え、ある事無い事書きこんでいく。
そこにいたのは、どこにでもいるただの生きづらさを抱えた青年と少女だったのに。
2人はただ、お互いを必要とし足りないものを埋め合うために一緒にいただけなのに。


舌の上でとろけるアイスクリームのように、
冷え切った心と身体を温めるホットコーヒーのように、
文は更紗に寄り添い続ける。
疲れた小鳥が羽根を休める止まり木のように。
彼は更紗をやさしく肯定する。
文が彼氏のDVから逃げて来た時は、そっと雨の日に傘を差すように保護する。
名前を変え、ようやく作った居場所である自身のカフェに彼女を保護する。
彼の過去と大人になった少女との関係をグルメサイトや週刊誌に書き立てられそこを失う事をおそらく想像できただろうにそっと保護する。
冷たいアイスと温かいコーヒーが混ざればやがてどちらもその存在を失う。
アイスは溶け、コーヒーはぬるくなってしまう。
それでも彼と彼女は混ざり合う。
2人の関係は友情や恋愛感情とは違う、もっと切実なもので結ばれている。
それを言葉にするのは無粋とも思える。
それを言葉にできるのは、彼と彼女しかいない気がする。
彼と彼女の真実は、彼と彼女しか知りえない。
けれども世間やお節介な“正義”で“善意”の第三者は、アイスクリームとホットコーヒーを楽しんでいる人の部屋に土足で上がり込み、踏み荒らし、罵り、めちゃくちゃにしていく。
不確かな情報で事件に関係なかった人物を中傷し、訴えられても懲りてないように思える。
マスコミもこぞって何かの事件や事故を起こした人物が現れれば根掘り葉掘り情報を競うようにして集めたがる。
速報で「容疑者の自宅にTVがあった」というニュースが流れた時は失笑してしまった。
彼らの溜飲はいつ下がるのだろうか。
“悪者”がいなくなっても、また新たなターゲットを探している。
事情も知らず、とにかく叩く相手を見つけては言葉の暴力で嬲り殺す。
そんな社会を、私は少し怖いと思う。


「言葉にならない2人の関係を書いた。いま、やたら絆が大事、と言われているなかで、息苦しく感じていた人が多かったのかも」

新聞のインタビューで作者はこう言っている。
今の世の中はどうにも息苦しい。
人は無関心か攻撃的で、表に裏に敵意をむき出しにする。
だからこそより切実に自分を受け入れてくれる相手を探しているのかもしれない。
もし文と更紗の関係が肉体関係を伴うものとして描かれていたなら、この本が本屋大賞に選ばれる事はなかっただろう。
少女が実は犯罪者に好意を寄せていて、再会してから性的に依存していくというストーリーの方が世にある小説では書かれやすい。その方がセンセーショナルで話題になりやすいだろう。もしかしたら出版社の編集者はその方向で書くよう作者に言っていたのかもしれない。
けれども作者はそれを安易にしなかった。だからこそ今までにない物語となり書店員や多くの人の心を打っているのだと思う。

言葉にならない2人の関係。
空にたゆたう月のように、流れていく彼ら。
その行く着く先はどうなるか分からない。
ただ、一時でいいからゆっくりとアイスクリームとホットコーヒーを楽しむような時間があって欲しいと。
読み終わった後に思った。

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