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【あれこれ】空っぽな青春


連載2人目はメンバーのドヌーヴさんです。高校時代の不登校について書いてもらいました。(スタッフ・古川)




轢いてくれ、と念じながらよく道路を飛び出していた。自ら死に足をかけるのは、今の俺を虐げてくる彼らからの憐れみを生むだけ。それは負けた気がして嫌だった。事故による不可抗力であれば自分が楽になることも許されるものになるはずで、高校を休んでいることにも正当性が出る。動けない自分を分かりやすく納得させる理由が欲しかった。けれど、平日の昼下がり。死角の多い危険通路といえどもそう都合の良く(悪く?)飛び出してくる車体は、結局3年間で一度も現れてくれなかった。

高校に行きたくなかった。明確な理由があったわけではない。いや、「行きたくない」という意思すらない。ただ、自分の意識と違うところで唐突に、「行けなくなってしまった」。

高校1年生の春。課題提出でいきなりつまづいた。しなければならないことをしなかった。そんなことは、短いながらも過去15年、何度もあったはずである。けれどこれが響いた。朝起きたら体が起き上がらない。

虚な高校生活の始まりである。

ステータスは基本的に不登校の引きこもり。ただ、進級するために最低限、本当に最低限の出席をもらいに登校する機会は、まちまちだがあった。

友達はいない。はじめの方は仲良くしてくれた彼らも、俺の出席が減るにつれ腫れ物を触るように距離をとっていった。1年が立つ頃には、もう誰も目を合わせてくれなかった。2年生でクラスメイトになったある男子に、学校に行った日は金魚のフンのようにくっついていた。あとで知ったが、彼はただでさえ偏差値の高かった当時の高校の中でも1位2位を争う秀才で、卒業後は一橋へ進学するほど熱心な勉強家だった。彼は特段、無視することもなければ気にかけることもない、優しいとも冷酷とも取れる態度で俺と接した。欠席した回のノートを写させてもらったことがあったが、難しくてよく分からなかった。彼とは連絡先の交換さえしていない。きっと俺のことだってもう覚えていないだろう。

勉強は分からない。得意だった勉学も、休みが続くともうあっという間に何も分からなくなった。予習が必要な古典や英語の授業で、教科書持参すらろくにできていない俺は何度も授業の流れを止めた。中学で好成績だった数学はダントツでクラス最下位。出された問いに対し1人ずつ順番に解答をしていく時間では、必ず俺のところで流れが止まり、授業時間の大半がマンツーマンの指導になった。それがとても恥ずかしかった。日本史や世界史では追えないほど歴史が進み、物理や化学では知らない公式が前提となって更なる応用がされている。音楽では歌唱テストの連絡を当日知らされるし、体育はウォームアップだけでバて体調が悪くなり報告なしにトイレに抜け出すと戻ることがすっかり怖くなって個室に4時間籠城する。もうなにも分からなかった。

周りからの評判も悪い。比較的優等生だったそれまでとは打って変わり、「問題児」の烙印を押され続けた。学校へ行くと黒板の左上に自分の名前が複数書かれている。各教科の担当教員から呼び出しのかかった生徒の名前が入る欄。休み時間や放課後を使ってそれぞれの教員のいる部屋を周り連絡を受ける、最後に担任のいる社会科準備室にいく、というルートをたどる。出席もしなければ課題も出さない俺に説教や小言をする教師が大半だった。何より、彼らの「困った生徒を見る目」や「憐れむような目」が俺の自尊心をこれでもかと砕いた。それは、数年前に大人から送られる目線と明らかに違ったから。

見えるように嫌がらせをするほど同級生も馬鹿ではない。最終授業の10分だけ登校して誰よりも早く下校したり、準備不足から授業を止めるどころか勝手にいなくなったりする俺を、クラスメイトはさすがに陰で笑っていた。それを教えてくれたのは担任だった。休み時間を寝たふりをして過ごしたり、持ち込み禁止のスマホをトイレで使っていたのも知られていた。行けない期間にとり行われていた席替えは、いつも俺の席が周りにとって都合のよいように書き換えられていた。4月から翌年3月まで、登校すると自席は教卓の正面だった。クラス対抗のスポーツ大会では、知らないうちに3年続けて水泳選手にエントリーされていた。俺は50mを泳げない。

それでも「学校に行きたくない」と俺は言わなかった。いかなければならない場所だと思い続けていた。「行きたいのに行けない」という言葉で自分を守っていた。「行きたい」とは言ったものの、学校にはなにもなかった。なんにもなかった。だれも助けてくれなかった。死んだ顔をしてる生徒は結局、死んだ。3年秋で中退。「今の学校に通える自分」という最後の砦さえ、桜が咲くのを半年も前にして跡形もなく崩れ落ちた。

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不登校経験者のドヌーヴです。ここの連載枠では不登校をしていた高校時代の思い出をつづるつもり。以後、よろしく。





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寄稿連載【あれこれありましたが、】では、当時行きづまっていた私たちがいまどうやって生きているか。あれこれありましたが、よろしくやってる方々の日常や思考を寄せてもらい、連載しています。

読者からも寄稿作家を募集しています。学生時代に挫折をもつ人(不登校経験がなくても構いません)、学校に行きたくなかった日が1日でもある人、自分の文章をこの場で書いてみたいと感じる方は、ぜひ、スタッフ古川までご一報いただけますと幸いです。たくさんの方々のご参加、お待ちしております。
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